June 30, 2012
June 29, 2012
June 28, 2012
Daily Oregraph: たまにはケーキを
う~む、ちょいとシャレすぎているからおっさんには似合わないけれど(笑)、『エマ』読破祝いにはふさわしいかもしれない。
すぐ次の作品に取りかかる都合もあるので、長々と読書感想文を書くはやめておくが、私も読んでみようかしらという奇特な方のために、漱石の『文学論』から、
Jane Austen は写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技神に入るの点において、優に鬚眉(しゆび。男性のこと)の大家を凌ぐ。余いふ。Austen を賞翫あたはざるものはつゐに写実の妙味を解しあたはざるものなりと。
また、
Austen の深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏しうる深さを知るべし。
というわけで、これ以上はないという絶賛ぶりである。
漱石本人の作品を読むにあたっても、オースティンに高い評価を与えたことは記憶にとどめておくべきなのかもしれない。もちろんそんなことは文学部のえらい先生たちがすでに散々研究されているだろうから、あんた今ごろなに寝ぼけたこといってるの、と冷笑されるのがオチだろうけど(笑)。
このすぐあとで、漱石は浪漫派の一例としてシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』から一場面を取り上げている。
はるか遠く離れた恋人ロチェスターがわが名を呼ぶのを耳にしたジェインは、「どこにいらっしゃるの?(Where are you?)」と叫ぶ。するとそのジェインの叫び声を、ロチェスターもまた耳にするという有名な場面である。これはジェインの運命を決する出来事だから、結局は作品の結末をも決定する事件であるといっていい。
一見すると超自然現象のようだが、ブロンテ本人にはそのつもりはなく、自然界にはこういうこともあるのだと信じていたふしがある。共鳴とか感応という意味での sympathy なのだろう。
二二が四をなすの世界にあってこの不可思議の因縁を窺ふとき、吾人は事の異常なるに驚いて逡巡すること数歩ならんとす。しかれどもひとたび現実の俗念を放下(はうげ)しえて醍醐の詩味に全身を委棄して顧みざるとき壺中に天地あり、蓬莱また咫尺(しせき)なるを知る。これを浪漫派得意の興致とす。
と、漱石はむずかしいことを書いているけれど、要するに一定の価値は認めつつも、現実にそんなことが起こりうるとは考えにくく、またあまりにも突飛な事件が次々に出来すると、不自然の感は免れないだろうから、
怪力乱神を説くこと二六時中なるも怪力乱神はついに怪力乱神にして、その人を怖れしむるの程度は説くに従つて減ずるがごとし。このゆゑにいかに浪漫派の作物といへども感応の場合のごときは一あって二あるべからざるもの云々
としているのである(「感応の場合」というのは、まさに上に挙げたジェイン・エアの一場面をいうのだろう)。
怪力乱神が現れるのは、ひとつには時代の好みのせいもあるのだろう。1860年に出版された、ウィルキー・コリンズの『白衣の女(The Woman in White)』には、露骨にオカルトな場面がいくつも登場するため、せっかくのおもしろい作品の価値をいくぶん下落させているという印象を受けた覚えがある。
ジェイン・オースティンはリアリストだから、現実にありえないような怪事件などはまったく出来しないし、波瀾万丈のストーリーが展開するわけでもない。淡々とごく自然に流れるストーリーを追いながら、人間観察の巧みさや、セリフの天才的なうまさ、ふんわり漂うユーモアや皮肉をじっくり味わうべきタイプの作家である。
オースティンが同時代や後世の他の作家や批評家たちからたいへん高い評価を受けてきた、いわば玄人好みの作家であるのに対し、シャーロット・ブロンテは意外にも比較的最近まで玄人筋からの評価はさほど高くなかったらしい。
しかしたとえいささか欠点があろうとも、『ジェイン・エア』は抜群にすぐれた小説である。たぶんイギリスの長編小説中もっとも多くの人に読まれている作品ではないか、という説もあるほどだから、不当に評価すべきではない。結局オースティンとはおもしろさの質がちがうのである。
さてケーキを食べて小休止したから、明日からはジョージ・エリオットに取りかかる事にしよう。だんだん頭の中が19世紀になってきた(笑)。
June 27, 2012
Daily Oregraph: 辛抱が肝腎
小松菜の種を播いてからすでに二週間……こんなものなのかな? 昨日今日と上天気のせいか、ほんの少しだけ丈が伸びたようだけれど。まあ、じっと待つしかないのだろう。
