Daily Oregraph: まちがいの話
昨日カッコよく宣言した手前散歩に出たのはいいけれど、道路はあいかわらずカチカチ。雲の向こうには太陽が見えているし、風もほとんどないのだが、ちっとも暖かくない。しかたがないから無理な写真を一枚撮って帰ってきた。これでは運動不足になるのも無理はない。
さて先日間抜けにも sympathy を symphony と書いたお話をしたが、人間しょせんまちがいからは逃れられぬ運命にあるらしい。
これはペンギン版(1985年印刷)の Emma なのだが、赤線の部分にご注目いただきたい。最初に読んだときにも首をかしげた箇所である。今日ノートを読み返すと、やはり意味が通じにくい。
そこでネット上のテキストを参照すると、by influence ではなく、by inference が正解のようだ。なるほどそれならすんなり意味は通る。こういう誤植もたまにあるから気をつけなくてはいけない。論文でも書こうという奇特な方は、テキストを数種類用意したほうがよさそうである。
よくよく考えてみれば、まちがいはどこで起こるかわからない。まず作者自身が書き誤ることだってないとはいい切れない。それを校正者(昔なら写本制作者)が見のがしてしまうかもしれないし、別の余計なまちがいを犯してしまうかもしれない。原稿にまちがいがなくとも植字工がミスをする可能性もある。たとえ本の仕上がりが完璧でも、不注意な学生が(笑)ノートに書き写す際にまちがうことだってある。外国語だろうと日本語だろうと事情は同じである。
原作に人手の加わる翻訳ともなれば、まちがいの生ずる可能性はいっぺんに拡大してしまうだろう。そのまちがった翻訳を読者がさらに誤読すれば、最終的に白が黒になってしまうことだってあるかもしれない。
さあ、どうしましょう? といったってどうしようもない。人間だもの(笑)。小説のたぐいなら、いくら誤解したって戦争がおっぱじまるわけではなし、たいして害はなかろうと観念するしかないと思う。
しかし外交文書や契約書の場合はそうはいかない。一国の命運、企業の存亡がかかることだってないわけではないから、まちがいは赦されないのである。しかし赦されないといったって、いつかまちがいは起こるだろう。さあ、どうしましょう?
残りのおでんで熱燗を一杯やりながら、めずらしくそんなまじめなことを考えた。考えたってしかたがないんだけどさ。
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Comments
「お前、誤字が多いんだよ」
そう言われて
(うっせいや。老眼でよく見えねえんだよ。
予算ケチってるから、校正マンも雇えないし)
そう毒ついたのはつい数日前。
こんな記事がUPされるとドキッとしちゃいますね。
ちなみに昨日のおでん、美味そうでした。
Posted by: 根岸冬生 | January 15, 2013 01:30
うぉ!すごいお写真!!
自然のすごさを感じると言うか、前衛芸術のようですねぇ。
あー、こういう風に並べ順とか一文字の違いで全く意味が違ってしまうから英語(アルファベット表記言語)は嫌い!
言語の違いが思考の違いに直結するなぁと感じます。
Posted by: りら | January 15, 2013 06:40
>根岸冬生さん
> うっせいや。老眼でよく見えねえんだよ。
幸いなことにぼくはまだ老眼が進行していないんですけど、最近読みちがいはずいぶん多くなりました。
今回も自分の誤記をまず疑いましたが、幸い(?)テキストのほうのまちがいでした。
> 予算ケチってるから、校正マンも雇えないし
う~む、それはつらいですね。まちがいをみつけるには、第三者に目を通してもらうのがもっとも有効ですから。
Posted by: 薄氷堂 | January 15, 2013 10:06
>りらさん
インターネットにたくさんあるパブリックドメインのテキストは要注意です。特にグーテンベルクはミスタイプが多いと思います。
しかし単純なミスタイプならたいていわかるからいいんですけど、今回のような誤植は困りますね。わからないのはおれの頭が悪いせいだと思ってしまうじゃありませんか(笑)。
>(アルファベット表記言語)は嫌い!
その点日本語は、漢字・ひらかな・カタカナのあるおかげで、パッと見ただけで要点がつかめるという利点がありますね。文字が三種類もあるのは不合理だという人もいますけど、必ずしもそうではないと思います。
Posted by: 薄氷堂 | January 15, 2013 10:18