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January 31, 2012

Daily Oregraph: 命を救うメイ・ウェスト

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 北埠頭から南埠頭方面を見る。風が変わったのだろう、南埠頭にたまっていた氷の一部が寄っていた。しばらく観察していると、遠くの氷がじわじわと近づいてくるのがわかる。

 さて今日の海に関する俗語はメイ・ウェスト(Mae West)。

 Mae West(1893-1980)は、アメリカの女優にしてセックス・シンボル。長年スクリーンで活躍したらしいが、当然ながら(笑)ぼくは知らない。

 ところがその名前、次のように使われるのである。

 took off his helmet, Mae West, and coverall

 ぼくは最初メイ・ウェストをブランド名だと思ったのだが(おはずかしい)、実はこれ救命胴衣(life jacket)を指す。ランダムハウスによれば、

 膨張式の黄色またはオレンジ色のライフ・ジャケット。船員や海上を飛行するパイロットが用いる。 

 またある俗語辞典によると、

 第二次大戦中広く使われる。着用すると、芸能人メイ・ウェストのように、胸が大きく見えるところから。

 つまりメイ・ウェスト嬢はウェストよりもブレスト(breast)のほうが目立ったらしい。実際リーダーズ英和にも、

 【韻俗】 乳房 (breast)

という定義がいっしょに載っている。

 おもしろい俗語だが、ぼくは実際には耳にしたことがないし、どこまで広く通用するのか見当もつかない。日本人がわざわざ知ったかぶりをして使うべきことばではないような気もする。

 こういう単語は覚えておいて損はないけれど、まったく大学入試の役には立たないのが悲しいところだ。しかし救命胴衣は確実に役に立つから、釣り人は着用したほうがいいだろう。

【追記】

 ウェストよりもブレストなどと、つまらないおやじギャグを書いてしまってから気づいたのだが、釧路市の教育水準をいっそう低下させては申し訳ないから、念のためお断りしておくと、いわゆるウェスト(腰の上のくびれ部分)は west ではなく、waist [weist] である。

 だから実は英語ではダジャレにならない。ウソを覚えてはいけません(笑)。こんなバカなことばかり書いているから、このブログは waste だなんていわれるわけ。

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January 30, 2012

Daily Oregraph: 熱いシャワーを

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 このところ毎日運動のつもりで少しずつ氷割りをしている。

 日中日が射して気温が上がると、氷は端のほうから緩んでくる。そこを狙ってツルハシをふるうと、おもしろいように割れるのだが、氷原(?)の内側はびくともしない。太陽の力は偉大だけれど、氷もまた頑固である。

 ナポレオンもヒトラーも冬には勝てなかった。21世紀のおじさんは歴史に学んでいるから、けっして無理はしない。すぐに撤退するのである。

 『孫子』に曰く、

 
夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。

 オバマさんも『孫子』は読んでいるのかな?

 さて『レッド・オクトーバー』だが、氷割り作業と同じで、さっぱりはかどらない。その理由のひとつは、流行のことばでいえば、これがアメリカのいわば「どや顔」小説だからである。おもしろいのが半分、つまらないのが半分というわけで、結局海事用語の収集が目的になってしまうわけだ。

 おもしろいのは通信文の部分で、昔やりとりしていたテレックスの文章と基本的に構造がいっしょだから、すらすらと頭に入るのはふしぎである。全編文法的にはいささか破格のテレックス文だと、ぼくみたいに不勉強な男にとっては、よっぽど読みやすいのではないだろうか(笑)。

 ほかにネタがないので、ためになることば(ならないか?)をご紹介してお茶を濁すことにしたい。今日は「ハリウッド・シャワー(Hollywood shower)」である。潜水艦の艦長が部下にいうセリフの原文を下に示す。

 
Have yourself a shower.  Make that a Hollywood shower--you've earned it--and rack out.

 アメリカ俗語辞典3種にあたったが、残念ながら掲載されていなかった。OEDにも見あたらない。しかしランダムハウス英和第2版(小学館)には、

 
【米海事俗】(海上での)本格的な雨

と説明されている(本家の英語版には載っていない)。ぼくが思うに、映画で土砂降りの場面に降らせるわざとらしい雨のように激しい雨のことをいうのだろう。

 しかし上の文章はこれでは意味が通じない。こういう時に頼りになるのが、研究社のリーダーズ英和である。

 
【海俗】 《ふんだんに浴びることのできる》お湯のシャワー

 これで疑問氷解。Rack out は俗語で「寝る」という意味だから、艦長が「よくやってくれた。熱いシャワーをたっぷり浴びて寝たまえ」と、部下をねぎらっているわけだ。

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 貨物船の場合、ランクによって部屋にバスタブがあったり、シャワーだけあったり(写真上)、共同シャワーだったりするが、戦艦もたぶん同じだろうと想像する。

 しかし潜水艦だと条件はかなり悪くなるはずである。それこそ湯水のようにシャワーを浴びるのはゼイタクのきわみで、ひょっとしたら制限があるから、わざわざ「ハリウッド・シャワーにしろ」といったのかもしれない。

 いずれにせよ、海上では水は貴重である。だからこそふんだんにお湯の出るシャワーはハリウッド映画の雨やシャワー・シーンなみにゼイタクだ、という意味で生まれた俗語なのだろう。

 まあ、こんな読み方をしているかぎり、『ターヘル・アナトミア』の解読よりは少しだけマシというペースだから、なかなか先へ進まないのも道理である。

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January 29, 2012

Daily Oregraph: 釧路港パノラマ写真

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 ひさびさの港内パノラマ写真。鼻水を垂らしながら撮ったのだから、ヘボだのまずいだのバカなやつだのと文句をいわずに(笑)、にっこり笑ってごらんいただければ幸いである。

 画像サイズは当ブログの仕様によって、1,600×354ピクセル(約250KB)と、オリジナル(10,097×2,236ピクセル)よりかなり縮小されているため、画像が粗いことを、あらかじめご了承いただきたい。なおずっと大きめの画像(3,613×800ピクセル)をアナログ熊さんの画像掲示板に投稿しておいたので、物好きな方はどうかごらんあれ(新しい投稿があれば埋もれてしまうので念のため)。

 この写真でも氷の境目はわかるけれど、氷の分布を確認するためには、米町公園の展望台は位置的に最適とはいえないし、ちょっと高さも足りないと思う。

 生涯学習センター展望台も位置がいまひとつだし、プリンスホテルの最上階レストランあたりからながめるといいかもしれない。ランチをいただきながら見物するのもオツなものだろう……といっても、これはヤラセの宣伝ではないので念のため。

 さて古新聞から解放されてかなり気が楽になったので、読みかけの『レッド・オクトーバーを追え』に取りかかった。しかし最近小説を読むのがおっくうでならず、何日かかるやら見当もつかない。読み終わるまでに酒ビンが何本空になるだろうか。

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January 26, 2012

Daily Oregraph: 風が変われば

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 南埠頭を定点撮影。氷のかたちも分布も20日とはかなりちがう。表情を変えるところがおもしろいのである。

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 -ほんとに、この間とはずいぶん印象がちがいますね。

 -風が~変わ~れ~ば おい~らも変わ~る

 -ぎょっ、なんですか、その歌は?