なにごとも辛抱すればいつか結果は出るもので、めでたく『エマ』を読み終えた。今日は「解説」を読んだおかげでひとつ疑問が解決したので、昔の本を読む際にはこんな苦労もあるのだという一例として……(あまり参考にはならないかも(笑))。
(彼女は)かたわらの紫と金の ridicule に手紙を戻した。(第52章。テキストによっては第3巻第16章)
このridicule には悩んだ。なにか入れものらしいが、それがなぜridicule 「嘲笑(の的)」なのだろうか? いくらなんでもおかしすぎるので、宿題として残しておいたのである。
なにしろ昔の小説だから、ときどき現在とは異なるスペルが使われていることは承知しているし、たいていは類推できるのだが、まさかこれもそうだとは気づかなかったのだ。
ちゃんと「解説」にはありましたよ。この ridicule は reticule(婦人用の小物を入れる手提げ袋)なのだそうな。わかってしまえば、な~んだ、という話だけれど、極東のおじさんにはまったく思い浮かばなかったのだ。
さすがOEDには ridicule 2 として独立して収録されているが、ぼくはうっかり見落としていたのである。まさに ridicule の見本である。この手の見落としはまだ残っているかもしれない。
半年以上に渡って地味な読書をつづけてきたせいか、少々疲れが出てきたから、ほんとうはこの辺でひと休みしたいところだ。ノートを抱えて、幽霊の出そうな温泉宿へ行くというのも悪くないね。
しかし温泉宿はもう少し待つとして、次はこれだ。
21世紀のドジョウの顔なんぞ見たくもないから、もうしばらく19世紀の小説につきあうことにしよう。
そうそう、明日はケーキを買いに行かなくちゃ(笑)。
June 26, 2012
June 25, 2012
Daily Oregraph: 温根内
好天の温根内。前回(15日)ほど強くはないものの少し風があった。注意深い読者なら、風向きが15日とは正反対であることにお気づきであろう(?)。
ゴキヅル。ほんとうにミヤマニガウリとよく似ている。ほんの数ヶ所でみかけただけだから、こいつが活躍するのはこれからである。
カキツバタ。まだちらほらとツボミが見えるから、今週いっぱいは鑑賞できると思う。
ハナタネツケバナはまだ咲いていたが、明らかに最盛期を過ぎており、数もずいぶん減っていた。やはり6月の中旬に観察すべきなのだろう。精進のいいさとう公彦さんは、一番見ごろの時分にこの花をごらんになったわけだ。
さて『エマ』の本文をやっと読み終えた。スタートしたのが5月13日だから、ノートを取りながらとはいえ、約一ヶ月半を要したのは、わが無能の証明にほかならない。
しかしたとえば400頁に登場するセリフが、少し形を変えて455頁に引用されていたりするので、ボンヤリしてそれを忘れていると、さっぱり文意の通らぬこともある。一文のうちに複数の人物が同じ代名詞で登場することも多く、それをウッカリ取りちがえると白が黒になってしまう。なかなか油断のできぬ小説だから、ていねいに読むに越したことはないのである。
まだ「解説」が残っているので、全部片づけたら、またケーキを買ってお祝いするつもり(笑)。いずれ気が向いたら、内容についても少し触れてみたい。
June 24, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔 ズミものがたり
旧青少年科学館前のズミがほぼ満開になった。この木の魅力に惹かれたのは、実は7年前。当時の写真をごらんいただきたい。
これは2005年6月26日に撮影したものだが、現在の姿と少し印象が異なることにお気づきだろう。
実はちょっと引いて見ると、現在はこんなぐあい。
これを見ると、2005年と2012年では、どうして撮り方が変わったのか、また2005年にはなぜちがう撮り方をしたのか、きっとおわかりになると思う。自分では2005年の写真のほうが気に入っている。
7年の間に枝ぶりが微妙に変わっているし、前面に別の木が植えられたため(これ、じゃまだなあ)、木全体の見え方が一変したのである。自転車置き場の標識も余計だし、カメラをちょっと右に振ると余計な塀が写り込む。立派な木だけれど、案外撮りにくいのである。
あいにくの天気だったが、今年はこれでひとまず満足しておこう。
こちらは今朝裏庭で撮ったクロユリ。去年までは草ぼうぼうだったけれど、今年は回りの雑草を引っこ抜いたので、いくぶんスッキリして見える。
さて毎度お騒がせしている(笑)小松菜の芽は、気温が低すぎるせいか、まだこんなにちいさい。ほんとうに食べられるまでに成長するのだろうか?
