Daily Oregraph: 『月長石』のでどころ
アカガレイ。名前は知っているが、まだ食べたことはない。なるほどヌメリが赤っぽいので、アカガレイというのか。
買い物のついでに外付けの HDD を一台。2TB のものが 9千円を切って買えるのだから、ずいぶん安くなったものだ。現在使用中のもの(1TB)が 3年半を経過したので、ダブルバックアップ体制を取ることにしたのである。HDD はいつ昇天してもおかしくないので、とにかく怖い。
さて The Moonstone についていくつか。
まず Moonstone(ムーンストーンと呼ばれるダイヤ) の陰に moonstone(月長石)ありという、ややこしいお話を、巻末の注記から。
ウォルター・デ・ラ・メア(Walter de la Mare, 1871-1956)の『1860年代(Eighteen Sixties)』によれば、チャールズ・リード(Charles Reade, 1814-1884)は兄(弟?)がインドから持ち帰った moonstone(月長石)を持っており、それが最初にこの小説(The Moonstone)の着想を与えた。
つまりコリンズは moonstone という名を、文字どおり月の石という意味でダイヤにあてたわけである。これでモヤモヤがすっきりした。
なおデ・ラ・メアは、含みの多い詩的な文章を書く人で、どちらかというとじっくり読ませるタイプだと思う。よくイギリスの怪奇小説のアンソロジーに作品が収録されているから、お読みになった方も多いのではないだろうか。
チャールズ・リードはずいぶん有名な作家らしいけれど、ぼくはまだ読んだことがない。批評家筋の評価はあまり高くないらしく、日本で翻訳が出ているという話も聞いたことがない。それならそれで、にわか19世紀愛好家としては(笑)、作品をひとつくらい読まなくちゃいけないと思っている。
『月長石』は最初の「本格的」長編推理小説と呼ばれるだけあって、読者に謎解きの楽しみをたっぷり与えてくれる。しかしなによりも舌を巻くのは、人物描写のたしかさだろう。英文学の古典として残るだけの正当な理由は十分にあると思う。
物語は数人の語り手の手記や登場人物の書簡によって構成されるのだが、もちろんその趣向はコリンズの独創ではない。だがそれぞれの語り手の息づかいまで感じさせる手腕はみごとというほかない。
たとえばよけいなお節介をして、周囲から嫌われる狂信者ミス・クラックなどは、あまりにも真に迫っているので、コリンズの実体験にもとづくものにちがいないと思ったら、「解説」によると、まさにそのとおりであった。実際にお読みになれば、21世紀の東洋にもこの手の人物がいることに思い当たるだろう。加害者(?)の心理に立ち入って書いているところが、作家の腕前である。
また直接の語り手ではないが、長い手紙を残して自殺する薄幸の女性ロザナ・スピアマンもまた忘れられぬ人物のひとりである。彼女の告白の生々しさは息を呑むほどで、その心理描写はとても男性作家の手になるものとは信じられない。この部分だけでもムーンストーン一個分の値打ちはあるにちがいない。
まあ、長くなるからこのへんでやめておくが、この作品は『白衣の女(The Woman in White)』をしのぐ傑作だとぼくは見た。当時の大ベストセラー『白衣の女』はべらぼうにおもしろい小説だが(岩波文庫版の翻訳がある)、ちょっとオカルト趣味が目立ちすぎる。『月長石』にも出だしにややオカルト風味が感じられるけれど、ほんの味つけ程度ですんでいるのはなによりだと思う。
ノンカロリーのご馳走を味わいたければ、たまにウィルキー・コリンズの小説などはいかが?
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Comments
如何に価値観や生活様式が変わろうとも、人間の根底を流れる感情の起伏は変わらないということなんでしょうか?
昔の小説でも「人」がしっかり描かれていると、全然古さを感じなかったりしますね。
コリンズ、読んでみたいと思います、勿論、翻訳で。
Posted by: りら | November 27, 2012 12:41
こんにちは!
『ムーンストーン』なかなか面白そうな小説ですね。
薄氷堂さんの語り口はもう翻訳小説の「解題」の領域に入っていますよ!
ところでアカガレイですが、なぬっ!
「調理は御遠慮ください」ですと?
それでは買っても食べられないではないか!
