January 31, 2014
January 29, 2014
Daily Oregraph: 魚高きがゆえに
今日の生存証明写真はスケソウダラ。
晩飯はこいつの鍋であった。みかけによらず、味は上品そのもの。魚高きがゆえに貴からず、の見本みたいなやつである。ちがいのわかる男の魚だな。
鍋をつつきながら一杯やったら、当然ながらお勉強する意欲を失ったけれど、それでも本日はとうとう『嵐が丘』の VOL. I を終えた。
VOL. II 第1章(通算第15章)の最初の文を引用しておこう。
Another week over-and I am so many days nearer health, and spring!
また一週間が過ぎ、ぼくはそれだけの日数(つまり7日分)健康と春に近づいたぞ! というのだが、いかにも希望に満ちあふれた出だしである。
しかし年を取ると health を death と読みたくなるから悲しい。一週間なら 7日、一ヶ月なら 30日、確実に死に向かって近づいているのだが、ビッグバン以来だれも時の流れを止めることはできない。
命短し、飲めよおじさん! よし、今年の目標はこれだな。
January 26, 2014
Daily Oregraph: 船の滑り止め
この冬初めてまとまった雪が降った。当然雪かきも初めて。大雪でなかったのは幸いである。
雪が積もると船のデッキは恐ろしいほどよく滑る。縁起をかつぐ受験生は来ないほうがいいだろう(来るわけがないか……)。
こういう場合、決められた通路を歩くことになっている。たぶん緑色の滑りにくい塗料を使っているのだろう。しかし靴に雪が付着していれば、やっぱり滑る。どうも船と雪とは相性が悪いようだ。
さて緑といえば、昨日のチェックポイントの写真に三色のカード入れが写っていたけれど、その意味がやっとわかった。それぞれの色に対応したパスが入っていて、ぼくに渡されたのは緑。つまり付き添いなしで自由に船内に入れるわけだ。この会社独自の工夫らしい。
そうか、おれは安全な男なのだなと、ちょいとうれしくなった。
今日はついでに滑り止めに関する豆知識をひとつ。
船の食堂のテーブルには、食器などの落下を防ぐために留め枠が取り付けられている。これを英語で fiddle (第一義はヴァイオリンなどの弦楽器)というが、OED には「fiddleに似たもの」として、「悪天候時にテーブルから物が転落するのを防ぐしかけ」という船員用語集(1867年)の定義が収録されている。
一見弦楽器に似ているとは思えないのだが、たぶんヴァイオリンの縁が全周に渡ってちょっと出っ張っているところからそういうのだろう。
まあ、こんな単語を覚えたところで、試験の滑り止めにはならないけどね(笑)。
January 25, 2014
Daily Oregraph: 港の風
本日の生存証明写真は、ひさびさの船上セキュリティ・チェックポイント。
ポケットからカメラを取り出してレンズを向けると、彼はすぐに気づいたけれど、いささかも動じなかった。一瞬こちらをちらっと見たが、すぐに仕事に戻ったのである。えらい。男はこうでなくてはいけない。
もう一枚おまけに、バラストタンク計測中の写真。一見なんの変哲もない写真のようだが、そうではない。友情出演(?)してくださっているのは、釧路マラソン界の重鎮スコップさんなのである。撮影担当が運動神経ゼロのぼくであるところに味がある(笑)。
『嵐が丘』はやっと140頁。ひさしぶりに港の風に吹かれて一服というところである。めずらしく暖かい一日であった。
January 21, 2014
Daily Oregraph: 一夜明けて
広尾町では早朝ほんの少し雪が降ったけれど、箒で掃けば間に合うほど。
ベランダに置いた残りの氷はもちろん健在であった。しかし……昨日買ったスコッチはみごとに空。いや、まさか一人で飲んだわけではない(笑)。やはり出張中のSさんと二人で、落花生をつまみながら、ぼくの部屋で酒盛りをしたのである。たしか二時間ほどで一本空いたと思う。まずは立派な出来であろう。