 -やっぱりこの名曲を知らないのか。情けないなあ。そういえば、東海林太郎先生亡きあと、おれは日本歌謡界への興味を失ったのだ。

 -ふつうの若者なら知りませんよ。まったく、もう。

 -ともかくだ、風や気温の変化によって、港の氷もその表情を変えるのさ。

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 港町岸壁。

 さて古新聞の束もかなり減ってきた。今日の記事は2011年8月22日、バイオテクノロジーの話題である。不得意分野だから、ちっとも心が温まらなかった(笑)。

 一匹狼の分子生物学者クレイグ・ヴェンター (Craig Venter) 先生に関する記事なのだが、一匹狼というのは、山奥の一軒家に籠もって怪しい研究をしているマッド・サイエンティストという意味ではない。たいへん優秀な学者なのだが、言動が派手で資金集めが得意、ちょっと山師風の印象を与えるから、学界では嫌う人も少なくないということらしい。

 2010年にクレイグ・ヴェンター研究所では、合成細胞とでもいえばいいのか、synthetic cells なるものを製造したと発表した。まず自然界のバクテリアの染色体のコピーを縁続きのバクテリアに移植する。すると移植されたほうの細胞は新しい別種のものに変化するということらしい。

 この技術を応用すれば、将来的には食糧危機から水不足、エネルギー危機まで解決できるし、環境浄化にも貢献するというのがヴェンター先生の主張である。

 たとえばある種の藻類から作り出す合成細胞によって、二酸化炭素と水と日光を油に変えようという研究が進められている。エクソンモービルでは、ヴェンター先生率いるシンセティック・ジノミックス社と協同で、数億ドルを投じて、その油からガソリンを精製しようと計画しているというから、けっしてホラ話ではない。他の石油会社でも、別のバイオ技術会社と組んで、バクテリアによる炭化水素燃料の製造に取り組んでいるという。

 なるほどさまざまに応用できそうでたいへん結構な話ではあるが、遺伝情報を操作して自然界には存在しない新種の細胞を作り出すというのだから、一歩まちがえばなにができるかわからないし、厳重に管理しなければ、外部に流出して環境を汚染しかねないという不安が残る。技術が悪用される恐れもないとはいえない。

 なお詳細についてはご専門の方のお話をうかがっていただきたい。染色体のコピーなどといわれても、ぼくにはさっぱりわからないからだ。ただ原発の二の舞にならぬよう、この種の技術については、すごいなあと感心してばかりいてはいけないと思う。よく考えると、ずいぶん怖い話のようにも思えるのだ。

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January 25, 2012

Daily Oregraph: 足元にご注意

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 いったん融けた雪が凍ると始末が悪い。気温が上がりはじめると、氷の表面に薄い水の膜ができるからだろうか、新品の冬靴をはいていてもツルツル滑るのである。

 写真のおばさんは綱渡りでもしているように見えるが、実際体のバランスを上手に取らねば危ないのだ。今日の滑りようにはぼくも恐怖を覚えるほどであった。

 というわけで、今日の古新聞記事(2011年2月10日)は危険な綱渡り状態にあるキューバ経済である。

 キューバのラウル・カストロ政権は、2010年9月に民間の起業を178の業種に限って認めると発表した。経済危機の深刻化によってにっちもさっちもいかぬ状態に追いこまれたあげくの窮余の策であるらしい。

 キューバでは現在政府が労働者の84%を雇用し、経済の90%を管理している。国家が労働者に支払う給与は月約20米ドルにすぎないが、そのかわり医療や教育は完全に無料で、交通、住居や水道などはほぼ無料に近い。配給手帳によって、食料の一部は補助金で抑えられた価格で販売される。

 ところが世界経済の下降、ニッケル価格の下落、2008年に襲った3つのハリケーンによる被害、タバコ・ラム・砂糖による歳入の減少、海外在住のキューバ人からの送金の減少などによって情勢はどんどん悪化するに至った。

 経済成長率は2009年が1.4%、2010年が2.1%と、途上国としてはあまりにも低すぎる。しかしその数字すら怪しいものだと見る専門家が多い。キューバでは、経済成長率を計算する際、社会事業に対する国家支出をもカウントしているからだ。

 しかも労働者は低賃金ではとてもやりくりできないから、国営企業では盗みが横行し、国家財政に大きな打撃を与えている。アメリカとの通商が禁止されているため国際通貨機関からの借り入れもできない。

 こうして大量に抱えた余剰人員の雇用を維持する余裕がなくなり、最近では職場での無料ランチは廃止され、配給手帳の対象品目も削減されたという。そこでレイオフを断行して、新たに育成する民間企業に吸収させようというもくろみらしい。

 しかし高い税金、原材料の不足、ベースとなる顧客の確保、お役所の複雑な規則、開業資金や店舗の確保のむずかしさなど、独立開業するには高い壁がある。

 たとえばピザ屋を開業するにしても、店舗は自宅に構えるとして、非力な銀行には余力がないから、開店資金を調達するのはむずかしい。あらゆるところで不足している物資の確保も問題だ。そもそも月給20ドルの人々が一枚1ドルのピザをどれだけ食べてくれるだろうか。政府内でも起業家の多くが一年以内に行きづまるだろうと予想しているほどである。

 それでもめげないのはキューバの国民性だろうか、様子見している人々も多い半面、起業ライセンスを取得した人は1月7日までにすでに7万5千人、最終的には25万人に達すると専門家は見ている。

 もしこの自由経済の実験が失敗すれば、多くの失業者を路頭に迷わせることになる。まさにキューバの命運がかかっているわけだが、またしても古新聞の悲しさ、現在どうなったのかは不明である(調べろよ、という声が聞こえる)。

 しかし独立開業を目前にして意気盛んなおにいさんの写真の笑顔を見ると、心から成功を祈らずにはいられない。

 なおオバマ政権がキューバへの送金をアメリカ国民一人あたり年間2千ドルまで認める決定をしたことをご存じだろうか。世の中知らないことだらけである。

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January 22, 2012

Daily Oregraph: 生活欄読むべし

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 ひさびさの雪。たいした降りではないが、これから明日いっぱい降りつづくらしいから、雪かき必至だろう。

 大手スーパーの文房具コーナーで、手帳代わりに愛用しているA6判のノートを数冊買ったついでにカメラ店の店先をのぞくと……

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コダックのフィルムが一本178円也。この写真界の巨人の運命を忘れぬために、保存用として購入した。時代の流れとはいえ悲しいものがあるなあ。

 さて今日のジャパン・タイムズ古新聞だが、2011年8月16日の記事(ワシントン・ポスト提供 "Mother of 11 kids says alone time is overrated")から。生活欄のいわゆる心温まる記事を読むのは、あまりぼくの柄じゃないのだが、おおいに考えさせられるところもあった。

 2010年の人口調査では、アメリカの家庭のこどもの数は平均で一人を切っているそうだが、この記事では、12歳から1歳まで11人もの子育てをしているキルマーさん一家の暮らしぶりを取り上げている。

 ご主人は53歳の高校教師、奥様は45歳の主婦。こどもの数からもわかるとおり、カトリックのご家庭である。

 学期中の奥様の一日はこうだ。

 起床は午前5時。こどもたちの衣服を用意し、弁当を作ってから6時半にはミサ。ご主人と大きいこどもたちを送り出してから、朝食の後片づけをすませて、ベッドメーキングと洗濯に取りかかる。洗濯は毎日4回から5回の分量があるという。

 こどもたちが午後3時までに帰宅し、おやつを食べたり宿題に取りかかると、奥様は夕食の支度をはじめる。その合間を縫ってこどもたちの勉強もみてやらねばならない。

 午後7時半からこどもたちは寝室に下がりはじめ、大きい子たちは掃除を手伝う。午後9時にはこどもたちは全員就寝するというから、きっちりしつけしているわけだ。

 やっと自分の時間ができると思いきや、台所の片づけやら、追加の洗濯、翌朝の衣服の用意などがあるから、日中の活躍ですでにぐったり疲れた奥様は、仕事に取りかかる前に20分ほど仮眠を取ることもあるという。

 こういう毎日を送りながら、明るい笑顔を絶やさぬ奥様の超人的な努力には感服するしかない。しかし余計なお世話ながら心配になるのが家計である。アメリカの高校教師の月収がいかほどかはぼくも知らない。しかしかなり苦しいことはまちがいないだろう。

 食費だけで週に300ドル。それに加えて、住宅ローンに車のローン、医療費もかかれば学費も必要だから、当然収支の勘定が合わぬこともある。家計の足しにするため、ご主人は夏(休み)には副業やアルバイトをしているという。

 それにしてもよくやっているなあと思うのだが、周囲の人々の善意に支えられているところが大きいらしい。奥様によると、

 玄関先に衣類の入った袋が置かれていることがあるんですけど、どなたがくださったものかはわからないんです。

 衣類だけではない。家具や食事・食品のギフトカードなどをいただくことも多く、善意は善意を産むというわけで、キルマー家もまた不要になった衣類をよそのお宅に提供しているのだという。

 一家が病気で寝込んだときなどは、それを耳にした友人たちや近所の人々、ご主人の同僚が数時間のうちにやってきて、炊事・洗濯・こどもの世話をしてくれたばかりか、二週間もの間、食事が家に届けられたのである。