June 23, 2012
Daily Oregraph: 裏庭画報 夢はふくらむ
紫雲台墓地から見た春採湖。家人のお供をしてここに来るといつも、墓前に供え物を準備するまでの間、付近をぶらぶらするのである。
このあと家電量販店へ行ったついでに、たいして必要でもないのに(笑) USBメモリを買ってしまった。16GBで899円だから、ずいぶん安くなったものだ。
帰宅後またしても草むしり。気温の高い日がつづかないせいか、小松菜の芽は成長が遅い。雑草はすくすく伸びているというのに。
今後別の野菜に手を出すかどうかは、ひとえに小松菜の成功にかかっている。ここで小松菜君にへこたれてもらっては困るのである。
かりに農業政策が失敗しても、もとの悪夢のような荒れ地に戻すわけにはいかないから、今年は草むしりに精を出さねばならない。
秋が終わったら、ヤマモミジやエゾヤマザクラなどの枝も少し払わなくてはならないだろう。いずれもそこそこの大きさになったから、脚立とノコギリを用意して、植木屋さんの真似事をすることになる。
すると、
-植木屋さん、ご精が出ますな。
と旦那が声をかけてくれる。あれこれ話をしているうちに、
-植木屋さんはご酒をお上がりか?
-酒ですかい。へへ、いたって目がないほうでして。
てなわけでお酒が出る、鯉の洗いが出る……え、そううまくいくかって? いくんだよ、いってもらわなくちゃ困るのさ。
落語のほうでは、このあと丹那が植木屋さんに菜をごちそうしようとすると、奥方がやって来て、
-旦那さま、鞍馬から牛若丸が出でまして、その名(菜)を九郎(食ろう)判官……
-それじゃ、義(止し)経にしておけ。
というふうに話が進行するけれど、なあに、小松菜でよければ、目の前の畑にあるのだから心配はいらない。
-おや、小松菜ですね。困ったな、すっかりご馳走になっちまって。
-あなたのように、うまいうまいといって食べてくれると、実に心持ちがいい。(手を叩いて)奥や、植木屋さんにいただきものの白ワインをお出ししなさい。
ああ、かくして夢ははてしなく膨らむのである。
名のわからぬツツジ二種開花。記録のため撮影しておいた。ギョウジャニンニクの花はまだ開かない。
June 22, 2012
June 21, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔
天気は悪いし、気温は低いし、あまり気は進まなかったが、春採湖畔を歩いたので、簡単にレポートしておきたい。
旧青少年科学館前のズミ。だいぶ花が開いたので、全体に白っぽくなってきたことがわかると思う。満開は今度の土日あたりだろうか。
コウライテンナンショウをもう一株みつけた。やはり市立病院裏手の駐車場向かいなのだが、先日の場所からは少し離れている。貴重な植物だから、あちこちにみつかるのはうれしいことだ。
オオアマドコロはどうなったかいなと、先日の場所に行ってみたら、姿が見あたらない。手前に生えているオオイタドリが急速に成長したため、その陰に隠れてしまったのではないかと思う。これまで毎年群落を見落としていたのも同じ理由だろう。
しかしあきらめかけていたら、別の場所にいくつか群れているのをみつけたので、これ幸いとシャッターを切った。下から二番目の花が少し開いているのがおわかりになると思う。モンペ(わかるかな?)が袴に変身したほどの、まことに控え目な開きぐあいである。
このほかにもいくつかの植物を撮ったけれど、今日の気分同様パッとしない写真だから、掲載を見合わせた。
なにをやってもダメな日というものはあるもので、『エマ』は10ページしか進まなかった。こんなの文法的にありかよという、これまでお目にかかったことのない表現に二つも出くわしたのである。
芋焼酎を飲んだらすぐにわかるかしらと思ったが、そうは問屋が卸さない。この世の中にわが泉鏡花の文章ほどわけのわからぬものはないと思いこんでいたけれど、どうも甘かったようだ(笑)。
お断りしておくと、オースティンの文章は全体としてはたいへん明晰である(鏡花の一部の小説は、飛躍が多すぎるせいか、横文字よりもはるかに理解困難である。天才だからゆるしてしまうけど)。それにほんのわずかの部分を読み飛ばしたところで、作品の理解に致命的な支障があるとも思われない。
