Daily Oregraph: 2003年十勝沖地震をふり返る
喉元すぎればなんとやら、というのはほんとうだ。災害はときどき振り返って見る必要があると思う。
昨夜の地震は幸い大きな被害はなかったけれど、十年前の2003年9月26日の地震はM8と規模が大きく、当地方は大きな影響を受けたことをご記憶の方も多いだろう。そこで当時の写真をいくつか掲載し、地震の恐ろしさを再認識したい。
これは釧路港西区第4埠頭南東コーナー部である(2003-9-26撮影)。
一見中程度の被害のように思われるかもしれないが、実はそうではない。画面右上の黄色の矢印にご注目いただきたい。全体が平面だったのに、大きな段差が生じている。
一枚目の写真の段差を東から西へ向かって撮ったもの(2003-9-26撮影)。
段差の高さは手前で約60センチ、西端では1メートル以上だったと記憶している。
耐震設計の岸壁がこれほどの被害を受けるのだから、地震のエネルギーのすさまじさが想像できる。
同じく第4埠頭の東側岸壁(2003-9-29撮影)。大きな亀裂が走っているうえに、中央部が全体的に陥没している。
これは(たぶん)第4埠頭の道路脇で撮ったもの(2003-9-26撮影)。いわゆる液状化現象である。
西港のある倉庫内に置かれていた車(2003-9-26撮影)。これは廃車になったはずだ。人間なら即死である。
このときはぼくの車も被害を受けた。車両保険に地震特約を付けるきっかけとなった出来事である。
倒壊した厳島神社の鳥居(2003-9-28撮影)。現在は再建されている。
この地震の揺れは尋常ではなかった。ぼくは家がギシギシ鳴る音というのを生まれて初めて耳にし、死ぬかもしれないという恐怖を覚えた。幸い釧路での津波の高さは約1.2mですんだけれど、場合によっては東日本大震災に近い被害を受けたかもしれないのである。
防潮堤のかさ上げをしたって、それを超える津波が襲来するかもしれない。津波がこなくたって、地震の揺れで建物が倒壊したり、配管が破壊されたり、機器が損傷を受けるかもしれない。
それを承知でなおも原発を維持しようという人々の気がしれないのである。口を開けば経済、経済というが、死屍累々たる荒野を前提とする経済とはいったいなんだろうか?
The comments to this entry are closed.
Comments
地震や津波といった自然災害だけではなく、人間だからこそ生じうる人為的なミスを想定しないことはすでに非科学的な行為です。
さらには、原発を推進なさってる現首相あたりが敵国と見なしている国々がちょいと原発辺りを占拠すればどうなるのか・・・
考えただけでも怖いことなのに・・・
Posted by: 三友亭主人 | February 03, 2013 22:42
>三友亭さん
> 人為的なミスを想定しないことはすでに非科学的な行為です。
「絶対安全」などと、まともな科学者だったら決して口にしないはずですよね。
> 原発辺りを占拠すればどうなるのか
原発を攻撃されるのも想定外、ということなんでしょう。
Posted by: 薄氷堂 | February 03, 2013 23:31