 いかがだろうか。もちろんアメリカのどこにでも見られる光景かどうかはわからないけれど、日本の都会では希薄になったこういう人間関係が残っているというのは、ぼくにとっては驚きであった。

 天下国家にばかり目を向けていると、かえって見落としがちなこともある。アメリカの一家庭の奮闘努力ぶりを知れば、軽率に鬼畜米英などと口走ることがいかに愚かであるかわかると思う。アメリカで日本であれどこであれ、市民の家に爆弾を投下しようなどという発想はけっして湧いてこないはずである。

 新聞の生活欄もバカにできないものだと悟った次第である。

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January 21, 2012

Daily Oregraph: 高みの氷見物

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 昨日は南埠頭から氷の広がる釧路港を見たので、今日は生涯学習センター10階の展望台から、文字どおり高みの見物をしようという趣向である。

 昨日の写真をごらんになった方は、あるいは釧路港内すべてが氷に覆われているとお思いかもしれない。しかしそうではない。冬は北寄りの風が優勢なので、氷は南側に吹き寄せられるのである。光線の加減でちょっと見にくいけれど、上の写真からもそれがわかると思う。

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 では釧路川の上流をごらんいただこう。川面には薄い氷がぷかぷか浮かんでいる。いくつか見える橋は、手前から久寿里橋、旭橋、根室本線鉄橋、そして少し離れて貝塚大橋である。

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 おまけは雄阿寒岳。いつも雌阿寒をひいきにしているので罪滅ぼしのつもり。あらためて見直してみると、この山もけっして捨てたものではないと思う。

 さて今日は2011年8月7日の横尾忠則氏インタヴュー記事から。

 横尾さんは昨日取り上げた梁石日さんと同じ1936年生まれ。1960年代に主流だったモダニズムは装飾を排したシンプルさを特徴としたが、横尾さんはあえてそこに昔風の土着的イメージを取り込むという独特の手法で知られた。

 ぼくなどは横尾さんというとなぜか週刊誌の「平凡パンチ」を連想するのだが、天井桟敷などのポスターをご記憶の方も多いのではないだろうか。宝石箱というよりビックリ箱をひっくり返したような、古いマッチ箱のデザインをいっそう複雑怪奇にしたような、一種のゴチャゴチャ感漂う謎めいた図柄が多かったと思う。

 日本ではいわば異端児であった彼は、アメリカで認められる。1967年に渡米したとき、ある画廊が彼のポスター展を開催したところ、展示された作品をニューヨーク近代美術館がそっくり全部買い取ったのである。

 横尾さんが1981年にグラフィック・デザイナーから画家への転身を宣言したのは、アメリカで観たピカソ展がきっかけだったという。

 会場に入ったときのぼくはグラフィック・デザイナーだったけど、会場をあとにしたときには画家だったんです。

 またこうも語っている。

 人様の求めに応えて仕事をするのと、自分の求めに応えてするのとでは大ちがいです。

 なるほどと素直に納得する方も多いんじゃないかと思う。もちろん自分のうちに求めるものがなにもなければ話にならないけれど。

 横尾さんはその後もポスターを手がけていないわけではなく、ぼくの手元にはなぜかこんな一枚(2002年の作品)があったので、ご参考までに。
 
2002mutsugoro

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January 20, 2012

Daily Oregraph: 南埠頭氷景

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 ふだん午後はあまり出歩かないのだが、体が腐ってしまいそうなので、ふらりと南埠頭に来てみれば……おお、一面氷に覆われているではないか。

 もちろんそれほど厚い氷ではない。いわゆる流氷ではなく、釧路川の上流から流れてきた氷が、北寄りの風に吹き寄せられたものである。

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 そうは承知していても、やはりちょっと息を呑む光景である。

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 石炭ローダー前の岸壁もすっかり凍りついている。薄い氷といえども、これほど大量に水面を覆いつくすと、船の離着岸作業はむずかしいだろう。

 たとえ氷をバリバリ割りながら強引に船を岸壁に寄せたとしても、圧縮された氷が船体と岸壁の間に分厚い壁をなし、まともに接岸できないからである。どうするのかな、とつい余計な心配をしてしまう。

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 今日はローダーのあたりを歩いてもおじゃまにならないので、ちょっと失礼して、(たぶん)ベルトコンベアをパチリ。こういう設備を美しいと思うぼくの神経はふつうじゃないのかな(笑)。

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 上天気だけれど風が冷たく、やがて鼻水垂之助になってしまったので車へ戻る途中、石炭列車特集に登場した全農石油基地を撮影。こういう施設はたいていのガイドブックには登場しないだろうから、ちょっぴり自慢しておきたい。

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 最後に港町岸壁に立ち寄ると、やはり氷はつい数日前よりもかなり厚くなっていた。

 冬の釧路はこうでなくちゃいけない。この氷あるがゆえに、やがて到来する春の値打ちがぐんと上がるからである。

 さて今日の古新聞記事は2011年2月6日、在日朝鮮人作家

 面倒くさいから詳細は省くけれど(ごめんね)、映画「月はどっちに出ている」の原作者である

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January 19, 2012

Daily Oregraph: 千代ノ浦冬景色

 千代ノ浦漁港が整備され面目を一新したことは、当ブログでもすでに何度か触れた。毎度申し上げるとおり、悲しいことにこの国では再開発はほとんど常に風景の劣化を意味する。

 しかし没個性だ、無趣味だと、悲しんでいるばかりでは芸がないから、まだちょっぴり残っている昭和の風味を求めて浜を歩いてみた。

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 う~む、やっぱりむずかしい。顔を洗って出直して……来てもダメだろうなあ。

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 お口直しに春採川のカモをどうぞ。連中、こんなところにいたんだなあ。見ればみんな丸々肥えているから、ちゃんと食事はしているらしい。無事冬を乗り切ってくれよ。

 さて今日の古新聞記事は2011年2月13日のものだから、だんだん古くなってきた(笑)。マイクル・ホフマンというお方が日本のポップカルチャーの歴史について書いた、大長編記事である。

 ホフマンさんによると、日本のポップカルチャーの元祖・ゴッドマザーは出雲の阿国である。阿国の舞台の様子からはじまって、江戸時代に花開いた出版文化とその背景、そしてもちろん江戸文学作品についても、漫画の元祖たる黄表紙・洒落本のたぐいから西鶴・近松まで詳しく解説している。ものすごい博学ぶりから察するに、ホフマンさんは奇特にも江戸文学を専攻されたのだろう。

 『昨日は今日の物語』や『浮世物語』、『遊子方言』や『江戸生浮気蒲焼』についても詳述しているから、たいていの日本人よりははるかに広く深く研究されていることはまちがいない。日本人たるもの負けちゃいられないね。

 ただし『江戸生浮気蒲焼』などは、いかに好意的に解釈しても、京伝の才能の空費ともいうべきくだらない作品だから、いくら日本人だって、わざわざ読むほどの値打ちはないとぼくは思っている。これから読むのなら、やはり西鶴、近松あたりだろうか。

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January 18, 2012

Daily Oregraph: 冬はタラを、夏は森でワインを

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 タラのアラ97円也。持ってみたら、ズシリと重い。なんと頭の部分が大二尾、小三尾分に、肝がたっぷり。タラはここが一番うまいのだから、迷わず買うしかないよね。

 というわけで、たったいま鍋にしておいしくいただいた。低予算で豊かな生活、というわがモットーにもぴったりかなう理想の夕食であった。

 さてまたしても古新聞記事から。政治経済欄は気分が暗くなるから、しばらくは敬遠して文化欄に専念することにした。

 今日はふたつの記事を取り上げるが、どちらも2011年6月5日のもの。どうしてそんな古い新聞を読むかというと、おもしろそうな頁だけ二三日中に読むつもりで残しておいたら、光陰矢のごとし、あっというまに何ヶ月もたってしまったというわけである。そんな心がけでは大成はおぼつかないのだから、この冴えないおっさんを反面教師として、若者には学問に励んでいただきたい。

 まずは宮本亜門さんのインタヴュー記事から。この人はTVで二三度見たことはあるのだが、ニコニコと笑顔を絶やさぬ穏和な人物という、通りいっぺんの印象しか受けなかった。しかしこの記事を読んでその印象はいっぺんに変わってしまった。

