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April 29, 2013

Daily Oregraph: 裏庭画報 ウラホロイチゲの花

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 今日も雲が多かったけれど、気温が高かったのでウラホロイチゲの花が完全に開いていた。そこで
ぼくにしてはめずらしく、花をアップで撮ってみた。

 この花は一時ヤチ(谷地)イチゲと呼ばれていたらしい。

 
キクザキイチゲに似るが、がく片は5~8枚、短く幅が広い(『新版 北海道の花』)

 さて連日目の疲れる作業をしているので、さっぱり『アイヴァンホー』を読む気力が湧いてこない。気分転換に肩のこらないブラウン神父(Father Brown)ものでも読もうかと思っている。

 作者のチェスタトン( G. K. Chesterton, 18
74-1936)は批評家としても大変有名な人物である。ものすごい巨漢だったらしく、あまりにも腹が突き出ていたせいで、自分では靴ひもを結べなかったと読んだことがある。

 -そうか、えらい批評家になるためには、おれももっと腹を出さなくちゃ!

 あなた、そりゃカンチガイというものですぞ(笑)。

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April 28, 2013

Daily Oregraph: 裏庭画報 ウラホロイチゲ開花

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 ここしばらく仕事があったりして植物とはごぶさたしていたので、コンパクト・デジカメをぶら下げ、ひさしぶりに裏庭へ行ってみると……おお、早くもウラホロイチゲがいくつも咲いているではないか。

 あいにくの曇り空だし、気温も低く、花は開ききっていないけれど、四月中に開花するとはあっぱれである。この花はたいへん貴重な種類だから、わが裏庭の目玉商品といってよい。

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 こちらはご存じエゾエンゴサク。ごらんのとおり、裏庭のこの斜面はちょっとした自然公園だから、むやみに再開発するわけにはいかないのである。

 『嵐が丘』の脚注づくりは、途中で方針を変更して、(シャーロット・ブロンテの手が入った第二版によると思われる)電子テキストを、(エミリ・ブロンテの原稿に近いと思われる初版にもとづく)ペンギン・ブックス版のテキストに全文書き改める作業を追加したので、恐ろしくマニアックな仕事になってしまった。

 初版と第二版のテキストにはずいぶんちがいがある。まず句読点の位置があちこちでちがうし、コンマがセミコロンだったりその逆だったりするし、段落の長短も異なれば、方言の表記にもかなりの相違がある。

 さらにぼくの入手したヴァージニア大学提供の電子テキストは、校正を経ているためかなり出来はいいけれど、完全には信頼できないことがわかった。まだ第4章までしか片づけていないのだが、すでに明らかな誤りをいくつか発見した。一例を挙げれば、floor が door になっている誤りなどは、文の意味が通らないから困る。

 コンマひとつのちがいも見逃さぬよう、一字一句なめるように活字を追うのは、正直いってかなりしんどい。しまいに目がしょぼしょぼしてくるから、ブログなどを書こうという気
が失せてしまうのである。

  しかし完成すれば、電子テキストとしてはかなり信頼度の高いものになると思う。もちろん……一文にもならないけど(笑)。

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April 24, 2013

Daily Oregraph: 水の自動販売機

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 サンドレッドをほうり投げた瞬間。

 サンドレッドについては、以前にぎりこぶし型のものをご紹介したが、今回は別種の写真をお目にかけよう。

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 日本船はふつうこのタイプのものを使っているようだ。写真を撮る機会がありそうでなかったから、宿題をひとつ片づけた気分である。

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 サンドレッドなどに興味を持つのは船舶オタクくらいのものだろうから、十勝港の船舶給水施設をご紹介しよう。

 これはいわば水の自動販売機。釧路の給水方式とはちがうから、ぼくはめずらしいと思っているのだが、全国の港湾の中にはこれと同じものがあるのかもしれない。

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 ぼくの記憶ではもともと100円玉専用だったはずだが、最新型は500円玉も受けつける。

 ふしぎに思ったのは料金体系である。100円玉一枚あたりだと0.4立米なのに、500円玉の場合は1.7立米だから、計算が合わない。ふつうならまとめて買えば安くなるはずなのに(笑)、どうしてだろうか?