しかしそれではおもしろくないから、とりあえず先へ進むため二重丸をつけておいて、死ぬまでには決着をつけるつもり。ああ、その日までにはいったい何本の芋焼酎を空にしなければならないのだろうか? その答は風に吹かれているそうな。
June 20, 2012
Daily Oregraph: 裏庭画報 ギョウジャニンニク開花間近
天気は悪い、光は足りない、茎はフラフラ揺れる。そこで片手で茎を押さえ、必殺片手撮り。スピードライトを発光させて十回ほどシャッターを切ったが、なんとか見られるのはこれ一枚だけというおそまつ。
『エマ』の本文は、あと50ページのところまでたどり着いた。登山とちがって、こういう作業は終わりに近づくほど楽になるのが救いである。
苦行僧のように小説を読むというのはなんともヤボな話だが、苦労の甲斐あって、オースティンの天才を十分実感できたのは幸いである。あたりまえの話だけれど、ブログの駄文とは月とスッポン、古典として残る作品にはそれだけの価値があるということか。
June 19, 2012
Daily Oregraph: 超ローカルニュース
旧青少年科学館前のズミの木。明日から天気が崩れそうなので、一枚パチリ。とにかく堂々たる木だから、花が満開になれば息を呑むほどみごとである。
ズミのあとに裏庭のしょぼい畑とは、われながら情けなくなってくるが、小松菜の芽が出そろったところを記念撮影。整列!
右下の部分の列が乱れているのは、先日うっかり踏んづけてしまったからである。まことに未熟であった。近いうちに間引きをしなければならない。
小松菜の近くにはシコタンキンポウゲが咲いていた。今日の天気ではパッとしないけれど、日の光を受ければまさに buttercup (キンポウゲの仲間を指す)である。
結局釧路小学校の運動会は本日開催された。平日だから音量も控えめで、外へ出なければ聞こえないほど。しかも午後の部はカットしたらしく、昼に行ってみたらすでに解散直後であった。父兄の負担を考慮したのだろう。
旧東栄小学校のグラウンドで運動会が行われるのは、たぶんこれが最後だろうから、証拠写真を撮っておいた。
というわけで、当社は今日も地道に取材活動をつづけるのであった。
June 18, 2012
June 17, 2012
June 16, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔 オオアマドコロを確認
この距離からでは確かめようもないのだが、ミヤマザクラだろうか? 接近しにくい場所なので宿題にしておこう。
宿題といっても提出期限はないから、いたって気楽なものだ。まあ、今日もぶらぶら歩きにおつきあいいただければ幸いである。
ネイチャーセンター前のズミの花が咲きはじめた。ズミといえば、旧青少年科学館前に立派な木があり、満開になると一見の価値あり。この分だと来週あたりだろうか。
昨年から注目しているのが、このテントウムシ(名前は未確認)とミヤマニガウリとの関係。とにかくミヤマニガウリの葉の上でみかけることが多いのである。今日も5頭(でいいのかな?)ほど確認した。
エゾニワトコの花。ちょっと黄色みを帯びているため、地味な存在である。
ゴマツリ岬付近では毎年目にしてはいるのだが、これほどまとまって咲いていると知ったのははじめて。少し離れて、もう一箇所小群落があった。いままでどうして気づかなかったのだろうか。
実はこの写真には重要な意味がある。ぶら下がっている花の数にご注目いただきたい。
何か所か花が三個ずつついている。『北海道植物図譜』(滝田謙譲)ではオオアマドコロについて、
花は円筒形、長さ2.0~2.5cm。葉腋に通常2個ずつ下垂するが、3~4個、ときに5個下垂する場合もある。
としている。
実際同書の図版を見ると、花は3~4個ずつ下垂している(アマドコロは1~2個下垂)。花茎の高さだけ見れば、オオアマドコロが0.6~1m、アマドコロは0.5mほどだから、春採湖畔のものはオオアマドコロにちがいない。
ところが春採湖畔でぼくのこれまで見たものは、例外なく花が1~2個で、3個以上下垂したものは一例もなかったから、オオアマドコロだという自信が持てなかったのである。本日確認できたからには、近いうちに植物アルバムの写真を差し替えてアマドコロをオオアマドコロに訂正しておきたいと思う。