 テレビや野球とは縁遠かった芸術家肌の彼は、十代の頃は級友たちと趣味がまったく合わず、村八分に近い扱いを受けた結果、いわゆる引きこもりになってしまったらしい。その後苦闘の末に進むべき道を見い出し、演出家として大成したのだという。

 異分子に冷たい日本の社会では若いころ苦労したわけだが、その後英国と米国に滞在して演劇などを学んだ彼は、手放しで英米を礼讃するわけではない。それぞれの長短を冷静にみつめている。つまりバランス感覚に富んでいるわけだ。しかも柔和なみかけとは大ちがいで、勇気と大胆さと行動力をたっぷり持ち合わせているのには感心した。

 みずから改名した「亜門」とは亜細亜の門という意味らしい。無知だったおわびに、今後注目したい人物だと思った。好記事である。

 次は C.W. ニコルさんの文章。この人の記事はいつ読んでもすがすがしい気分になるので、ぼくは気に入っている。今回はブナ礼讃。

 ブナは世界中で大切にされているのに、なぜか従来日本では役に立たない木とされ、お上ではブナを伐採して針葉樹を植えるよう奨励してきたらしい。

 ブナは保水力にすぐれ、材の加工性も高く、実は野生動物のよい餌となり、薪にすればよく燃えるなど、たいへん有用な木だという。よく茂る葉が集めた雨を蒸散させ、夏には天然のクーラーの役割を果たす。樹齢は約400年だが、老樹になると内部が腐朽して空洞ができる。しかしそれによって軽くなるため、かえって倒れにくく、空洞そのものもフクロウなどの格好のすみかになるらしい。

 おしまいの部分からちょっとだけ。

 だんだん年を取るにつれて、暑く日の照る日に森の中をさまようのを、私は楽しみにしている。適当な場所を選び、ふかふかと木の葉に覆われた地面に腰をおろして、自分たちの植えたブナの木に背中をあずけ、ワインか冷たいビールをちょっぴり啜って、本を読んだりもするのである-いやただまどろむだけでもいい。

 いいなあ、森の中でワインか。実にうらやましい心境だけれど、こういう時間の過ごし方は、落ち着きのない日本人には向いていないかもしれない。いまから修行したら間に合うだろうか。

 なおニコルさんは、ギョウジャニンニクを wild garlic としていたのでご参考までに。なるほどね。

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January 17, 2012

Daily Oregraph: 勝負あった

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 このところ寒い日がつづいている。しかし気温が低い朝はたいてい天気がよく、風もない。薄い板氷の浮かぶ釧路川も波ひとつ立たず、まるで鏡のようである。

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 作業中の漁師さんたちを横目に見ながらほっつき歩いていると、

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カモメが餌の魚と格闘していた。手がないということは実に不便な話で、おおいに同情しながら見ていると、抜け目のないカラスがやってきた。

 カラスは無関心を装って、あっちの方向を向いているが、内心では不器用なカモメが魚をもて余して放棄するのを待っているのである。頭がいいといおうか、狡猾といおうか、ちょっと底知れぬところがある。

 この勝負、どうなるか興味があったので、最後まで見届けようとカメラを構えていたら(ヒマだねえ)、

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カモメはしばらく悪戦苦闘していたが、みごとに魚を飲み込むことに成功した。決定的瞬間である。カラスはあいかわらず知らんぷりしているが、地団駄を踏んでいたにちがいない。

 それにしてもカモメの食事とは、実に味気ないものだ。うまいもまずいもあったものではなく、ただ魚を胃袋へ押し込むだけなのだから。

 さて魚をめぐる静かな闘いはこうして終わったけれど、アメリカの大統領選挙はこれからが本番……とまあ、例によって話の持っていきようは強引だが、今日の古新聞記事は2011年6月4日のものである。

 ビン・ラディン殺害の約一ヶ月後だけに、下院選敗北以来低迷していたオバマさんの支持率は一気に上昇して人気を盛り返し、共和党のごたごたも幸いして、いまやオバマを倒しうる敵は「経済」のみという記事内容である。やはり古新聞だなあ。

 よその国で勝手に軍事行動を展開し、丸腰の容疑者を裁判にもかけず射殺するという、西部劇でもご法度とされるテロ行為まがいの大バクチを打って、せっかく支持率を上げたというのに、最近ではオバマ再選危うしという見方が一般的だから、まさに経済問題がオバマさんの前に大きく立ちはだかっているのだろう。

 アメリカの大統領はとにかく弱みを見せず、ウソでもいいからタフであることを演じつづけなければならないという、なかなか大変な商売らしい。金に困っているわけではなし、そんなばかげた苦労をせずに田舎でノンビリ暮らしてはどうか、とぼくなどは思うのだが、これは少数意見(笑)。

 オバマさんの運命にはたいして同情も興味もないけれど、これから消費税がどれだけ上がるか知れないから、日本にはもう無心しないでほしいものである。

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January 16, 2012

Daily Oregraph: テキサスの赤いバラ

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 雪が少ないので裏庭へ行ってみたら、バラの赤い実がまだ残っていた。そこで枝の先をへし折り、雪に挿して前衛活花とシャレてみた。白と赤の対比が売り物ね。流派は無手勝流である。

 こいつは白バラなのだが実は赤い。バラ、赤い、といえばテキサスというわけで(強引なマクラ(笑))、今日の古新聞記事(2011年8月24日)はテキサスの奇跡についてである。

 ここ十年ほどでアメリカ全体では140万人の雇用が喪失したというのに、テキサスでは100万人もの雇用が創出された。これがテキサスの奇跡である。人口もこの十年で20% 増加し、2,510万人になった。

 NASAや大規模な軍事施設があるし、人口も多いから多額の国家予算が注ぎこまれている。比較的営業税が低く、州所得税がない。おまけに土地は広大で、利用制限もゆるいため、企業はたしかに進出しやすい。

 だから一見万々歳のようだが、世の中そんなうまい話ばかりあるはずもなく、みんながバラ色の生活を送っているわけではない。

 まず労働者の6分の一は公共部門に属するというから驚きだが、これには人口増も関係している。人口が増えれば教員や警官なども増員しなければならないからだ。しかしこれは予算がカットされれば人員も削減される、という不安要素でもある。

 テキサスの労働人口の約1割は、アメリカの最低賃金である時給7.25ドル(記事掲載当時)かそれ以下。人口の4分の一以上がヘルス・ケアの対象外である。生徒一人あたりの教育支出は全米44位と低く、一方収入格差の割合の高さでは全米第9位だという。

 つまり企業には有利な土地である分だけ労働者は恵まれておらず、テキサスの赤いバラもだんだん色あせて見えてくるようだ。健康政策や教育に不熱心だと、そもそもの出発点からして、低所得者層は圧倒的に不利である。

 実は教育に予算を出し渋るのは問題なのである。高卒の資格を有する成人の数が全米最下位という土地柄だから、せっかく求人需要があるのに、企業は有能な人材の確保に苦労し、労働者の側では低賃金の仕事に甘んじるという悲劇が生じているという。

 この記事には、ある銀行家の発言として、教育程度と収入には相関関係がある、you earn what you learn なのだということが書かれている。いまやアメリカでは借金をして大学を卒業しても、なかなかまともな職につけないという深刻な事態になっているようだが、教育が重要だというのはもちろん正しい認識だと思う。

 さてここまで読むと、思いは遙かテキサスから釧路の現実に引き戻され、最近なにかと話題になっている当市の教育水準の低下が気になってくる。もともと成績優秀な諸君は市外、道外へ流出してしまうことが多いのだから別にしても、問題は日本の圧倒的な強みでありつづけた教育中間層の減少だろう。

 ひょっとしたら、悪名高いゆとり教育も、これまたグローバル化、実は日本の弱体化をはかるアメリカ化の陰謀(笑)ではなかったのかとさえ思えてくる。最近では、教育関係ブログによれば読み書きも九九もあやしい生徒が多いというのに、小学校高学年で英語の授業をしようというのは、どうも不自然でおかしい。

