Daily Oregraph: 執事の文学有用論
昨日はたまたま晴れたけれど、このところどうもパッとしない天気がつづく。もっとも晴れたからといって、どこかへ遊びに行こうというわけではない。せいぜい春採湖畔を散歩するくらいのものである。
習慣とは恐ろしいもので、そろそろノンキに……と思っていたのに、結局はこれまでとペースはたいして変わらない。判を押したような生活である。それでも退屈せずにすむのは、小説のおかげだろう。変化が紙の上に次から次へと現れるからだ。
このように、文学とは実はたいへん有用なものなのだから、文学部をごくつぶし(笑)のようにいう人にはぜひ反省していただきたいものである。
一冊の本がどれほど人の役に立つか、『月長石』の語り手のひとりである執事のベタレッジ老はこう証言する。たいへんな説得力があると思う。
ものを知らぬ男のいうことだ、などとお考えににならぬよう願いたいのですが、わたしは『ロビンソン・クルーソー』ほどの本はこれまでなかったし、この先もう二度と書かれまいと思うんですよ。わたしは長いことあの本とつきあってきました-たいていはパイプをふかしながらなんですがね。人生でどんな困りごとがあったって、心強い味方になってくれるのです。気分が落ち込んだら、『ロビンソン・クルーソー』。相談ごとがあったら、『ロビンソン・クルーソー』。昔女房にうんざりさせられたときも、このごろ酒に酔ったときも、『ロビンソン・クルーソー』。すっかりこき使ったものですから、頑丈なロビンソン・クルーソー君を六冊分ボロボロにしてしまいましたよ。奥様がご自分の最後の誕生日に七冊目をくださいましてね、それがうれしくてつい酔っ払ってしまったんですが、『ロビンソン・クルーソー』のおかげでまた正気を取り戻したというわけです。値段は4シリング6ペンス、青い装幀の、挿絵までついた本なんです。
さあ、あなたも女房を質に入れて(4シリング6ペンスね)、『ロビンソン・クルーソー』を買いに走るべし。
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Comments
>、文学とは実はたいへん有用なものなのだから、文学部をごくつぶし(笑)のようにいう人にはぜひ反省していただきたい
いやあ、有難いお言葉であります。なにはともあれ文学部を卒業した私がこうやって何とか口に糊をしているのも、文学のおかげ。文学のことを悪しざまに言われるとどうしてもいたたまれない気持ちに・・・(笑)
特に私が習ったものは・・・今の世には何のかかわりも持たぬかのように見える上代文学。それでも何とか家族を養っておりまする・・・・
Posted by: 三友亭主人 | November 09, 2012 22:03
>三友亭さん
なあに、たとえば経済学だって景気を自由自在にコントロールできるわけじゃなし、文学部が小さくなっている理由はありませんよ。
それに上代文学といっても、人類の歴史から見れば千年なんてほんの一昔、ちっとも古いことはありませんよ。どうか胸を張って一杯おやりください(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | November 09, 2012 22:46
うわ!そんなにすごい本だったのですねぇ。
ロビンソン・クルーソー・・・ちゃんと読んだ記憶がありません。
本屋に走らねば!あ、でも、売ってない確立の方が高い!
私にとっての「ロビンソン・クルーソー」は無いだろうか?と考えてみましたところ・・・ベタレッジさんのような具合にはいきませんが、手持ちの本で一番多く読み返しているのは「麻雀放浪記」かも・・・嗚呼、ヤサグレ。
Posted by: りら | November 11, 2012 14:28
>りらさん
『ロビンソン・クルーソー』は昔こども向けの翻訳を読んだ記憶があります。ペンギン版の原書も持っているのですが、こちらはまっさら(笑)。
すごくおもしろいかどうかは疑問ですが、ベタレッジさんは処世の知恵に富んだ書物として尊重しているのだと思います。韋編三絶どころか、6冊ダメにして現在7冊目というからすごいですねえ。りらさんの『麻雀放浪記』は何冊目ですか?
初版が1719年ですから、約300年前。わが国ではだいたい『心中天網島』のあたりです。しかし原文は平易明快なのでビックリします。いずれ読まなくちゃ。
Posted by: 薄氷堂 | November 11, 2012 17:52