植物は変異が多いし、ときに中間種みたいなものが存在することもあるらしいから、本当にむずかしい。花が2個ずつならともかく、1~2個下垂しているものもあることから、アマドコロとオオアマドコロの両方が存在している可能性もゼロではないかもしれない。ご専門の方のご教示を賜れば幸いである。
June 15, 2012
Daily Oregraph: ハナタネツケバナ観察隊
今日の温根内は雲一つない上天気だったけれど、風が強かった。木の葉の向きでそれをお察しいただきたい(笑)。
白い花はエゾイソツツジである。ワタスゲやサギスゲも咲いていたが、この風ではとても写真にはならないので断念した。
そんな風にもめげず、わが観察隊員は果敢に撮影に挑戦するのであった。本日の隊員は、先日金環食の写真を掲示板に投稿してくださったさとう公彦さん。さとうさんがたまたま帰省中だったので、急遽観察隊を編成したのである。
まことに模範的な撮影姿勢である。これでなくては観察隊員は勤まらない(笑)。
目的はこれ、道東の誇りともいうべきハナタネツケバナ(アブラナ科)である。今年は大豊作で、数の多いことには驚いた。
今日は風の強さと腕の悪さのため失敗写真だらけとなったが、まあ、こんなふうに咲いているので、この土日にはぜひ温根内へお出かけのうえ、観察されるようお勧めしたい。重ねて申し上げるが、近年稀なるみごとな咲きぐあいである。
なお本日驚いたのが、さとうさんがパナソニックのフォー・サーズに装着されていたレンズ。なんとぼくが本日使用したのと同じマイクロニッコール55ミリF2.8ではないか。
もちろんアダプタを介しているわけだが、同じフォー・サーズだからOKだろうと、ぼくのオリンパスに装着してみたのが上の写真である。もちろんまったく問題なく使用できた。ピント合わせも案外むずかしくない。こういうのを見せられると、ぼくもアダプタが欲しくなるなあ(笑)。
そんなわけで、最近世捨て人みたいな生活を送っているぼくにとっては、ひさびさに愉快な一日になった。
June 13, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔 マイヅルソウ
いつもの場所にあるコウライテンナンショウを確認すると、根元のほうにちらりと白いものが見えた。おやおや、マイヅルソウではないか。
別の場所にまとまって生えるのは知っていたけれど、ここで確認するのははじめてである。たぶんこれまで見落としていたのだろう。
どんな場所に咲いているのかという情報も重要だから、二枚の写真を合成してお目にかけたい。
春採湖北岸、「友愛の並木道」という石碑のちょうど向かい側である。点々と白く見えるのがマイヅルソウ。
コウライテンナンショウをもう一株みつけたのでご報告しておこう。市立病院裏手の駐車場(トイレがある)の向かい側である。斜面に生えているから、これ以上は近づけない。
探せばきっとほかにもあるはずだ。ご幸運を祈る(笑)。
June 12, 2012
Daily Oregraph: 種を播く人
これは卑弥呼の古墳を上空から見たところではなく、わずか1.1m×0.5mの畝(もどき?)。みかけは悪いけど、一応はホタテ貝殻を砕いたという有機石灰と、物置にあった粒状の化学肥料を少し土に混ぜてある。
播きましたよ、小松菜の種を。
ぼくの参考にしたネットの記事には、1センチ間隔で播けとあるけれど、あのけしつぶほどの小さな種をそう器用に播けるはずもなく、かなり適当にばらまいたのであった。ずいぶん狭い面積のようだが、あなた、そんなにたくさん菜っ葉を作ってどうしようというのですか? 欲張ってはいけませぬ。
第一絶対にうまくいくという保証はないのだから、科学の子としては慎重に構える必要がある。Step by step ね。うまくいったらおなぐさみ。
June 11, 2012
Daily Oregraph: 遙か実用を離れて
昨日は天気が悪かったので、散歩も畑仕事も取りやめにした。体にガタが来そうだから、たまにはノンビリしようと思ったのである。
『エマ』は14ページ。ときどき解釈に迷う文章が現れて足止めを食らうことがあるから、これでもはかどったほうなのだ。漱石先生が絶賛する作家だけあって、ジェイン・オースティンはなかなか手強い相手である。