 さて大型船の場合、一度に100立米くらい給水することもめずらしくない。かりに給水
を50立米としても、100円玉を125枚も投入しなくてはならず、少々めんどうである。

 で、この給水料だが、釧路の場合は1立米あたり夏期465円、冬期698円だから、十勝港の1立米あたり250円というのはずいぶん安いと思う。

 しかし高い分だけ手間はかからないから、ぜひ釧路で給水してね(笑)。

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April 23, 2013

Daily Oregraph: 十勝港絵日記

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 ひさしぶりに厚内トンネルをくぐり、

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やって来たのは、麩入りラーメンの本場広尾町(十勝港)である。

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 十勝港に入港した船のセキュリティ・チェックポイント。こんな写真を撮るつもりはなかったのだが、同行したスコップさんのお膳立てだから、素直にパチリ。

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 岸壁ではめずらしい鳥をみかけたのだが、名前は不明。決着を多数決にゆだねるのは大いに疑問だが、いあわせた人々の意見はウミウであろうということで一致した。

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 ラーメンから鳥まで、守備範囲の広い当社カメラマンが最後に撮ったのは夕暮れ前の月。

 酔っているので、今日はこれまで。ほんの絵日記で終わってしまった。

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April 21, 2013

Daily Oregraph: 最後の(?)雪

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 これだからまだ野菜のタネを播けないのである。写真は17時に撮ったものだが、現在(18時50分)も雪は降りつづいている。これが最後の雪になるといいのだが。

 さて次の本に取りかかるはずだったけれど、方針を変更して、ネットからダウンロードした『嵐が丘』の原文テキストに脚注をつける作業を開始した。ちょっと時間はかかるけれど、いずれデータを公開すれば、ほんの少しは世のためになるだろう。一万人にひとりくらいは利用してくれるかもしれない(?)。

 今週は少し仕事がありそうだ。頭と体はまともに動くだろうか?

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April 20, 2013

Daily Oregraph: ニリンソウの葉

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 上天気だったので、まだ残っていた土を起こし、下準備が完了した。去年は一鍬ごとに雑草の根がからみつき、ひどく苦労したけれど、今年はずいぶん楽な作業であった。五月に入ったらもう一度手を入れてタネを蒔く予定。

 こんな狭い土地では専業農家はとても無理だけど(笑)、細々と野菜を育てるのはジジイにふさわしい仕事である。昔話でも欲張り爺さんはたいていろくな目に会わないのだから、欲を出してはいけ
ませぬ

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 もうニリンソウの葉が顔を出していた。裏庭のニリンソウが咲くのは、いつも春採湖畔より早いのである。放りっぱなしにしておいても勝手に咲いてくれるのだから、野の花はありがたいものだ。

 『嵐が丘』本文を読了。作者の集中力には並はずれたものがあり、途中不要な脱線はまったくないし、最後まで文章にはたるみなく、一気に読ませる。舞台は片田舎のごく狭い範囲に過ぎない
のだが、荒野にそびえ立つ独立峰のような作品だと思う。

 まだ「解説」が残っているけれど、明日にはそれも読み終わるだろう。さて次の本は、またしても19世紀(1820年)。

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 う~む、これはあまりぼく向きじゃないんだけど、やはり必読書のひとつだろうと思う。

 本文はたっぷり500頁。セリフ回しも「さようでござる。しからばごめん」てな調子だから、なんだか手こずりそうな予感がする。なんでこんな本を買ったんだろうか(笑)。

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April 19, 2013

Daily Oregraph: 雨、雪、そして晴れ

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 雨が降ったり、それに雪が混じったり、午後からは太陽が顔を出したり、変化に富んだ一日だった。

 半年ぶりに眼科の検査を受けたら、やはり白内障は認められるものの、まだ軽度だから当分は手術の必要なしとのことでホッとする。目は商売道具
ゆえ(?)大切にしなくてはいけない。半年後に再検査を受けることにした。

 『嵐が丘』も残すところ約10頁となった。悪魔の申し子のようなヒースクリフの心境にも微妙な変化が現れる。おれは死など恐れはしないという一方で、長い闘いがもう終わればいいのにと漏らすのだから、死の接近をうかがわせる場面である。

 闘いに明け暮れた男が闘う気力を失ったら、生きていたってしょうがない。あなただって、三度三度義務のように飯を食らい、ボーッとTVを見て時間を過ごすだけなら、長生きしたって意味はないと思うでしょう?