おかげさまで二日酔いにもならず気分はスッキリ、道路の状態もきわめて良好、無事帰着できたのはなによりであった。今回は仕事の打合せがあったため、晩成温泉入浴は断念した。
『嵐が丘』は125頁でストップしているので、明日から再開の予定である。一日わずか数頁ずつだから、いつ終わることやら。結局一年がかりの作業になりそうだ。完成したら大パーティを開くから、ぜひ来てね(笑)。
January 20, 2014
Daily Oregraph: 十勝積雪調査隊
ここは十勝管内の生花苗。これを「おいかまない」と読めとは無理な注文である。外国語よりもずっと難しい。
今日は仕事で十勝港(広尾町)に来たついでに、積雪状況を調べようという趣向。この冬はとにかく雪が少ない。おかげで車の運転は楽である。
釧路よりも雪の多い十勝でもかくのごとし。しかし太陽が膨張して融けたわけではない。この写真ほどに太陽が膨張したらえらいことで、人類は絶滅まちがいなしである(こういう写真はふつう撮らないものだ)。
運転中右手のみで「えいやっ!」と撮った一枚(危険だから、マネをしてはいけない)。日高の山並も例年より積雪が少ないようだ。
十勝港第4埠頭岸壁。積雪ほんの数センチである。
広尾町内。さすがに釧路よりも雪は多いものの、やはり例年よりかなり少ない。ひょっとしたら奈良県の山奥よりも少ないのではないだろうか。
もちろん十勝といっても広い。帯広方面はもう少し雪が多いらしいけれど、それでも積雪十数センチだという。今年は西高東低の気圧配置がつづき、日本海側と太平洋側とのちがいが極端なのだそうな。
上の写真に見えるスーパーに入ったら、千円前後のウィスキーが各種並んでいた。飲みなれた銘柄にしようかとも思ったのだが、これ、ジャスト千円。その潔さにほれて、ついふらふらと手を出してしまった。
ついでに氷も仕入れ、今夜はこいつで調査の疲れをいやそうと思う。なんと今夜のホテルの部屋には冷蔵庫がないけれど、ノー・プロブレム。たまたまベランダ付きの部屋だったので、ウィスキーと氷はベランダに置いたから、夕食後にはキリキリに冷えているであろう。北海道のありがたさだ。
え、仕事? やりましたよ。マジメにやりましたとも(笑)。
January 18, 2014
Daily Oregraph: 踏まれても酒あればこそ
昨日タクシーの窓から撮った一枚。店先にうまそうな干し魚が並んでいる。こういうお店もやがては絶滅しそうな予感がしたので、思わずシャッターを切った。
もうネタはすっからかん、絶体絶命である(笑)。
しょうがないので『嵐が丘』から文章を引用しよう。なにね、英語のお勉強をしようというわけじゃない。目的をとりちがえてはいけません。第一リンゴがアップル、象さんはエレファントだなんて覚えたところで、つまらない。それよりもうまいリンゴをかじって味わったほうが百倍もましというものだ。
The tyrant grinds down his slaves and they don't turn against him, they crush those beneath them.
これは第11章のヒースクリフのセリフなのだが、ああ、19世紀も21世紀も変らないなと、妙に印象に残ったのである。みなさん結局お上には逆らえない。逆らうかわりに下のものを踏みつけにする。踏みつけにされたものは、さらに下のものを踏みつけにする。どこの国も同じだろうが、最下層の奴隷は排外思想に走る。これをお上から見れば、いわゆる思う壺というやつである。
踏みつけにされるもののほうが数は圧倒的に多いのに、踏みつけられても踏みつけられても、どうせ反抗したってムダだし、たとえ体制が変ってもお上が入れ替わるだけの話だから、だんだん反抗する気力を失い、奴隷は奴隷の境遇のまま一生を終える。ベンサムのいう「最大多数の最大幸福」が一向に実現しないゆえんである。