話の進行は十分にたどれるから、そんな難所は避けて通っても一向にかまわないのだが、シャクにさわるのでじっと考える。時間をかけて考えれば、わかるときもあればわからないときもある。どうしてもわからぬ文章には、ノートに赤鉛筆で二重丸をつけておく。いまのところ二重丸は11個だから、出現率は24ページに一箇所である。
あんた、そりゃ勉強が足りないからだよ、といわれれば返すことばもないけれど(笑)、よくお考えいただきたい。日本語の小説だって、高級な作品になると、案外二重丸の文章は含まれているのである。それをぼくたちはふだん何気なく読み飛ばしているにすぎないのだ。
最近はなんでも損得ずくでものを考えがちだから、外国語学習についても役に立つの立たないのというレベルでの議論が盛んだけれど、実用一点張りでこの種のものごとを判断するのはずいぶん貧乏くさいような気がしてならないのである。
外国語の勉強には実用とは無縁の効用もたしかにあることを忘れてはいけない。たまには人様の苦心の文章をていねいに読むことがあってもいいと思うのである。
実用とかけはなれたことをするのは結局遊びだから、正直いってずいぶん苦しいときもあるが(笑)、案外おもしろいのである。
非実用の世界といえば、これもそうだろう。金がかからぬかわりに、一円にもなりませぬ(笑)。しかしそれでもというか、それゆえに人々は春採湖畔を歩くのである。
エゾノウワミズザクラの花がすっかり散っていた。
いよいよ本格的に活躍しはじめたミヤマニガウリ。
なんとコウライテンナンショウがもう一株みつかった。すごくトクをした気分なのだが、損得を口にしてはいけなかったね。反省。
June 09, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔
エゾヤマザクラよりも遅れて咲くのがこのカスミザクラ。数が少ない貴重なサクラであるらしい。今日の朝刊市内版に紹介されていたせいか、何人もの方が写真を撮っていた。
わが裏庭より一足先に開花したクロユリ。ネイチャーセンター近くの駐車場に咲いていたのだが、あるいはだれかの植えたものかもしれない。
アマドコロのツボミに接近してみた。これは食用で、
若芽は舌触りがよく、ゆでておひたしや和えもの、天ぷらや煮もの、汁ものなどさまざまな料理に利用できる。花を初夏に摘み取り、さっとゆでて酢のものに。地下茎は一年中利用でき、天ぷらやフライ、甘煮などにする。(学研『日本の山菜』)
ということだから、ずいぶん有用な植物なのだが、もちろん湖畔の植物は採取禁止である。しかもこれは貴重な種類だから、食べちゃいけない。
いよいよコンロンソウの活躍する時期がやってきた。日本名の崑崙草については、
なぜこの名がついたか不明。あるいは花の白さを崑崙山の雪にたとえたものか(『牧野 新日本植物図鑑』)
たいへん数の多い花だが、満開になっても案外地味に見えるのは、全体に鮮やかさに欠ける緑色をしているせいだろう。
June 08, 2012
Daily Oregraph: 伸び盛り
まずは昨日(6月7日)の春採湖畔から。
ふつうはこういう写真を撮らないと思うが(笑)、ニリンソウの首(茎)がずいぶん伸びた。花はまだ楽しめるけれど、全体のバランスを失ってしまい、美しさのピークは過ぎたようだ。
なおこの場所では毎年緑色の花びらの個体がたくさん見られ、上の写真にも混じっている。
これがその一例。緑変の程度はさまざまで、花びら(実はがく片)のかたちも一定しない。
これらをミドリニリンソウとして区別する見解もあるらしい。しかし色もかたちもバラバラで統一がない以上、ちょっと無理があるんじゃないかと思うのは、ぼくの素人考えだろうか。
ゴマツリ岬のアマドコロ(or オオアマドコロ)。5月26日の写真と比較すればわかるとおり、背丈が伸びてツボミの数が増えている。
このツボミはやがてどうなるのかというと、
ニリンソウのようにパッと開くわけではなく、これでおしまい。ごくあっさりしたものである。このあと花が枯れると、中から丸い果実が現れる。
今月の下旬には観察できるはずなので、乞うご期待(写真は2006年6月24日撮影)。
さてこちらは本日の裏庭。野菜を植えるつもりなら、もう一鍬入れねばならない。土を起こしていない所にはどんどん雑草が伸びてくるので、毎日少しずつ草取りをしているところである。