 さて次は
あれが読みたいし、そのためにも目は大切だな……などと考えているうちはまだ少しは生きている値打があるのかもしれない。しかし本を読もうという気力さえも萎え、さらにアルコールを飲みたいという欲望までも失ったら、それでもなお漫然と生きつづけるとしたら……ああ、想像するだけでもゾッとする(笑)。

 いや、けっして笑いごとではない。これはだれもが一度はきっと味わう
不安なのだから。夢疑うことなかれ。

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April 17, 2013

Daily Oregraph: お話の話

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 ここ数日マジメに『嵐が丘』を読んでいた。というよりも、そのすさまじい迫力に圧倒されて読まされたのである。あっという間に残り60頁を切ってしまった。本物とはそういうものなのだろう。

 写真は1955年4月16日に亡父の撮影したものである。紙芝居に見入るこどもたちの食い入るような表情をごらんいただきたい。思うに、文学史上に残る大傑作も、市井の職人がこしらえる紙芝居も本質は同じ。ようするにお話である。

 『嵐が丘』と紙芝居をいっしょにするのはけしからん(笑)、という気むずかしい人も当然いるとは思うけれど、お話である以上、おもしろいというのは第一条件である。古典として残るかどうかは、そのあとの問題である。

 だってまず読んでもらえなくては、聞いてもらえなくては話にならないでしょうが。純文学も大衆文学もヘチマもなく、おもしろさでお話に読者を引きずりこんだあとが作家の手腕の見せどころというものだろう。

 おもしろいといったってレベル
いろいろあるでしょうに、という議論ならもちろんよくわかる。

  こどもたちには黄金バットが「ワハハハハ」と笑うだけでも十分おもしろいけれど、大人にとってはそうはいかないだろう。黄金バットは実は悲しい失恋のはてにヤケを起こしてお面をかぶったのだとか、左翼政党内での権力闘争に敗れてひねくれたのだとか(笑)、株で大損をして世を呪っているのだとか、分別をそなえた大人を納得させるだけの理由、興味を持たせるだけの中身がなければなるまい

 しかしはっきりしているのは、批評家だけがほめたってダメということ。ぼくみたいな凡人がウ~ンとうならなければ古典にはならないにちがいない。

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April 14, 2013

Daily Oregraph: 鍬を入れる

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 天気がよかったので、裏の棚田(?)に今年はじめて鍬を入れた。ほんとうなら小作人に任せたいところだが、あいにく人手不足だから、お坊ちゃまみずから鍬をふるわねばならないのだ。去年の教訓を生かして、無理をせずに少しずつ作業するつもりである。

 去年はほんの実験程度だったが、今年は耕作面積を一挙に三倍にしようと思っている。T
PP などくそくらえという意気込みなのだが、さてうまくいくかどうか?

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 畑の隅に咲くフクジュソウは、もうこんなに丈が伸びていた。枯草の間をよく見ると、クモがちょろちょろしていたり、やはり季節はすっかり変わったらしい。ただしまだ雪の降る可能性はある。タネを播くのは五月になるだろう。

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April 13, 2013

Daily Oregraph: いつもの散歩コースから

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 ひさびさにいつものコースを散歩。臨港鉄道沿線ではフキノトウがボコボコと顔を出しはじめていた。

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 知人の浜では、漁師さんがまだ冷たい海に入って昆布を拾い集めていた。

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 知人の路地にて。この黒猫には見覚えがある。向こうもこっちの顔を思い出そうとしているらしかった。犬には抜群の記憶力があるけれど、猫はどうなのだろうか?