しかし自分が奴隷だなどと思っている人はごく少数にちがいない。奴隷が奴隷と自覚していないのは、現代では奴隷にも一定の自由が与えられているからだ。安酒か高級酒かはともかく、酒が飲める(ありがたい!)。お好みなら不純異性交遊もできる。パチンコもできる。競馬も楽しめる。いずれカジノなる賭場まで作ってくださるだろう。そういえば、放射能がいくら出つづけていても、オリンピック大運動会が日本で開催されるというのもめでたい。
自分の懐具合はむしろ悪くなっているのに、株なんてやっていないというのに、景気がよくなったといわれれば、なんとなくその気になる。(ほんとかどうかはともかく)日本の景気が上向いたと聞けば、自分まで鼻が高くなる。バカボンのパパ、いや失礼、竹中平蔵先生は「これでいいのだ」とおっしゃっている。お上ご公認のえらい先生様に逆らって、「有識者」でもない男が「あの、ちょっとちがうんじゃないですか」とはいかにもいいにくい。
いいにくいから、いわない(あれ、いっちゃったか(笑))。奴隷、いや男は黙ってウィスキーを飲むのであった。おれにこんな柄にもないことを書かせるとは、片田舎の牧師の娘であるエミリ・ブロンテは案外過激派だったのかなあ、などと思いながら。
January 15, 2014
January 12, 2014
Daily Oregraph: ひと休み
さすがにスコッチをストレートでやりながらお勉強しているわけではない。グラスの中身はウーロン茶である。一段落したらウィスキーに切り替えるわけだ。
今日でやっと100頁。当面は生存証明写真のみとし、もう少し先へ進んでから平常どおりの営業といたしたい。みなさまのブログにもしばらくは失礼することになりそうだが、事情ご賢察のうえご海容くだされたくお願い申し上げる次第であります。
それにしてもこの冬はまだ一度も雪かきせずにすんでいるのはありがたいことだ。
雪掻くやあきあきしたる機休(はたやすみ) 三田傀儡子
ところで雪女(雪女郎)が新年の季語とは知らなかった。
雪女郎おそろし父の戀恐ろし 中村草田男
なんだかよくわからないが(笑)恐ろしい句である。「父」というのは、ひょっとしたら草田男自身のことをいうのだろうか?
'Let me in!' 白き手窓に雪女郎 薄氷堂
俳句界初(?)、『嵐が丘』を題材にした、日英融合の一句である。
January 09, 2014
Daily Oregraph: Windows 8.1 その後
昨年購入したノートパソコンを Windows 8.1へアップデートしたら起動がばかに遅くなったことはすでに書いた。それだけではなく、その後フリーソフトの StartMenu 8 を最新版にアップデートしたところ、動作が極端に不安定になり(メモリ不足のエラーが表示される)、とてもまともに使えぬ状態に陥ってしまった(なお同じ不具合が2ちゃんねるでも報告されている)。
問題の StartMenu 8 はバージョン 1.4である。OSがまともに起動しないこともたびたびで、フリーズも頻発。苦労の末やっとアンインストールしてバージョン1.3をインストールし直したら、みごと復旧した。しかし起動に時間がかかるのは相変らずである。
なかなか気に入っていた StartMenu 8 だが、ほかにも問題がある。起動するたびに最新版へのアップデートをうながされることと、うっかりクリックしつづけると、もうひとつ不要なアプリまでいっしょにインストールされてしまうことである。こういうのを余計なお世話という。
そこで思い切って StartMenu 8 をアンインストールし、同種の別のアプリに変えようとしたのだが、Windows 8.1 からは起動時に従来のデスクトップ画面を選べ、 スタートメニューも復活したというから、一度それを試してみることにした。
すると、あら不思議、起動がウソのようにすばやくなり、動作もきわめて安定、なにも余計なアプリを使わなくてもいいことがわかったので、ご参考までに手順をご報告したい。
まずデスクトップ画面からタスクバー上でマウスの右ボタンをクリックし、プロパティ→ナビゲーションを選択する。
「スタート画面」の※印の箇所にチェックを入れて「OK」。再起動してみると、たしかに従来のデスクトップ画面がまっさきに表示される。しかもかなり高速である。