なあんて、面白看板めいたことを考えてしまいましたよ。
Posted by: 只野乙山 | November 27, 2012 18:30
>りらさん
『白衣の女』も傑作ですので、どうかお忘れなく。ハラハラドキドキ、おもしろく読めることうけあいです。
コリンズは失敗作も数々あるみたいですが、『白衣の女』と『月長石』は古典として残ることまちがいなしですね。
おっしゃるとおり、風俗習慣のちがいはあっても、人間の喜怒哀楽はダイレクトに伝わってまいります。もちろんそれがどこまで異国の劣等生(笑)に伝わるかは、作家の手腕にかかっているわけですが。
Posted by: 薄氷堂 | November 27, 2012 20:20
>只野乙山さん
あちらの本は、たいてい巻頭に INTRODUCTION があるんですけど、どうも理解に苦しみます。
解説を先に読んじゃうのは、どう考えてもまずいですよ。まずは先入観を持たずに本文を読むのがすじですよね。だからぼくは必ず最後に読んでいます。
特にこの手の作品は、内容について書きすぎてしまうと、いわゆるネタばれの恐れがありますから、ほどほどにしておきました。
> 「調理は御遠慮ください」ですと?
たしかに誤解を招きますね。「調理サービス」とでもすればいいかもしれません。
アカガレイは食べ方がわからないので、結局買いませんでしたが……
Posted by: 薄氷堂 | November 27, 2012 20:33
赤カレイはこちらでもよく打っていますよ。もちろん切り身ですが・・・
子持ちのやつがほとんどで、しかもその子がたっぷりで・・・実はほとんどないって具合で・・・
でも、煮つけにすると、そのわずかな切り身でも3合は行けちゃうんですよね・・・
Posted by: 三友亭主人 | November 27, 2012 22:35
>三友亭さん
おお、煮付けがうまいんですか。ありがとうございます。今度売っていたら試してみますね。
しかし一切れで三合の飯とは恐るべし。
三合の飯食ふ男にあかがれひ
一切れとても煮ては出すまじ
Posted by: 薄氷堂 | November 28, 2012 00:35
>三友亭さん
「三合」って、日本酒三合(540ml)ですよね〜?
これくらいは毎日というかそれ以上飲んでますが、炊飯ジャー八分目もある三合飯はとても一人じゃ食べられませんもの。
Posted by: アナログ熊さん | November 28, 2012 06:06
>アナログ熊さん
ハハハ、これは失敗しましたね。
実は三友亭さんは伝説的な大食漢だとお聞きしていたものですから(笑)、ついご飯のほうを想像してしまいました。
三合も食へるものかとあかがれひ
三切れで一升酒を飲むとは
Posted by: 薄氷堂 | November 28, 2012 07:48
>薄氷堂さん
大食漢といえば宮沢賢治ですよ。
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
って、玄米を一日3食としても四合なんてとても食べきれません。
私の朝食(朝だけ)は玄米雑穀ご飯ですが、お茶碗に軽く一杯でも顎が疲れてもう充分です。
明治の人は粗食大食+強靭な顎と歯だったんですね〜。
Posted by: アナログ熊さん | November 28, 2012 09:50
>アナログ熊さん
賢治さんは農作業をしたり、野山を歩いたりして体を使っていたようですから、ほんとに玄米四合食べたのかもしれませんね。
熊さんの場合、あまり体が重くなると、お仕事にさしつかえが出るんじゃないかと……余計なお世話ですが、お酒を一合減らしてはいかが?
ぼくは屋根の上には上がりませんから、現状維持ね。
Posted by: 薄氷堂 | November 28, 2012 12:56
>三合も食へるものかとあかがれひ
三切れで一升酒を飲むとは
いやあ、熊さんのおっしゃるようにお酒を3合ですよ。
いくらなんでも米3合は30代までの話です。
今は息子たちが3合飯を食べています。おかげ米櫃も冷蔵庫もいつもすっからかん。
>玄米を一日3食としても四合なんてとても食べきれません。
うちの死んだ爺さんが言ってましたが、軍隊にいて戦地にあった頃、まだ供給が普通に行われていた頃は一日5合の配給があったらしいです。それを自分のぶんは自分で飯盒で炊いて・・・って感じだったらしいです。おかずはないってことですから、それでも足りないぐらいだったと言ってたような・・・爺さんは二度目の召集で40過ぎてからの戦地だったのですが・・・
Posted by: 三友亭主人 | November 28, 2012 18:05