 犬以下の記憶力を誇るおじさんは、帰宅後昨日サボった読書に取りかかる。

 おやおや、忽然と嵐が丘から姿を消したヒースクリフが三年ぶりに舞い戻ってきたぞ。これはえらいことになる……というのは先刻承知しているのだが(笑)、やはりドキドキするものである。

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April 12, 2013

Daily Oregraph: ウィスキーのはかどる話

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 遅くなってしまったが、ノートを読み終えたお祝いのケーキ。どうも妙なクセがついてしまったようである(笑)。

 さて金持ちの好男子エドガー・リントンの求婚に応じたものの、心の底ではヒースクリフを愛するキャシーは、自分を無理にも納得させるため、使用人ネリーの賛意を求めようとする。しかしキャシーをよく知るネリーは、"Why do you love him (=Edgar), Miss Cathy?" と問答式に問いつめる。

 この場面は法廷を思わせるきびしさにあふれ、ネリーは「それはようございました」というようなおべんちゃらはいわず、キャシーの答をひとつひとつ徹底的に論駁する。なんとなく好きなの、という一切のあいまいさやごまかしを赦さないのである。エミリ・ブロンテの性格の一端がうかがわれるような気がする。

 やがて真情を吐露したキャシーのセリフがすごい。彼女が
実はヒースクリフを愛しているのは、ハンサムだからではなく「彼は私よりも私he's more myself than I am」だからなのだという。ヒースクリフと私の魂はひとつなの、というのである。もし舞台で演じたら、観るものみな圧倒されて、場内シーンと静まりかえるところだろう。

 それならヒースクリフといっしょになればいいのに、という当然の疑問は、文庫本をお買い求めの上(笑)解決していただきたい。ちょっと手前勝手ながら、キャシーにはキャシーの言い分もあるのである。

 さてこういう究極の恋愛が地上で成就するとは、ぼくには到底想像もつかない。ヒースクリフとキャシーのような男女が、いわゆる幸福な家庭を築いてめでたしめでたしという結末などありえないことは、物語の最初から予感されるのである。

 この世では結ばれぬふたりが天国でいっしょになるという少女マンガ風の空想もまた、この小説にはそぐわない。このふたりはキリスト教の天国には入れてもらえそうにないから、キャシーの幽霊がそうであったように、荒涼たるヒースを永遠にさまようしかないにちがいない。19世紀半ばに牧師の娘がこういう小説を書いたというのは、ぼくには驚きである。

 それにしてもいい年をしたおじさんがこの空前絶後の大恋愛小説を読むとなれば、とてもシラフではいられない(笑)。ウィスキーのはかどることといったら……

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April 10, 2013

Daily Oregraph: 春採湖畔 冬と春の境目

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 約二ヶ月ぶりに春採湖畔を歩いた。湖面にはまだ薄い氷が残っているけれど、

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エゾエンゴサクや、

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キバナノアマナが咲いていた。

 花々春の到来を告げているけれど、まだまだ油断はできない。ひょっとしたらもう一度雪かき……という可能性も残っているのである。

 さて気楽に読むつもりだった『嵐が丘』だが、やはり古典を乱暴に読み流すわけにもいかず、まだそれほど進んではいない。しかしけっして退屈するような作品ではなく、それどころか抜群におもしろいのだから、どうか誤解なきよう。

 キャシーの幽霊が登場する有名な場面を読んで、おや、と思ったのは、その出現時刻である。幽霊の恐怖から解放され
、しばらくしてから時計を見たロックウッドは「まだ三時になっていない」という。

 以前レファニュの短編から「時は午前二時。通りは墓場のように静まりかえっていたという一文をご紹介したが、キャシーの幽霊もまた午前二時ころに現れたことがわかる。

 洋の東西を問わず、しばしば幽霊が午前二時に現れるというのは、人間の生理に関係するのかもしれない。幽霊の実在は大いに疑問だとしても、人間が午前二時に幽霊を見やすいということは事実なのだろう。