ただしキーボードのウィンドウズロゴ・キーを押したときの「スタート画面」というのは、ぼくの予想とはちがっていた。
これが起動時の画面である(業務上お見せできないフォルダ・アイコンまたはフォルダ名は塗りつぶしてある)。
Windows 7 と同じデスクトップ画面だが、タスクバー左端に表示されるスタートメニューのアイコンは 8.1のものに変更されている。キーボードのウィンドウズロゴ・キーを押すと……
画面が切り替わり、これが「スタート画面」らしい。まずお世話になることはあるまいから、ふたたびウィンドウズロゴ・キーを押すと、またデスクトップ画面に戻る。
次にタスクバー上のスタートメニュー・アイコンをそのままクリックしてみると、ウィンドウズロゴ・キーを押したのと同じで、上に示した「スタート画面」に移行する。つまりスタートメニューが表示されるわけではない。
スタートメニューを表示させるには、スタートメニュー・アイコン上でマウス右ボタンをクリックする。なんだか垢抜けしないデザインだが、メニューが現れる。
シャットダウンするには Windows 7 より一手間かかるのが難点だけれど、一応不満点が解消されていることはたしかだろう。
しかしいちいちそんな面倒なことをしなくとも、次のようにシャットダウンするようおすすめしたい(XP から 8 や 8.1 まで共通で使える)。
デスクトップ上のアイコンがどこも反転していない状態で(そうでなければ画面上のどこかをマウスでワンクリックし)、「ALT キー」と「F4 キー」を同時に押せばシャットダウン画面が現れるから大変便利である。
もちろんこんなことは先刻ご承知の方も多いだろうが、案外知られていないように思う。「ALT+F4」 は現在使用中のアプリを終了させることもできるから、気の短いお方には向いている。
たぶん StartMenu 8 の不具合はいずれ改善されるにちがいないけれど、この種の常駐ソフトはシステムの起動を遅くする可能性があるから、使わずにすめばそれに越したことはないと思う。
評判の悪い Windows 8 も 8.1 になってやっとまともに使えるようになったようだ。しかし 8 から 8.1 へのアップデートは面倒すぎるし、これからお買いになるのなら 8.1 インストール済みのものを選択されたほうがいいだろう(サポート期間が多少短くてもよければ Windows 7 のほうがずっと楽ちんかもしれないけれど(笑))。
それにしてもマイクロソフトはユーザーに楽をさせてくれない会社である。OSに余計な見てくれは必要ないと思うのだが……
January 07, 2014
Daily Oregraph: まじめが大切
今年初の船上セキュリティ・チェックポイント。今朝の最低気温は-12度だからそうたいしたことはないけれど、まあそれなりに寒くはあった。こんな場所で立ちん坊をするのは、あまりありがたくない仕事であろう。
さて松の内もいよいよ終ることだし、ふたたび地味な仕事に戻らねばならない。正月など無縁のはずの男がついつい酒を飲み暮らしているうちに、嵐が丘はすっかり雪に埋もれてしまった。まじめにやらなくてはいけない。
-大家さん、薬罐のことをどうしてケトルというんですかい?
-あれはな、矢が当たってカン、また矢が当たってカン、というところからヤカンになったな。
-それは落語の「やかん」ですよ。あっしが聞いてるのは英語のケトル。ははあ、さては横文字は知らねえんでしょう。
-バカにしちゃいけない。おれに知らぬことはない。え~と、それはだな……昔イギリスでは薬罐で米を炊いたな。
-へ~え?
-イギリス人だって、たまには握り飯を食いたくもなろうさ。初めチョロチョロ中パッパ、さていい頃合いだと蓋を取ってみると、おお、炊けとる、炊けとる! それからタケトルになったな。
-ほんとかね? どうも信用できねえ。
-イギリスの『タケトル物語』には、ちゃんと「今は昔タケトルの翁といふものありけり」とあるぞ。この米の飯好きなじいさんは指物師で、娘は「家具屋姫」だ。
-あれ、だけどさ、ケトルでしょう。タケトルの「タ」はどこへ行っちまったんで?