 冗談をいっている場合じゃなく、テキサスよりもはるかに景気の悪い釧路にあって、貧乏の拡大再生産という悪夢を見たくはない。そこのあなた
こどもが勉強しないのは、回りの大人が不勉強なのも原因のひとつなのだから、酒ばかりくらっていないで学問しなくちゃいけないよ……と、酔っ払いがついえらそうなことをいってしまった。反省しとります。

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January 15, 2012

Daily Oregraph: 東北へ行くべきか

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 昨日観月園から撮った景色を逆方向から見ることにしよう。

 この道路は舗装されていないし、このアングルだと付近に余計な建物も見えないから、昭和の雰囲気が色濃く感じられる。シンプルであることのよさを教えてくれる貴重な場所といえよう。

 しかし右手の丘の上に見える博物館や、正面に見える建物や携帯電話のアンテナ(?)、観月園のパチンコ店がじゃまだとはお思いにならないだろうか。

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 そこで余計なものを消してみたのがこちら。正面の丘、つまり観月園のあたりはかつて樹木が多かったから、とても再現しきれてはいないけれど、昔はだいたいこんなながめだったはずである。

 さて古新聞の記事から、今日は三友亭さんのご出身地に近い松島の話題である。いまごろ昨年の新聞記事を読むというのも間が抜けているけれど、これも社会復帰への第一歩。

 松島はいうまでもなく大観光地である。しかも日本三景のうちでも抜群の集客力を誇り、ここを訪れる観光客は年間370万人。宮島が300万人、天橋立が260万人というから断然第一位である。

 しかし昨年は例の大震災の影響によって、五月と六月には観光客数が例年の26パーセントにまで落ち込んでしまったらしい。松島は幸い地形のおかげで大被害を免れたのだが、観光客減はもちろん死活問題である。

 ぼくたちの側からすれば、放射能の問題は別にしても、災害地へ観光気分で訪れることはなんとなくはばかられるのだが、地元観光協会の会長さんは、

 千年に一度という大津波で三陸沿岸はすっかり破壊されてしまったけれど、ぜひおいでになって、じかに惨状をごらんいただきたい、そして悲劇に見舞われた被災者の声に耳を傾けていただきたい。そのあとで、奇跡的に残された松島の絶景を堪能し、地元の海の幸を味わい、おみやげのひとつも買っていただきたい。それが地元の再建につながるからなのです。

と語る。

 同じ紙面では、別見出しで円通院というお寺を取り上げている。ここは瑞巌寺に隣接する臨済宗の由緒ある寺院で、伊達光宗廟があり、バラの寺として広く知られているらしい。

 平日でも一日約千人、特別の催しのある日は約二千人もの人々が円通院を訪れていたという。しかし震災によるお寺そのものの被害は少なかったものの、現在は(この記事取材当時)日によっては拝観客わずか数十人ということさえあるらしい。

 円通院ご住職のお嬢様は、京都の花園大を卒業後、きびしい修行を経て尼僧となり、実家であるお寺に戻ったのだが、拝観料収入に頼るお寺だけに「このままではどうしてこの冬を越したものか」と心を痛め、

 東北へいらしてください。被災地を訪れてください。そして缶ジュース一本でもいいから買ってください。それが復興の助けになるのです。もっとも恐いのは、忘れられてしまうことなのです。

という。

 そうだったのか、ぼくは考えちがいをしていたようだ。缶ジュースの一本でも買ってほしい、というのは胸を打たれる話である。この正月、40年ぶりに左大臣源融の能を見たのも、塩釜へ行け、松島も見よというお告げだったのかもしれない。

 計画を練り直す必要があるようだ。

(以上はジャパン・タイムズ2011年8月17日 アレックス・マーティン氏の記事による。いわゆる超訳のたぐいだから、細かい突っ込みはご勘弁願いたい。)

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January 14, 2012

Daily Oregraph: 冬の散歩道

 昨日の気温は最低-18.0度・最高-3.1度と、ひさびさに冷え込んだけれど、なあに昔は-27度なんて朝もざらにあったのだから、そう驚くほどではない。

 経験上寒さのレベルは-20度でひとつ、-25度でもうひとつ上がるようで、-18度なんてあなた、ひなたぼっこができますよ。

 ……などとえらそうなことをいっても、そこはそれ年齢とともに根性はなくなるもので、ここ数年だんだん冬の散歩がおっくうになってしまった。昨日のつづきじゃないが、かつて真冬の朝の一番寒い時間帯に臨港鉄道沿いを歩いたことが、まるで遠い夢のように思われる。

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今日は最低気温こそ-11.3度だったが、最高気温は昨日より低い-5.5度だから、上天気なのに日中も寒かった。そんなわけで、根性なしのぼくは今日も春採湖一周を実行しなかったが、たまたま立ち寄った観月園から撮影した上の写真でもわかるとおり、湖畔を散歩する人々はいる。

 画面右側に見える建物は先日ご紹介した春採下水ポンプ場である。ポンプ場の背後の丘に春採竜神の社があることにもちょっと触れたので、別ショットからトリミングしたものをごらんいただきたい。

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 少し傾斜が急なので、どうか足元にはお気をつけていってらっしゃい。

 え、おまえはお参りしないのかって? しませんよ。コタツで丸くなって熱燗をいただくとします。

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January 12, 2012

Daily Oregraph: 港ウォッチング

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 釧路市内で記念写真を撮るなら、ここ米町公園の啄木歌碑前。定番中の定番である。

 余計なお世話だけれど、アドヴァイスをひとつ。歌碑の右に雌阿寒連峰が見えるときは、せっかくだから隠さずに、ぜひ画面に入れるように工夫されるとよいだろう。たぶんあなたのお顔よりも絵になるはずだから(失礼)。

 さて今朝ここにやって来たのは、西港に接岸中の外航貨物船を撮影するため。安物望遠ズームでどこまで写るか、船名は読み取れるか、試してみたかったのである。掲載した写真はすべてトリミングしてあるので念のため。

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 まずは一番近い第1埠頭4号。チップ専用船が荷役中である。船名(AURORA LIGHT)がはっきり読み取れる。

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 お次は第2埠頭12号。これも SORRENTO という文字が確認できる。この岸壁は穀物・飼料の揚荷専用である。

 なお陰になってデッキクレーンしか見えないけれど、矢印のところ(第3埠頭19号)にももう一船、こちらは化学肥料の揚荷だろう。

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 最後は第4埠頭23号。石炭アンローダによる揚荷が行われている。もっとも距離があるだけに船名はかなり不明瞭だが、なんとか JEWEL OF SOHAR と読み取れる。

 米町公園展望台から各船までの直線距離は、それぞれおおよそ3.6キロ、4.3キロ、5.3キロだから、このレンズの実力では、船名を苦労せずに読み取れるのは第3埠頭南側岸壁(18号)までと考えればいいようだ。

 結局980円で売られている格安双眼鏡よりはずっと優秀だけれど、俗にサンニッパ(300mm F2.8)と呼ばれる高級望遠レンズには遠く及ばないことがわかる。格差社会はイヤになるが、まあ港ウォッチング程度の目的には十分というところか。

 このように展望台から双眼鏡などで港を観察するのは案外おもしろいので、みなさまにもおすすめできる。特にいまの季節は空気も澄み、阿寒の山々が美しいから、一見の価値はあるだろう。

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January 11, 2012

Daily Oregraph: 地図捨てるべからず

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 書店に寄って昭文社の『文庫地図 大阪』を買ったので、大阪市内で唯一ぼくの知っている日本橋のあたりを見ると、さっぱり覚えていないのには呆れてしまった。東京は案外歩きやすい街だけれど、大阪ははるかに地理がわかりにくいように思う。

 40年以上も前の話だから、忘れても仕方がないといえばそれまでだが、当時どうやって日本橋までたどりついたものか、なんでも四条烏丸あたりから阪急に乗ったような気がするけれど、いま迷わずに行けるという自信はまるでない。

 日本橋のあたりの地図を見て思い出すのは、高島屋の別館くらいのものだろうか。たしか通天閣を見た覚えがあるので、地図をチェックすると日本橋の南にあるから、記憶はまちがいないようだ。

 もっとも当時は観光にはまるで興味がなく、ジャンク屋をひやかしたり、電気部品の専門店で抵抗やコンデンサを買ったりするだけだったから、通天閣のすぐ近くまでは行かなかったと思う。観光はおろか、とにかく資金の余裕というものがなかったので、うどんもたこ焼きもお好み焼きも食べた記憶はまったくないのである。