いまの時期は、たった一日であちこちに新しい植物が出現しているから驚く。それも芽が出はじめたなどというお上品なものではなく、昨日はなかったやつがいきなりでかい顔をして突っ立っているのだからシャクにさわる。当分は戦いがつづきそうだ。
いっそ全部むしり取ってしまえばよさそうなものだが、雑草に混じってたまにおもしろい花が咲くこともあるから、そう乱暴な真似もしかねるのである。
クロユリがそろそろ開花しそうである。
名前は知らぬが、毎年律儀に花を咲かせるツツジ。
一時間も草取りや草の根拾いをしていると、いかに釧路が涼しいとはいえ、汗がボタボタ滴ってくる。だいぶ作業に慣れてはきたけれど、体の節々が少しだるい。
これではオースティンの小説がなかなか先へ進まないのも無理はない。エマ嬢の楽しみにしていたダンス・パーティがおじゃんになったところにさしかかっているのだが、住んでいる世界がちがいすぎるせいか(笑)、さっぱり同情できないのである。
June 06, 2012
Daily Oregraph: 裏庭画報 ユスラウメ開花
裏庭の日当たりの悪い場所に植えてあるユスラウメが開花した。実は食用になるらしいのだが、わが家の木にはなぜか実がならない。
しかしすぐとなりのナナカマドも昨年やっと赤い実がなったのだから、いずれは結実するのかもしれない。いつも花が終わると存在を忘れてしまうのだが、今年は引きつづき観察したいと思う。
ギョウジャニンニクのツボミ。今月の下旬には開花するだろう。食べたりはしない。わが家では観賞植物に指定されているのである。
長い茎の先に頭でっかちのツボミがついているから、少しでも風があるとゆらゆら揺れつづける。ぴたりと止まる瞬間がないため、農作業を終えたばかりの震える手で(笑)ピントを合わせるのは至難のわざである。これもピントが甘い。
さて土地改良事業(?)の第一段階がほぼ完了したので、このままにしておくのもシャクにさわるから、もう少し鍬をふるって菜っぱでも植えてみようかと思案中である。なにしろ農業は未経験だから、もちろん失敗は覚悟の上だが、はたしてどうなることやら。
June 05, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔
ここ数日のうちにミヤマニガウリがぐんぐん成長していた。獲物にからみつこうとして伸びるツルには、まるで意志があるように見えるけれど……
そこは脳味噌のない植物の悲しさ、たまには混乱して収拾がつかなくなってしまう。
オドリコソウのホワイト・バージョン。こちらは踊り子というより、笠地蔵かお遍路さんの集団に近いような気がする。
さて今朝の朝刊の見出しは消費増税に「全身全霊」、大震災復興、福島の原発事故処理などのより重要な課題はさておいて、増税に政治生命を賭けるんだそうで、全身全霊とはまったく迷惑な話である。
ドジョウ氏個人の政治生命など、もちろん一円玉ほどの値打ちもないから、ぼくらの知ったことではない。いっそ堅気にもどり、田舎に引っこんで畑を耕したほうが世のため人のためになると思うよ。鍬なら(あなたには貸したくないけど)貸してあげます。
Daily Oregraph: 春採湖畔 コウライテンナンショウ
ときどき同じ景色を撮ると季節の移り変わりがわかるので、今年はこのあたりを定点撮影ポイントにしようと思っている。
エゾノウワミズザクラが見ごろである。花見の対象となるサクラとはちがってやや地味な花だけれど、さわやかな感じがして、ぼくは気に入っている。
さて本日の目玉はコウライテンナンショウ。この奇妙な植物は湖畔のあちこちに散在しており、ぼくも数度目にしているのだが、北岸の岸辺近くでみつけたのは今日がはじめてである。
ここしばらくは、春採湖畔を歩いたあとで裏庭の地面に鍬を入れるというマジメな生活を送っている。これで酒をやめればあっぱれ優等生になれるのだが、世の中に優等生ほどつまらぬものはないから、やめるつもりはない。
だから他人に優等生になれというつもりは毛頭ないけれど、バカはたいがいにしたほうがいい。どこぞの市長さん、まさにぼくの予想どおり、コロリと態度を変えて原発再稼働を容認したそうな。
「夏のピーク時を乗り切ったら再び停止すべき」などと、つじつまの合わぬことをいっているらしいが、この人、本当に大丈夫なのだろうか?