-減反政策のせいで田はなくなってしまったのさ。それ以来イギリスでは麦ばかり食うようになった。
ああ、たった今まじめにやろうといったばかりなのに……(笑)
January 04, 2014
Random Haiku House フィクション編
夕方ほんの少しだけ雪が降った。こういう晩には、一杯やりながらしみじみ俳句を味わうと、たぶん幸せな気分になれるだろう。
パソコンで俳句を作るなどずいぶん無理な話であることは百も承知しているけれど、人間には考えつきそうもない句が偶然できあがることもあるから、そうバカにしたものでもない。
もちろんとんでもない句のほうが圧倒的に多い。
夏近しころもを脱ぎて火燵かな
冬晴やころもを脱ぎて風の中
浴衣着て歳末の街ほどほどに
なんとなくほれた女は牛の声
尼寺やすがりつく手に釘を打つ
もう滅茶苦茶である。第二句などは昭和基地かスエーデンあたりなら通用するかもしれないが、PTAから苦情の出そうな最後の句には絶句するしかない。
中にはすなおに解釈できるものもある。
とろろ汁思ひがけなき夜の旗
ああ、なんとかしてとろろ汁(秋の季語)を食いたいものだと思いながら夜の町を歩いていたら、「とろろ汁」と大書したのぼりをみつけたのである。このようにちゃんと説明がつく例をもうひとつ。
家を出て葉書一枚女学生
これは家出少女。「お父さん、お母さん、私はもう帰らないけど心配しないでください」とかなんとか書いてあったにちがいない。意味が通りすぎてつまらないか。
意味はよくわからないけれど、ことばの組合わせがおもしろく、捨てがたいものもある。
水平線うごく時きて人病めり
じわじわと寄せ来る波の別れかな
遠雷や夜のむかうにしがみつく
第一句、動かぬはずの水平線が動くイメージは悪くないと思う。第二句、やや月並調ではあるが、こういう別れもありそうだと思わせるところがいい。第三句は、すぐ隣にいる恋人ではなく、正体不明の遠くのものにしがみつくところにちょっと味がある。
最後に、パソコン俳句らしいと思ったものを。
空を飛ぶ雨にぬれたる少女たち
火花散る猫抱きあげて機関室
第二句の火花と猫とは無関係であるとも取れるが、火花を散らす電気猫だと解釈したほうがおもしろい。こういう猫が宮澤賢治の童話に登場してもおかしくはないし、機関室という場所とも調和している。もちろん電気猫を抱き上げた機関長は山猫博士(笑)。
今回の作品(?)を読み返して感じたのは、パソコンらしいものには無季の句が多いということである。どうやら季節感のないもののほうが得意らしい。
他愛のない正月のお遊びはこれまで。明日からはマジメにやろうホトトギス。
January 03, 2014
Random Haiku House 月並おさらい編
本日も写真は撮っていない。お勉強を再開したからである。
そこで2000年10月1日にいたずらにシャッターを切った一枚。ああ、そういえばこんなカメラを使っていたんだっけ。売らずに手元に置いてあるけど、もう二度と使うことはないだろう……などと思い出にひたっている場合ではないか。
今日はいわゆる月並調とはなにか、ここでおさらいしておこう。
天保以後の句は概ね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並調といふ。しかれどもこの種の句も多少はこれを見るを要す。例へば俳諧の堂に入りたる人往々にして月並調の句を賞し、あるいは自らものにすることあり。けだしこの人月並調を見る事多からざるを以て、その中の一体やや正調に近き者を取てかく評するなり。焉んぞ知らんこの種の句は月並家者流において陳腐を極めたるものなるを。恥を掻かざらんと欲する者は月並調も少しは見るべし。(正岡子規『俳諧大要』)
されば月並調を見るべし。
まずはあたりまえすぎてちっともおもしろくない例を挙げよう。
むなしさや読まぬ書を積む夜ふけかな
正座して辞書真新し春ごたつ
ふるさとや町にひとつの女学校
いかにも卑俗陳腐にして見るにたえないが(笑)、一応理屈だけは通っている。
次はなんだかものたりないなあという例。
かなしさや使はぬ小屋の風の声
くたびれてものうき雲に運河かな
内科医師芋焼く煙山の昼
暑き日のひとりふたりと街の角
第一句と第二句はどうもだれかの真似をし損なったようにも思われる。第三句はいかにも適当に文句を並べたみたいだし、最後の句はただ「暇人だなあ」という印象しか与えない。
