雨こそ降らなかったが、今日も冴えない天気であった。気は乗らなかったが、少し草取りをしてから『瀬戸内海』を読む。
ドナルド・リチー氏は万葉のある歌の舞台を見たさに、瀬戸内海の小島である沙弥島を訪れる。島に住む教師(?)と共に試みたその歌の英訳は、
If his wife were here,
She would gather for him
Fresh wild herbs....
But upon the hills of Samine,
Have they not already faded?
例によって、まずい直訳をおまけしておこう。
男の妻がいたならば
摘みもしようものを
みずみずしい野の草は
狭岑の丘では
もうしおれてしまっただろうか
ご本人は英訳の出来栄えにかなりご不満のようだが、詩の翻訳はもともと無理があるのだからしかたないだろう。日本語→英語→日本語→英語……と繰り返していけば、伝言ゲームではないが、原作とは似ても似つかぬものになるにちがいない。
さてこのままではさっぱり見当もつかなかったが、「沙弥島」で検索すると、元の歌はすぐに判明した。(いったい何用あってかは知らないが)この島を訪れた柿本人麻呂が磯に打ち上げられた溺死者の死体を見て詠んだという次の歌である。
妻もあらば摘みて食(た)げまし沙美(さみ)の山
野の上(へ)のうはぎ過ぎにけらしや (巻二・二二一)
「故郷にあって妻と共にいたならうはぎ(ヨメナ)も妻が摘んで食べさせようものを、妻を離れて異境に行き倒れて、もう野のうはぎも若芽の時をすぎてしまったのではないか」というのが中西進先生の解釈である(『万葉の花』より)。
リチー氏の文章を読むと、この島で難破した敗軍の兵士が戦友の死を看取って埋葬し、この歌を詠んだのちは島で帰郷の日を待ちわびたとあるから、どうも誤解があるらしい。しかしリチー氏によれば、万葉集中瀬戸内海が登場するのはこの歌のみらしく(※)、それゆえにわざわざ小舟を雇って島に上陸したという熱心さには頭が下がる。
探求心のかたまりであるリチー氏は、あちこちの島で住民とふれ合い、時に珍妙な会話を交わすのだが、それも日本語が達者なればこそである。しかし外国人と見れば(どこの国の人であっても)、日本語は絶対に通じないし、とにかく英語だと思いこんでいる人も少なくない。
本日読んだところでは、小さなこどもが英語力を試そうと、
Who are you today?
これはなかなかおもしろい表現である。どう答えたらいいのだろうか(笑)。
【6月17日追記】※原文はこうである。
私が沙弥島に来たかったのは、千年以上も昔に、万葉集四千首のうちにひとつだけ収められた瀬戸内海に関する歌がここで書かれたからである(後略)。
本日気づいたのだが、この20頁ほどあとには、同じく瀬戸内海に面する「鞆(の浦)」が万葉集に登場することにもふれているので、作者がなぜこう書いたのかはわからない。一時的な思いちがいではないだろうか。
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