Daily Oregraph: 京都通信員 桜井市を歩く (3)
三友亭さんがご教示くださった「横大路」についてはS通信員も知っており、案内板の写真があったので、トリミングして掲載しておく。これを見ると、現在の桜井市は藤原京のはずれに位置している。とんでもなく古い歴史のある土地である。
実は彼は奈良県立図書情報館でコピーした古い地形図を参照しながら、街道を歩いたのである。そのコピーが同封されていたのを、面倒がってろくに見なかったぼくが悪い。中ツ道、上ツ道も、ちゃんと鉛筆でメモ書きされていたというのに。
今日の記事に登場する地名の登場する部分を、主要な道路と集落以外ほとんど消し去って見やすくしたものが上の地図である。地形図を見ると、三輪山の麓に位置する慈恩寺から西の平地は、当時一面に水田が広がっていた。
宇陀ヶ辻。古い地形図とはちょっと道の様子がちがうけれど、背後に見える山が三輪山だとすれば、写真中央から左手、白い乗用車の向かっている道を進むのだろう。
正面に慈恩寺追分が見えてきた。突きあたって、左が上ツ道方向、右が初瀬街道である。
慈恩寺追分を東、つまりこれから歩く初瀬街道側から見たところ。右が上ツ道方向、左が桜井市街方向である。
慈恩寺追分けから上ツ道方向、つまり三輪・奈良市方向を見る。S君は重要な交差路では必ずすべての方向を撮影しているが、これは見ならうべき習慣だと思う。
ここからは旧道を歩いて、近鉄大和朝倉駅を過ぎ、やがて国道165号線へ出る。街道愛好家が古い地形図を携帯するのは、できるだけ旧道をたどりたいかららしい。
国道と合流するあたりでみかけた不思議なオブジェ。
ちょっと想像に余る代物なので、孫を連れて歩いてきた爺さんに尋ねてみた。老人特有の回りくどい話から理解しえたかぎりでは、どうも製粉所の釜をほったらかしておいたら、勝手に木が生えてきたものらしい(当地の名産は三輪素麺)。
してみると、これは純然たるトマソンということになる。しいて分類すれば、「植物は強し」あたりに入るのか。
……と、まあ、バカな取材をしているものだが、好奇心はジャーナリストに欠かせない資質だから、笑ってはいけない(笑)。
出雲の流れ地蔵で一服。昔洪水でこの近くに流された地蔵さんを祭ったものらしい。
大和川(初瀬川)沿いの道をテクテク歩いて、
やっと長谷寺参道にたどり着く。
どこかで休憩しようと探し回ったが、適当な場所がみつからず、
伊勢古道を示す道標のあるお店の角から脇道へ入る。
奥に見える小さい橋を渡って左へ折れると、大正時代の地図でもすでに旧道になっているという、急な坂道が現れる。これこそ与喜浦集落へ通ずる下化粧坂であって、S君によれば「本日のハイライト区間」なのだそうだ。
こうなった以上、もうひとつ記事を追加せねばなるまい。旧街道オタクにつきあうのは時間も手間もかかるから、ぼくもかなり疲れてきたけれど(笑)、最終回を待たれよ。
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Comments
・・・しかし、よくもまあ・・・
地元の人間ならば車で通り過ぎ・・・
観光客ならば、見向きもしないようなこの道のこんなにも丁寧なリポートを・・・
恥ずかしながら勉強させていただいております。
>背後に見える山が三輪山だとすれば
確かに三輪山です。見事なご推察・・・三輪山は西側からその優美な円錐形を見ることが多いのですが、こうやって北に見ると、すなわち南から見ると優美・・・というよりはいささか無骨な姿を見られます。
Posted by: 三友亭主人 | February 12, 2012 15:37
>三友亭さん
「街道を歩く」シリーズはほかにもいくつかあるんですよ。
とにかく時間がかかりますので、まとめるのはしんどいのですが、少しずつ発表いたしますので、どうかおつきあいください。
でもおかげさまで、少しずつ奈良県の地理がわかってきました。
Posted by: 薄氷堂 | February 12, 2012 23:26