今度は前回も登場した歌謡曲調を並べてみよう。
古着商流れて来たる山の駅
子を負うて酒呑みに行く霜夜かな
渡り鳥われも帰らん最上川
木枯しにうつくしき人別れゆく
別るるや駅舎なき駅花の雨
第一句は上五を「露天商」に変えればさながらフーテンの寅さんである。第二句は女房に逃げられたダメおやじ。第三句は小林旭を連想させる。この中では最後の句がまあいいかと思うけれど、やはりいかにも作ったという印象はまぬがれないだろう。
しかし五七五の口調には麻薬的効果がある。卑俗でも陳腐でも、なんとなく納得してしまうから恐ろしい。ただバカにして鼻で笑うだけというのもどうかと思うのである。
国滅び少女うつくし雨の中
冬の星鐘打ちならし電車過ぐ
踊子やナイフ冷たし街の角
髪をすく戦火は遠し京の雨
朝霧やうごく時きて嵐山
雪だるま夜のむかうになほ残る
風やんでこの世美し風車
大阪やいづこより来る寒さかな
つまり一口に月並調といっても、中には「ひょっとしたらいいかも」とつい思ってしまう句もあるということだ。しかしたとえば「朝霧」の句などはちょっとよさそうだけれど、なんとなく嫌味が感じられる。こんな句を作って自慢する人がいそうな気もする。結局下手でも素直なほうがまだましということか。
実例を挙げてみよう。ダメなんだけど捨てられないものもあるのだ。
大学生よろめき出づる残暑かな
これは昔の自分の姿を見ているようでハッとした一句。あまりにもリアルだから、削除しようとしてできなかった。こうなるともう出来のよしあしの問題ではない(笑)。
次回は最終回。ばかばかしさに味があるという、パソコン俳句ならではの作品をまとめてみようと思う。
January 02, 2014
Random Haiku House ひとりぼっち編
今日は写真を一枚も撮っていないので、昔のファイルから。1998年6月17日に富士フイルムのDS20(30万画素)で撮影したものである。ある先輩から、実につまらん写真だといわれた覚えがあるけれど(笑)、このカメラで撮った中では一番気に入っている。ちょっとだけ手を加えて画像サイズを拡大してみた(原寸は 640×480 ピクセル)。
デジタルのものはいくらでも加工できるのだが、先日来ご紹介している俳句には一切手を入れていない。へたくそが手を加えると、たいてい質がさらに低下するからである。
まずはクリスマスの句。最近「クリぼっち」ということばを知ったが、クリスマスにひとりぼっちという句が多かったのは偶然であろうか。
クリスマスなにもかはらず空を見る
クリスマスだからといって、なにが変るというわけではない。この日もいつもどおりひとりなのである。
ひとり寝や歌流れくるクリスマス
きのどくである。慰めようもないくらいだ。
クリスマス女は酔ひて冬の川
ヤケを起こして身投げでもするつもりなのだろうか。
クリスマス海がうがうと狙撃兵
これもクリぼっち。だれを狙っているのかは知らぬが、狙撃兵はじっと孤独に耐えねばならない。
サラリーマンものも多かった。当然といえば当然だが、こちらもほとんど悲しいものばかりである。
サラリーマン色失ひしきのふけふ
なにかヘマでもしでかしたのであろう。それともリストラへの恐怖か。
サラリーマン心細さよ散る桜
サラリーマン足をぬらして雨の中
サラリーマン酔つて倒れる夜ふけかな
サラリーマン単身赴任おぼろ月
サラリーマン台風近し墓の上
なんだか絶望的な気分になってきた。サラリーマンなんぞになるものではないとつくづく思うけれど、たまには楽しいことだってあるのだ。
サラリーマン鱈の鍋食ふ夜の町
サラリーマン暖簾をくぐる嵐山
そりゃあそうだろう。酒でも飲まねばサラリーマンなどやっていられるものか。なお第二句だが、「嵐山」を京都の地名だなどと思ってはいけない。たぶんおでん屋であろう。
運転手ただなんとなく夜となる
運転手背中さびしき夜の霧
これもサラリーマンものの仲間に入れてよいだろう。景気がよくなったというのは大嘘で、タクシーは客待ちが多い。待っているうちにいつの間にか夜が来たのである。
恋の句が多かったのもめずらしいことだ。
初恋や別れかねたる喫茶店
初恋やよろめき歩く夜長し
月並もいいところだが、気持はよくわかる。
わがために口紅をさす娘かな
これはちょいと色気があってよい。
雪国や半年ぶりの恋をして