ふたたび露伴学人の『努力論』より、
多人数の集会といふことは、換言すれば優良なる資質を有せる人よりも、優良ならざる資質を有せる人の多数なることで有るから、動(やや)もすれば甚だしき気の偏(かたより)を有している二三人が其の中に在つて突飛な言動を演ずると、其の気の偏の威力に動かされて、共鳴作用に類したる心海の波動を起し、そして各人が有して居る同じ気が発現し浮動しはじめる、やがて其の同気の発現浮動が五人より十人、十人より二十人と云ふやうに、漸々多数の人々の上に及ぶと、之を音響にたとふれば、漸々に洪大な音響を発して来たやうな訳に当るから、其の大音響に衝動されて、又々他の人々が気の絃(いと)の共鳴作用を起し、終(つい)には比較的健全平正な人々、即ち少量しか同じ其の気を有せぬ人々までも、強いて共鳴を余儀無くせられて騒ぎ立つに至り、一悪気一凶気が場を蓋うて、他の善気吉気が潜没して終(しま)ふの極は、随分狂妄愚陋を極めた事を演出するものである。
事態の本質を恐ろしいほどぴたりと言い当てていると思う。酔うのは酒だけにとどめたほうがよさそうである。
June 02, 2012
Daily Oregraph: 春採湖畔 クサノオウ特集
まずは報告事項から。エゾノウワミズザクラが開花した。
シャクも開花。これは本格的な緑の季節の到来を告げる植物である。
さてこれは5月26日に撮影した写真だが、このときはなんだかわからなかった。見たことのあるようなないような、記憶の片隅にひっかかっているような気はしたけれど、どうしても名前が浮かんでこなかったのである。
その正体がやっと今日わかった。気になるものはなんでも記録しておくものである。
ほらね、葉がかなり成長しているけれど、同じものであることがわかる。
すぐ近くを見ると……あっ、こいつだったのか! 開花すると毛玉のような二枚のがく片が落ちてしまうというクサノオウである。
いいものを見たなあと気をよくしながら歩いていると、かなり離れた場所で、もっといいものをみつけた。クサノオウ開花の瞬間である。
がく片のうち下半分はすでに落下して見えない。もう一枚のがく片もすでに茎から離れ、花の上に帽子のようにのっかっているだけである。花が完全に開いたときには、どこかにはじき飛ばされるだろう。
そんなわけで、なんとなく宝くじに当たったような気分になったのであった(笑)。
June 01, 2012
Daily Oregraph: 棚畑再生?
本日の裏庭というか、これは棚畑に近いだろう。やっと三分の二ほど土が見えてきた。畑にするつもりならもう少し手を入れなければならないが、とりあえず草ボウボウの状態からは革命的に改善されたと思う。
どこが改善されたのだと不審に思う方もおいでだろうから、5月14日の写真をもう一度掲載して比較してみよう。
こんな猫の額ほどの地面でも、ずいぶん手間のかかるものだ。もちろん毎日朝から夕方まで作業すれば、四五日もあれば十分なのかもしれないけれど、そんなことをしたら体がバラバラになってしまう(笑)。
クロユリが色づいてきた。ニリンソウとオオバナノエンレイソウはまだ盛んに咲いているし、ギョウジャニンニクのツボミや開花寸前のコンロンソウなども見える。
それを楽しみに、明日もまた……やれやれ(笑)。
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