 さてつい余計なことを書いてしまったが、古い地図を捨てずに残しておこうというのが、今日の本題である。

 魔都大阪の地図はいずれゆっくりながめるとして、先日買ったJTBの『詳細地図 京都』に載っていた六条河原院跡の位置を、念のため1998年の『マップル 京都』と昭文社の2002年版『文庫判 京都都市図』で確認してみた。しかしどちらにも記載されていないので、JTBの地図がいかにマニアックなものであるかがわかる。

 そこで河原院跡(実際は石碑の場所よりやや北西にあったらしい)を文庫判地図に鉛筆で記入したついでに、わが愛する(笑)八千代館の位置が気になり、JTBの地図で新京極のあたりをチェックしたところ、なんと載っていないのである。これほど詳しい地図に見あたらないからには廃館になったのだろう。

 こういうことがわかるから、地図は最新のものを参照しなくてはいけないのだが、逆に古い地図が役に立つこともある。

 実はぼくも八千代館の正確な位置までは記憶していない。うろうろ歩いているうちに必ずみつかったから、記憶する必要がなかったのである。しかしもし建物が取り壊されでもしたら、跡地がわからなくなる可能性大である。

 9世紀の河原院ならともかく、20世紀の八千代館の場所がわからぬというのは実におもしろくない。不安にかられて1998年のマップルを見ると、あった、あった、「八千代館(映画)」として○印で示されている。河原院跡とともに史跡めぐりをすべく、文庫判地図にメモしておいたことは申し上げるまでもない。

 やはり古い地図は保存しておく値打ちがある。京都の地図は1970年代のものをはじめ、これまでに数冊処分してしまったけれど、いまとなっては後悔している。

 これはもちろん京都にかぎった話ではなく、釧路市内地図も同じことである。臨港鉄道の線路や各駅の位置、いまは改名されてしまった町名など、確認するには古い地図の力を借りねばならないからだ。

 人は失敗から学ぶというのは本当である。地図は捨てるべからず。

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January 09, 2012

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (14)

 最終回は写真特集である。これまでの連載記事中に掲載しなかった写真のみを掲載するが、過去に別の場所で発表ずみの写真も一部まじっていることをあらかじめお断りしておきたい。

ディーゼル機関車編

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   2001年1月29日撮影 D401(知人にて)

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   以上2005年1月14日撮影 D401運転室内(春採駅にて)

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   2001年1月29日撮影 DE601(知人にて)

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   以上2005年1月14日撮影 DE601運転室内(春採駅にて)

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   2005年3月5日撮影 D801(観月園付近)

 D801は『臨鉄60年の軌跡』には登場しなかったから、昭和59年以降に導入された機関車である。

釧路コールマイン構内編

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 太平洋炭礦時代の施設がそっくり残る貴重な遺産である。21世紀にいることを忘れさせる景色はすばらしいとしかいいようがない。ぼくは夢を見ているような気分になって、しばし茫然としていたことを覚えている。


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 これは函車。平坦な場所ではつぎにお目にかける電車によって、斜坑ではワイヤーによって牽引される。資材運搬用だが、ズリを運ぶのに用いられることもあるらしい。

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 パンタグラフのあるれっきとした電車である。釧路市内に電車が走っているとは驚きであった。

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 こちらはバッテリー・ロコと呼ばれているらしい。ロコは locomotive の略だろうか。

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   以上2005年1月14日撮影

 ごらんのとおりバッテリーがぎっしり。

最後に


 このたびは臨鉄の社史を通じて郷土史のおさらいをさせていただいたけれど、釧路市民であるにもかかわらず基本的な知識に欠けるところが多く、いささか消化不良気味の連載に終わってしまった。今後とも臨港鉄道には関心を持ちつづけ、新しい資料を探すなどして、乏しい知識に肉づけしていきたいと思っている。

 なお臨鉄の詳細な歴史を公にしてくださった太平洋石炭販売株式会社には心より感謝申し上げるとともに、貴重な写真を勝手に転載するなどの無礼については、どうかご容赦のほどお願い申し上げます。もしご指摘があればただちに削除いたします。

 最後に地味な保線作業に従事されているみなさまに敬意を表して、作業中の写真をお目にかけたい。

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   2009年4月5日撮影

(おわり)

【付記】

 2005年1月14日付けの春採駅構内の機関車運転室内、釧路コールマイン構内の写真は、すべてご許可をいただいて撮影したものであることをお断りしておきます。当日ご案内くださったスコップさんには、あらためて感謝申し上げます。

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January 08, 2012

Daily Oregraph: 阿寒を望む

 正月の縁起物として(?)、先日も米町公園から雌阿寒連峰を撮ったのだが、標準ズームを使ったため、今ひとつ山容が不明瞭であった。そこで今日は望遠端300mm(450mm相当)のズームレンズと(めずらしく)三脚を用意して、ふたたび米町公園へ向かった。

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 上天気だったけれど空気は前回ほど澄んでおらず、しかも安レンズの悲しさで、シャープさに欠けるうえに、色乗りは悪いしコントラストは低いし、どうにも散々の出来であった。年に数回しか使わぬ望遠レンズに投資する気はさらさらないから、レタッチしてごまかしたものの、モトが悪いと化粧にも限界がある(失礼)ことを痛感させられた。

 不出来なところはご勘弁願うとして、左端が阿寒富士(1,476m)、その右隣にあって噴煙らしきものが立ち上っているのは雌阿寒岳(1,499m)。ふたつの山の向こうにはオンネトーがある。少し離れて右端に見えるのは、地図によればフップシ岳(1,225m)である。

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 半分工場の煙に隠れているけれど、こちらが雄阿寒岳(1,371m)。雌阿寒岳からは直線距離にして十数キロ離れている。見るからにずんぐりしているため、雌阿寒の美しさには遠く及ばず、こっちを雄にしたのは妥当な判断だと思う。

 雌阿寒・雄阿寒ともにもう少し近くにあればとは思うが、山はやはり距離をおいて見るのがいい。たとえ富士山だって、斜面を登りながら見る分には、ただのごつごつした荒れ地に過ぎないからだ。

 距離が意味を持つのは山だけではない。夜空の星々もまた遠くからながめるところに値打ちがある。かつてアメリカの宇宙飛行士が月面に降り立って、現場の映像が送られてきたとき、月面の正体があばかれて「夢が壊れた」などという人々が多かったのには驚いた。

 はんかくさいことをいうものかな。間近に見るのと遠くから望むのとでは印象がちがうことは、わかりきった話である。下山してふたたび遠くからながめる富士はあいかわらず美しく、地上から見る月はやはり神秘的なままだというのに。

【1月9日付記】

 三友亭さんのコメントに関連して、2003年9月15日に阿寒湖畔で撮影した雄阿寒岳の写真を追加しておく。もっとマシな写真はないかと思ったが(笑)、これしかみつからなかったのでご容赦いただきたい。

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January 07, 2012

Daily Oregraph: 知人のフキノトウ

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 昨夜はほんの数センチの積雪だから、君火を焚けというほどには降らなかったけれど、一応家の前の除雪はすませておいた。

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 午後からは今年はじめて知人(しりと)へ散歩。臨港鉄道沿いのいつものコースである。われながらよくまあ飽きもせずと思わぬでもないが、今日はちゃんと目的があった。

 フキノトウである。知人の崖では毎年2月にフキノトウを確認しているのだが、例年2月の開きぶりからして、たぶん1月にもみつかるのではないかと予想したわけだ。

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 ほら、やっぱりフキノトウが顔を出していた。これは必ずしも温暖化のせいとはいいきれず、まさか1月に……という思いこみがあるため、いままで注意して見なかったから気づかなかったのではないだろうか。

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 日当たりのよい崖には早くもフキノトウが開いていたとはいえ、知人の浜はやはりうらさびわたる気色であった。

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 今年一年この海が穏やかであることを祈る。

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January 06, 2012

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (13)