歌謡曲調とでもいえばいいのだろうか。国境のトンネルを抜けたのであろう。
恋破れ神を信ぜず老教師
恋破れ林檎をかじる冬の月
恋はまた破れるものでもある。祈りがかなえられなかった悲しみは深い。老教師が恋をしてはいかんという法律はないから、温かい目で見てやろうではないか。
さて今日で打ち切りにするつもりだったが、まだずいぶん残っている。あと一、二回は新年句会でしのげそうだ。
最後に今日もお気に入りの一句。理由は……やはりない(笑)。
青葡萄わがゆく闇のいつまでも
January 01, 2014
Random Haiku House 元日編
写真は全国一千万の釧路ファンにお贈りする元日正午頃の幣舞橋。夜半からの雨が早朝雪に変ったけれど、もうずいぶん融けている。
ではまずコンピュータよりも出来の悪い一句から。
めでたいと君がいふから初詣 薄氷堂
……といふわけで(笑)、信仰心などまるでないくせに、彼女といっしょに歩きたい一心で神社に詣でた若者も多いことだろう。それでいいと思う。神社の平和利用である。よからぬ魂胆があって政治的に利用するよりはずっとマシというものだ。
なおぼくにはそんなしゃれた彼女がいるわけもなし、今年はめんどうだから神社には行かなかった。相変らずのバチあたりである。
さてパソコンで強引に作った五七五、ちょいと予定を変更し、昨日出力したテキスト・ファイルの上五を「元日や・元旦の・初春や」などに置換していくつか選んでみた。まじめな作家のみなさまから見ればまことにけしからん話かとは思うけれど、一種の福笑いみたいなものなのだから、新年に免じておゆるしいただきたい。
新年といえばまず酒である。
元旦や髪ふりみだし酒二合
ぼくの知り合いにはそんな人はいないけど、世の中は広いものだ。しかしたった酒二合で髪をふり乱すようでは修行が足りない。
元日に酔つて倒れる愚かさよ
これは教訓めいているからつまらない。心学の先生あたりが作りそうな句である。
元日や女は酔ひて草を刈る
南国の農家であろう。夫との仲がしっくりいっていないのだ。もうじき消費税も上がることだし、茶碗を投げつけて割れば損をする。ストレスは草を刈って発散するのである。
元日やよろめき歩く女学生
初空やほのぼの赤き受験生
どうやら二人は恋仲らしいから、これら二つの句はペアで鑑賞したい(笑)。正月だから飲酒くらい大目に見てあげよう。
お次は旅の空で新年を迎えた人々。
元日や隣の女房一人旅
夫婦仲が取り立てて悪いというわけではない。夫は長く休暇を取れぬから、女房ひとりでハワイかグアムに出かけたのである。身勝手な女だ、などと思ってはいけない。亭主はかえって気楽なくらいで、各種アルコール飲み放題だから、まことにめでたい話なのである。
初風やわれも旅人伊豆の海
元旦やうつくしき人一人旅
一月や浮世を捨てて風の中
堂々たる月並調である。町内会報の俳句欄なら入選するかもしれない。
元旦や犬吠えかかる山の駅
元日や人を恐るる旅の人
第二句の鑑賞にはほんの少しだけ想像力を必要とする。なんとこの旅の人は指名手配犯なのである。こっそり山を降りた国定忠治というところか。
元旦や靴紐解けて嵐山
これなどはちょっといいかなあと思う。元旦であること、靴紐が解けたこと、そして嵐山に来ていることとの間には、なんの因果関係もない。それなのになんだか実際にありそうなところが値打ちであろう(?)。
月並調といえば、ほかに、
元旦や机のうへの冷たさよ
元旦や氷流るる運河かな
元日や肩すぼめゆく釧路川
特に第二句などは、恥ずかしくて顔が赤くなるほどの月並調といえよう。「運河かな」はもちろん「釧路川」や「アムール川」でも一向にかまわない(さすがにアマゾン川やメコン川は無理)。
最後はコンピュータならではの作品。
一月やわれを呼ぶ声墓の上
ゴシック・ロマンの伝統を受け継いだ一句である。Heathcliff が Cathy の霊に誘われたとでもいうところ。
元日に隣の女房鯉のぼり
きのどくに隣の細君は精神に少々異状をきたしたらしい。しかし正月の澄んだ空にひるがえる鯉のぼりは案外悪くないような気もする。
最後に、どこがいいのか聞かれても答えようはないけれど……
元日や夜のむかうに赤い花
正月早々汗ダクダクというところだが、明日もう一度だけ駄句におつきあいいただいたいと思う。
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