 幻覚であれなんであれ、幽霊なんぞ見たくもないから、おたがいに夜ふかしはほどほどにしたほうがよさそうである。

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April 08, 2013

Daily Oregraph: 嵐のあとで

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 昨日強風が吹き荒れたので裏庭の板塀を点検したところ、なんとか無事だったので一安心。おまけに先日いつもの場所からは姿を消したと書いたフクジュソウが、実は遅れて咲いていた
わかり、ちょっといい気分である。

 今日から『嵐が丘』に取りかかる。この作品の初版は1847年で、1850年には姉シャーロットの編集した第二版が世に出た。第二版にはシャーロットが編者序文のほかに 'Biographical Notice of Ellis and Acton Bell' という文章を寄せている。

 カラー(Currer 実は Charlotte)、エリス(Ellis 実は Emily)およびアクトン(Acton 実は Anne)・ベル(Bell)の名で出版されたすべての作品は実は同一人の手になるものだ、と考えられてきた。

 その誤解を完全に解こうという趣旨なのだが、詳しい事情についてはここでは触れないことにする。この文章の読みどころは、早世した二人の妹について書かれた後半の部分にあると思う。

 エミリは1848年12月19日、アンは翌年の5月28日、それぞれ30歳と29歳という若さで病死した。二人に対する深い愛情
と悲しみのこもった文章はまさに天下の名文で、胸に沁みるものがある。

 エミリについて述べた「
男よりも強く、こどもよりも純真で、その天性には並ぶものなかった」という一文はたいへん有名なもので、エミリには vigour(精神力)と simplicity の両極端が同居していたとも評している。エミリは他人には優しい一方でみずからにきびしく、容易に自分を曲げぬ性格、つまり損なたちでもあったらしい。

 末の妹アンはエミリよりもはるかに地味な性格で、いわば常にじっと耐える女性であったらしく、シャーロットはエミリには energy と fortitude(不屈の精神)、アンには endurance と patience(いずれも忍耐) ということばを充てて比較している。

 シャーロットはさすがに作家らしい冷静な眼をもって二人の妹とその作品を評価しているが、世間がなんといおうとも、二人の才能に対する確信はゆるぎなく、

 他人にとっては二人は取るに足らぬ存在であったし、皮相な人々の目にはそれ以下の存在とも映ったが、身近にあってその生涯を親しく知る人々にとっては、二人はまことに善良であり、そしてまさに偉大であったのだといってすべてをしめくくることにしたい。

としている。

 編者序文もまた一読に値する文章で、並々ならぬ洞察力とエミリに対する深い愛情とに満ちている。せっかくいい文章を読んだのだから、今夜はその余韻にひたりつつ……やっぱり一杯やることになるなあ(笑)。

 どちらもたぶん文庫本には収録されているのではないかと思うので、ぜひご一読されるようおすすめしたい。

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April 07, 2013

Daily Oregraph: ウィスキーのビン未満

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 外は嵐。嵐を呼ぶ男、根岸冬生さんによれば、男にとっては「嵐といえば、決闘」なのだそうである(笑)。

 よろしい、おれも男だ。今日こそは決着をつけようではないか……というわけで、午前中いっぱいかかって、とうとう取りためたノートを読み切った。きれいに製本したつもりだったが、読み終わったらクタクタになって
いる。

 ノートを取りはじめたのは去年の2月20日だから、約一年と一ヶ月半かかったことになる。ばかばかしいとは思ったけれど、記念写真ね(笑)。

 それにしてもこれだけの日数をかけて作ったノートを積み重ねても、ウィスキーのビンの高さに届かないとは。このたびは意識的に時間をかけた作業であったとはいえ、凡人が一生になしうる仕事などたかが知れているということだろう。

 もちろんいつまでもこんなペースをつづけるわけにはいかない。明日からは
うんと手抜きをして、楽しみながら読むつもりである。

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 次は『嵐が丘』(またしても19世紀)。これは再読である。最初に読んだのはもう二十年以上前になるだろうか。当時の本はどこかへいってしまったので、今回は十数年前に買っておいた手つかずのものを読み直すことにした。2.50
ポンドのモトを取らねばならぬ。