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   2005年1月14日撮影 春採駅構内

 『臨鉄60年の軌跡』を読むのも、いよいよ今回が最後になる。同書の年表は昭和58年(1983年)で終わっているからである。


新体制発足


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   2005年1月14日撮影 D701

 昭和53年4月、新造ディーゼル機関車D701(日本車輌製 重量55トン 定格出力500馬力×2)を導入し、4月15日より使用開始。

 昭和53年5月、新東京国際空港(成田空港)開港。


 この空港は地元農民に新左翼各派が加わった大規模な反対運動を押し切って開港を強行したのだが、それももう忘却の彼方に消え去ろうとしている。

 昭和53年7月24日、春採~知人間重軌条更換工事竣工(40kg→50kg)。

 昭和53年10月7日、春採~知人間軌道表示ならびに沼尻踏切非常用て子取付工事完了。

 昭和53年11月、石炭車セキ6両国鉄より払い下げ。

 昭和53年12月、石炭車セキ6両廃車。

 昭和54年2月20日、ディーゼル機関車D501廃車。

 昭和54年3月22日、東釧路~春採間、0.321kmから1.821kmまでの重軌条更換工事竣工(30kg→40kg)。

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 昭和54年4月30日、太平洋炭礦炭の流通部門一体化を図るべく、釧路臨港鉄道株式会社は太平洋石炭販売輸送株式会社に吸収合併され、釧路臨港鉄道事業本部として翌5月1日より新体制下に入る。


 この歴史的な出来事を、ぼくは恥ずかしながら記憶していない。当時はあまり熱心に地元紙を読んでいなかったせいだろうと思う。

 写真は2005年1月14日撮影のものだが、現在も変わっていない。太平洋石炭販売輸送株式会社サイトの最新の「事業案内」では輸送部とされているので、輸送部鉄道課ということだろう。『臨鉄60年の軌跡』(昭和59年11月)発行後、時期はわからないけれど、組織変更が行われたのである。

 昭和54年11月30日、知人駅本屋改築工事および春採駅構内照明設備改良工事竣工。

 昭和55年1月14日、機関区敷地内に機関車用軽油タンク1基(8,500リットル)新設工事竣工。

 昭和55年5月、石炭車セキ5両国鉄より払い下げ。

 昭和55年8月、新造連接石炭車セキ2両導入。

 昭和55年11月28日、知人港頭着太平洋石炭の一日当たり輸送量が10,800トンに達し、開業以来の新記録を樹立した。


 大正7年に木村組によって馬車軌道が全線複線化され、月間6,000トンの輸送が可能になったことは、この特集第5回に述べたとおりである。

 昭和56年3月3日、春採保線用品庫新築工事竣工。

 昭和56年4月、石炭車セラ4両廃車。

 昭和56年8月31日、グリーンベルト・花壇造成など春採地区環境整備が完了。

 昭和56年9月10日、春採駅継電連動装置を一部改良し、制御盤に進路表示灯が増設される。

 昭和57年4月1日、安全管理室を新設。

 昭和57年4月15日、東釧路~春採間重軌条更換工事竣工(30kg→50kg)。

 昭和57年4月20日、貨物運賃改正実施(6.8%アップ)

 昭和57年8月1日、運転取扱心得改正施行。

 昭和57年9月30日、太平洋製作所に発注した保線作業用マルチプルタイタンパーが試作完成。

 昭和57年11月9日、春採駅構内にマルチプルタイタンパー格納庫新設工事竣工。

 タイタンパーが保線用機械であることはすでに第10回に述べ、保線作業に使用されていた車両がたぶんそれではないかと思い、写真を掲載した。

 今回冒頭に掲げた写真 はその車両を反対方向から見たものである。未確認だけれど、これが「マルチプル」タイタンパーなのかもしれず、冬期間にはラッセル車としても活躍するらしい。確認するためには、もう一度取材する必要がありそうだ。

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   2012年1月2日撮影 釧路市春採下水ポンプ場と踏切

 昭和58年7月25日、市営春採ポンプ場踏切道新設工事竣工。

 このポンプ場裏手の丘の上には、春採竜神の小さな祠がある。

 昭和58年11月10日、市道変更改良にともなう桜ヶ岡踏切道改良工事竣工。

 『臨鉄60年の軌跡』の年表はここで終わっている。以下に本文の最終章「今後の輸送体制について」を全文引用する。

 日本国有鉄道100年有余の歴史のなかでも、とりわけ昭和40年代後半から日本経済の構造変化にともなって物流を取り巻く環境は著しく厳しさを増して来ました。

 特に、道路輸送の発達や内航海運の進展にともない物流量が著しく増加しているにもかかわらず鉄道輸送量は減少の一途を辿っています。釧路臨港鉄道としてもその輸送量は国鉄に比例して減少しつつあるのが現状です。

 しかし、当社は今後とも国鉄との連絡運輸の使命を果たすと共に、全国に誇る国内唯一の海底炭礦である太平洋炭礦の石炭輸送を主力として、高能率と安定輸送を推進させる。ここに大きな使命を置くものです。


 臨鉄の社史発行時からさらに30年近くが経過し、その間昭和62年(1987年)には国鉄が分割民営化され、平成4年(2002年)には太平洋炭礦が閉山して釧路コールマインが採炭事業を継承するなど、状況は一変した。

 臨鉄の運行区間も現在では春採駅~知人駅のみとなり、国鉄との連絡運輸もその他の駅の廃止とともにその使命を終えた。各駅の廃止時期など、昭和59年以降の歴史についてもおおいに興味のあるところだが、それを知るためには新たな資料を必要とすることもあり、この特集はひとまず終えることにする。

 次回は最終回として、主に未発表の写真を取りまとめ、一挙掲載することにしたい。

(つづく)

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January 04, 2012

Daily Oregraph: 40年ぶりの『融』

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 空気が澄んでいたので、米町公園から雌阿寒連峰がよく見えた。手前の景色がいまひとつ冴えないけれど(笑)、どうかご容赦いただきたい。

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 三ヶ日もすんだからもう参拝客もほとんどいまいと思いのほか、厳島神社には今日も多くの人々が訪れていた。

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 さて厳島神社といえば、毎年秋になると、本家宮島の厳島神社能舞台では観月能という催しが行われる。昨年の出し物は喜多流の『融(とほる)』。昨年10月10日の舞台のもようが正月の二日にNHK教育TVで放映されたので、ぼくとしてはめずらしくDVDに保存して、本日じっくりと鑑賞した。

 えっ、おまえが能を観るのかよ? と、ビックリされる方もいらっしゃると思う。たしかに柄じゃない(笑)。あの独特のうなり声(失礼)を聞いていると、たいてい眠くなってくるから、ふだんは見向きもしないのである。

 しかし『融』は芝居としてもなかなかよくできており、約40年ほど前にやはりNHKで放映されたとき、最後まで居眠りせずに観ることができたのであった。素人を飽きさせないのだから、この謡曲はたぶん大傑作にちがいない(あんまりあてにはならないが……)。

 それ以来ぜひもう一度とは思いつつもなかなかチャンスがなく、やっと念願かなったというわけである。内容について詳細は省略するが、幽霊が姿を変えて二度現れるというおもしろい曲だから、どうか食わずぎらいをせずに、ごらんになるようお勧めしたい。

 作品の舞台となるのは、荒れ果てた六条河原院跡で、地図によると、鴨川右岸、現在の五条大橋から五十メートルほど下流側にある。河原院を造営した左大臣源融は、(現在の宮城県)塩竃の風景を模して作庭したばかりでなく、難波の海で汲んだ汐を都まで運ばせたというから、実際に製塩もさせたのだろう。畸人というべきか。

 当時陸奥塩竃の風景はよほど有名だったらしいけれど、左大臣を勤めたほどの貴人が気軽に観光旅行に出かけることはできず、庭をながめてあれこれ想像していたのだろう。

 汐汲みの爺さん姿で現れた融の幽霊は、まず

 
月もはや、出汐になりて塩竃の、うらさびわたる気色かな。[注]

などと、都にありながら現実離れしたセリフをうなるほどだから、よほど塩竃にあこがれていたらしい。

 ぼくは左大臣ならぬ下賤の身のありがたさで、昔一度だけ名高い塩竃神社を見物したことがある。有名な景色がどこを指すのか、そのときはあいにく時間不足のため確認していないが、昨年の大震災で風景が破壊されていないことを祈るばかりである。

