Daily Oregraph: 手習いは鉛筆で
今日は春採湖畔を歩く時間はなかったけれど、定点撮影だけは実行した。もう一息なのだが、まだ氷は消えない。例年よりもすでに一週間遅れである。
午後から降り出した雨は明日の昼までつづくらしい。明日の定点撮影は雨天決行の予定。
陰鬱な景色の写真だけでは気がひけるので、なつかしいコーリン鉛筆でもどうぞ。
ボールペンやシャープペンシルだと、会社で仕事をしているような気分になるからダメ。ていねいにノートを取るには、やはり昔ながらの鉛筆が一番だと思う。初心に帰ってわが手を使えば、いい年をしてピカピカの一年生の気分になれるのもうれしいものだ。
書いているうちにだんだん芯が減って線が太くなり、ときどき一息ついて削り直すのも、かえってリズムがあっていい。あとでノートをながめると、ここで芯を削ったか別の鉛筆に持ち替えたかしたのだと一目でわかるのもおもしろい。文字どおりヒューマン・ドキュメントである。
本文から興味のある部分や疑問の箇所を拾って書き写すにはHBかB、それらに注釈をつけるときはHと、硬度を使い分けている。大事なところはもちろん赤鉛筆で下線を付すわけだが、出来上がったノートはまるで美術工芸品のような仕上がり……にはならない(笑)。字がヘタクソだからである。
こうして手習いをしているぼくのところに、昨夜ふたりのご学友(笑)から電話がかかってきた。なんでも大阪は法善寺横丁の近くで一杯やったところなのだそうな。
-ほら、あの二度づけ禁止のさ……
-串カツかい?
-うん、うまかったよ。
もう何十年も会っていないが、目のくりくりした美青年だったT君はそういって、ぼくをうらやましがらせるのである。ちぇっ、くやしいなあ。こっちはコーリン鉛筆とともに世にも地味な日々を送っているというのに。
秋には京都に集まろうというのだが、タイミングさえ合えばぜひいきたいものだ。みんなじじいになって、若々しさをとどめているのはぼくだけにちがいない。ざまあみろ。
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Comments
そういえば最近鉛筆を手にしてないなあ。
気がつけばキーボードをカシャカシャして、それでプリントアウト・・・
こんなの自然じゃあないと思いながらも、オリンピックに出たら金メダルが取れるほどの悪筆は、書いた私自身をも不快にさせてしまう強烈さ・・・
てなことで・・・もう・・・何年・・・鉛筆を手にしていないんだろう・・・・
Posted by: 三友亭主人 | April 23, 2012 22:33
>三友亭さん
鉛筆はたくさん買い置きがあるので、この際使ってしまおうというのも動機のひとつだったんです。
ぼくも長年キーボード・オンリーでしたけど、ひさしぶりに自分の手を使って書いてみると、新鮮味があってなかなかいいものです。
『ジュード』のときはひどく乱暴に書いていましたが、いまは少していねいになりました。このままつづければ、字が少しは上手になるかも(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | April 24, 2012 00:09
先日はご丁寧にありがとうございました。
今から三十年近く前
僕が入社した頃
新聞記者は鉛筆でしたね。
きわめて懐かしさを感じます。
ただし、職場で最初にワープロを導入したのも
ウインドウズ95を導入したのも僕でした。
新し物好きなんですね。
Posted by: 根岸冬生 | April 26, 2012 11:49
>根岸冬生さん
右に同じです。もっともぼくの頃はOSがCP/M(ご存じですか?)でしたけど。
データの活用という点からいえば、断然パソコンに軍配が上がりますね。個人がコツコツ調べた成果を、多くの人に提供できるというのはすばらしいことだと思います。
筆者の呼吸を感じられる(つもりになれる?)のが、手書きで文章を書き写すよさでしょうか。特に息の長い複雑な文章の場合、ゆっくり鉛筆で書いているうちに、構造がひとりでに見えてくることがあります(いつもじゃありませんけど)。
そのかわり、恐ろしく時間がかかりますから、ぼくみたいな気の短い男にいつまでつづけられるものか心配になりますね。
Posted by: 薄氷堂 | April 26, 2012 22:38