 勝負に一応の決着をつけたから、今日は昼間から一杯やることに決めた。写真のウィスキー、まだ空にはなっていないからね。

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April 05, 2013

Daily Oregraph: 美をさぐる

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 港をウロウロしていると、よく知った顔に出会うものだ。

 -やあ、薄氷堂さん! どこかで見た顔だと思いましたよ。

てなぐあいである。ちょっと立ち話するとたちまち昔どおり、万国の労働者同士は実に話が早い。

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 マチスの絵を買えぬ労働者にだって美を追究する心はある。あるにはあるのだが……あいにく倉庫の中には美術品は見あたらないから、わけのわからないものを撮ることになる。

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 おお、これなどは油絵にしたらよさそうだぞ……と思ったのだが、ヘルメットをかぶったおじさんの審美眼は確かなりや? あまりあてにはならないか(笑)。

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April 03, 2013

Daily Oregraph: ふり返るのは一度だけ

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 今日は仕事の写真しか撮らなかったので、昨日の続編。ずいぶんベタな写真だが、これは巡視船「そうや」の船体である。ウソだとお思いなら(だれも思わないか(笑))、北埠頭西側岸壁へ行って確認すべし。なかなか美しい船だから、一見の価値はある。

 いよいよ最後のノートに取りかかる。ノートをいっぺん復習したからといって、記憶が定着するわけではない。この年になれば、読んだはしから忘れてしまうのだから閉口する。そうかといって、死ぬまでノートを読みつづけるのも間の抜けた話である。

 昔の大学には、黄色く変色した古いノート一冊で飯を食っている先生も
まれにはいた。ウワサには聞いていたけれど、まさか冗談だろうと思っていたから、ほんとにお目にかかったときには驚いた。薄っぺらいノート一冊で生計を立てるとは、ずいぶん効率のいい商売である。

 しかしもし彼がそのノートを失ったら、いったいどうするつもりなのだろうか? もうあのお年では新しいノートをこしらえることはできまい。鴨川に身を投げるのかしら、などとバカなことを考えたものである。

 ノートと心中するなんておよそバカな話で、そんなものは一回読み返したら捨てちまってもいい。どうせお迎えも近いんだから、あれも捨て、これも処分し、しかし芋焼酎のビンだけはしっかり抱えて往生するのが男の理想というものではないか。

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April 02, 2013

Daily Oregraph: 春よ来い

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 今日はちょいとがんばって、『月長石』のノートを一気にかたづけた。シラフなのにもつれる舌を酷使したから顎が疲れ、もうなにもしゃべる気にはなれない。

 こうも舌が回らぬということは、顔の筋肉や顎の使い方にどこか根本的な問題があるにちがいない。いずれ一から研究しなおそうと思っている。カラオケ教室で発声練習なんてのも悪くないか(笑)。

 残るは『19世紀の英国』のノート一冊のみ。なにがなんでも今月半ばまでには終わらせて、ひさびさにケーキを食いたいものだ。下旬からは春採湖畔にも通いたいしなあ。

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April 01, 2013

Daily Oregraph: 裏庭のフクジュソウ

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 雪があらかた融けたので、ほんとうにひさしぶりに裏庭へ行ってみた。いつも三月下旬にはフクジュソウが咲くから、確かめたかったのである。

 去年土をほじくり返したせいか、毎年まとまって花の咲く畑の端っこには見あたらなかったけれど、斜面にはちゃんと咲いていた。釧路にもやっと花の季節が巡ってきたのである。

 昨日と今日は、先週の遅れを取り戻すべくマジメにノートに取り組んだ甲斐あって、おおいにはかどった。今週中には終わらせる目途がついたから、今夜はゆったりした気分で酒が飲める(そのためにやっているんかい(笑))。

 ノートはこのほかにもう一冊。それを片づけたらぼくにも春が来る。

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