 (昔)恋しや恋しやと、慕へども嘆けども[または「願へども」]、かひも渚の浦千鳥、音をのみ泣くばかりなり、音をのみ泣くばかりなり。

 六条河原院跡には石碑があるらしいので、今年中には取材するつもりである。塩竃もぜひ再訪してゆっくりと見物したいものだが、関西東北を股にかけての旅行となるとちょっとしんどいかもしれない。

[注]「月もはや出、それとともに潮も満ち来て、塩竃の浦は一面うら(心)さびしい様子である」というほどの意味。

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January 03, 2012

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (12)

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   2007年8月25日撮影 南防波堤から見た石炭ローダー

 本日をもって連載を完結しようかどうか大いに迷ったのだが、分量的に考えた結果、今回は昭和46年から昭和52年までを扱うことにした。『臨鉄60年の軌跡』では、この時期からの記事が本文ではかなり簡略化されているけれど、付属の年表には多くの出来事が記録されているからである。

創立50周年へ

 昭和46年1月1日、札幌大谷地営業所開設、倉庫営業開始。

 昭和46年1月、釧路西港着工。

 昭和46年4月14日、春採保線班に4頭タイタンパー2基配置される。

 昭和46年6月17日、コンピュータによる車扱貨物通知書の作成を開始。

 昭和46年6月23日、テレックス導入使用開始。


 テレックスについては、1993年に釧路丹頂ネットに掲載した「C挫折記 上」第2回以降をお読みいただければと思う。テレックスの存在もいずれ忘れ去られてしまうにちがいない。

 昭和46年7月1日、浦見町に臨鉄クラブ開設。

 浦見町ならわが家の近所なのだが、このクラブには記憶がない。跡地がわかれば取材したいものである。


 昭和47年2月、コンピュータFACOM230-15導入。

 昭和47年5月29日、太平洋炭礦増産計画に対応した春採駅構内拡張改良工事が竣工。これにより、貨車収容能力が倍増した。

 昭和47年8月1日、浦見町および城山の臨鉄所有遊休地に有料駐車場造成開設。

 昭和47年8月17日、沼尻踏切連動交通信号機設置使用開始。

 昭和47年10月8日、新造連接石炭車セキ2両導入。

 昭和48年10月、中東戦争勃発。OPECが石油戦略を発動したことにより、石油危機が物価高騰を招く。


 いわゆるオイルショック。これはぼくもよく覚えている。当時買い占めによって店頭からトイレットペーパーが消えるという騒ぎもあった。

 昭和48年12月16日、太平洋スカイランドにて、創立50周年記念式典および祝賀会を開催。

 特に地方の企業にとって、めでたく創業半世紀を迎えるというのはそう簡単なことではない。わずか50年といえないこともないけれど、企業にとっても人にとっても、やはり大きい節目にはちがいないと思う。

 昭和49年1月12日、小口扱貨物の取扱いを廃止。

 昭和49年9月3日、貨物運賃を8年ぶりに改正実施(25%アップ)。


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   1974年12月14日 西港石油桟橋の千昌丸
   『釧路港開港百年記念誌』(釧路新聞社)より

 昭和49年12月14日、西港供用開始。

 西港第一船は石油桟橋に接岸した千代田汽船運航の内航石油タンカー千昌丸(2,516トン)であった。

 いささか私事に渡るけれど、本船を担当したぼくにとっては、いまも忘れられない出来事である。雪のちらつく寒い日であった。残念ながらいくら探しても当日撮った写真がみつからなかったので、『釧路港開港百年記念誌』よりお借りした。

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 2007年6月2日撮影 第1埠頭4号で揚荷中のチップ専用船
   (日本郵船運航 M.V. "DYNA VOYAGER")

 石油桟橋につづいて翌昭和50年には第一埠頭が完成し、同年8月21日にはチップ専用船第一船として、4号岸壁に日本郵船運航の十條丸が接岸した。ぼくは本船にも関わったから、まさに西港時代の開幕に立ち会うことができたわけである。

 昭和49年12月20日、物品販売業臨鉄ストア廃業。

 昭和50年7月20日、春採駅本屋改築工事竣工。

 昭和50年11月1日、南埠頭岸壁全面改修工事竣工。

 昭和51年2月、太平洋炭礦出炭量日産12,830トン(23日)、月産269,000トン。ともに創業以来の最高記録樹立。

 当時の石炭移出量は正確に覚えていないが、たしか年間200万トン以上だったはずである。

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   南埠頭付近(「釧路港要覧 2009/2010」 より)

 昭和51年6月8日、南埠頭に全農石油基地建設開始。

 ご参考までに全農石油基地を赤い線で囲っておいた。

 昭和51年11月6日、貨物運賃を改正実施(58%アップ)。

 昭和51年11月、無蓋貨車トラ7両廃車。

 昭和51年12月1日、春採駅保号室改造工事竣工。

 昭和51年12月17日、城山駅本屋新築工事竣工。

 昭和51年12月27日、埠頭事務所新築工事竣工。

 昭和51年12月31日、臨鉄東釧路駅本屋移設改築工事竣工。

 昭和52年3月30日、知人貯炭場桟橋専用線ならびに春採駅構内選炭場2番線重軌条更換工事竣工(30kg→40kg)。

 昭和52年4月30日、埠頭岐線より分岐する全農専用側線(3線総延長747m)を新設。

 昭和52年5月31日、東釧路駅構内改良により側線2線を増設し、6月1日より全農石油輸送を開始。

 昭和52年7月、領海12海里法、200海里漁業水域法施行。


 大型船減船など、200海里規制が釧路の漁業に与えた影響は大きかった。しかし昭和54年からは空前のイワシブームに支えられ、13年間連続して水揚量全国一を記録したことはすでに述べたとおりである。

 昭和52年9月30日、春採・知人保線班各詰所増築工事竣工。

 昭和52年12月30日、春採駅継電連動装置を一部改良し、選炭場専用側線に入換標識を新設。


 次回はいよいよこの連載の最終回である。

(つづく)

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January 02, 2012

Daily Oregraph: 取材敢行

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 01時03分。空が赤いのはホワイトバランスが狂ったからではなく、雪の夜はたいていこうなのである。この分だと雪かき必至のコースだから、もう一杯よけいに飲んでふて寝する。

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 ところが、またしても雪は雨に変じたとみえて、雪かきの必要なし。神仏のご加護であろう。

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 やがて空は晴れ渡り、外出する気分になったので、午後には春採湖南岸へ向かった。この道路は除雪されぬまま、融けかかった雪が積もり重なって、ごらんのとおり。逆光なのでわかりにくいけれど、左手の建物は春採下水ポンプ場、右手に凍結した湖面の一部が見える。

 悪路をものともせずにやって来たのは、けっして物好きにあらず、石炭列車特集に関係する写真撮影のためである。年末年始で間が空いたけれど、明日あたりには連載第12回を掲載できると思う。

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January 01, 2012

Daily Oregraph: 新春初散歩

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 見えないけど、雑煮の餅は二切れ。もうこれ以上はさすがに減らせない。

 餅の数はともかく、こうして雑煮を食べられることはまことにめでたい。飢える心配もなく、ただ体重の増加を憂うのみというのは、実にゼイタクな話である。

 被災地のみなさまはめでたさも中くらいなりだろうとお察しするが、ぜひ明るいお気持ちで新年をお過ごしになるようお祈りしたい。

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 雑煮のあとはお屠蘇でもと思ったけれど、新年早々怠けるのも気がひけるので、厳島神社まで散歩することにした。

 宝船に茅の輪。ぼくはこの輪をくぐる作法を知らぬから、まっすぐに通り抜けたが、なんとなく真人間に生まれ変わったような心地がする。不信心者といえども、このへんはやはり日本人なのである。

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 時間が少し早かったので、参拝客の数はさほどではなかった。間もなく長蛇の列ができるはずである。

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 将来ある若者には願い事がいろいろあるにちがいない。しかしもはや未来のないぼくが願うのは世界平和のみ(ほんとだよ)。

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 ああ、やっぱり正月はお酒を飲まなくちゃ。ぼくもこれから世界平和を祈って一杯やることにしよう。

 当ブログはあいも変わらず駄文専門ではあるが、今年もまたよろしくおつきあいのほど伏してお願い申し上げ候。

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