Daily Oregraph: 裏庭画報 花散りしあと
エゾヤマザクラの花がすっかり散って、裏の畑はごらんのとおりにぎやかである。
手前に見えるのは小松菜の芽だが、このところ道内では釧路だけひどく気温が低いため、なかなか成長しない。口入屋と悪代官の仕切るブラックなお上に対抗して野菜栽培をしているんだから、頼むぜ、おい。
さて今日から読みはじめたのは P. G. Wodehouse(ウッドハウス 1881-1975)の Piccadilly Jim。モームの小説でやっと19世紀から離れたわけだが、20世紀の世界にもっとなじむには格好の小説だろうと思ったのである。しかしこれはこれで口語や俗語が多いから、案外読むのに手間がかかる。とてもスピード・ラーニングとはまいりませぬ。
ウッドハウスは英米では超有名なユーモア作家だけれど、その割には日本では読まれていないような気がする。どういう文章を書く人か、以前引用文集から拾ったものをひとつだけご紹介しよう。
アガサおばさん--このおばは、割れたビンを食べて、
鉄条網を肌にまとっているのだ。
このとおり、吉本のお笑いとはずいぶんちがうから(笑)、あまり日本人受けしないのかもしれない。
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Comments
>吉本のお笑いとはずいぶんちがうから(笑)・・・
英語の読み書きは自信がないからなんなんですが・・・
映画(だけじゃなくって童話)なんかで見る限り、イギリスだけじゃなく、フランスあたりのもそのユーモアが分かるようでわからない歯がゆさを感じますね。
これがアメリカ物の映画だったらよく分かるんですが・・・
Posted by: 三友亭主人 | May 31, 2014 06:23
>三友亭さん
たしかに外国の小説にはわかりにくいところがありますね。
特にユーモア小説の場合ですと、意味なら少しずらす、比喩なら突拍子もないものを持ち出す、作法ならわざと外す、極端にちがうもの同士を並べる……結局ずれやちがいを楽しむのがポイントでしょうか。
たとえばある単語をわざとふつうは使わない場面に用いたりすると、意味のずれによるおかしみが生まれるけれど、それは外国人にはわかりにくいです。
つぎに比喩ですね。とんでもないものを持ち出して「~のように」といわれても、そもそもその「~」になじみがなくてピンとこないから、おかしさが直接伝わってこないこともあります。
作法のちがいももちろん曲者です。常識でわかる範囲ならともかく、作法が身についていなければ理解できないことだってあります。
ですから百点を取ろうなどとは夢のまた夢、目標を80点あたりに定めるといいような気がいたします。
え、80点とはずうずうしい、ですって? えらいすんまへん。70点にしときましょか(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | May 31, 2014 08:01