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January 03, 2012

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (12)

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   2007年8月25日撮影 南防波堤から見た石炭ローダー

 本日をもって連載を完結しようかどうか大いに迷ったのだが、分量的に考えた結果、今回は昭和46年から昭和52年までを扱うことにした。『臨鉄60年の軌跡』では、この時期からの記事が本文ではかなり簡略化されているけれど、付属の年表には多くの出来事が記録されているからである。

創立50周年へ

 昭和46年1月1日、札幌大谷地営業所開設、倉庫営業開始。

 昭和46年1月、釧路西港着工。

 昭和46年4月14日、春採保線班に4頭タイタンパー2基配置される。

 昭和46年6月17日、コンピュータによる車扱貨物通知書の作成を開始。

 昭和46年6月23日、テレックス導入使用開始。


 テレックスについては、1993年に釧路丹頂ネットに掲載した「C挫折記 上」第2回以降をお読みいただければと思う。テレックスの存在もいずれ忘れ去られてしまうにちがいない。

 昭和46年7月1日、浦見町に臨鉄クラブ開設。

 浦見町ならわが家の近所なのだが、このクラブには記憶がない。跡地がわかれば取材したいものである。


 昭和47年2月、コンピュータFACOM230-15導入。

 昭和47年5月29日、太平洋炭礦増産計画に対応した春採駅構内拡張改良工事が竣工。これにより、貨車収容能力が倍増した。

 昭和47年8月1日、浦見町および城山の臨鉄所有遊休地に有料駐車場造成開設。

 昭和47年8月17日、沼尻踏切連動交通信号機設置使用開始。

 昭和47年10月8日、新造連接石炭車セキ2両導入。

 昭和48年10月、中東戦争勃発。OPECが石油戦略を発動したことにより、石油危機が物価高騰を招く。


 いわゆるオイルショック。これはぼくもよく覚えている。当時買い占めによって店頭からトイレットペーパーが消えるという騒ぎもあった。

 昭和48年12月16日、太平洋スカイランドにて、創立50周年記念式典および祝賀会を開催。

 特に地方の企業にとって、めでたく創業半世紀を迎えるというのはそう簡単なことではない。わずか50年といえないこともないけれど、企業にとっても人にとっても、やはり大きい節目にはちがいないと思う。

 昭和49年1月12日、小口扱貨物の取扱いを廃止。

 昭和49年9月3日、貨物運賃を8年ぶりに改正実施(25%アップ)。


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   1974年12月14日 西港石油桟橋の千昌丸
   『釧路港開港百年記念誌』(釧路新聞社)より

 昭和49年12月14日、西港供用開始。

 西港第一船は石油桟橋に接岸した千代田汽船運航の内航石油タンカー千昌丸(2,516トン)であった。

 いささか私事に渡るけれど、本船を担当したぼくにとっては、いまも忘れられない出来事である。雪のちらつく寒い日であった。残念ながらいくら探しても当日撮った写真がみつからなかったので、『釧路港開港百年記念誌』よりお借りした。

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 2007年6月2日撮影 第1埠頭4号で揚荷中のチップ専用船
   (日本郵船運航 M.V. "DYNA VOYAGER")

 石油桟橋につづいて翌昭和50年には第一埠頭が完成し、同年8月21日にはチップ専用船第一船として、4号岸壁に日本郵船運航の十條丸が接岸した。ぼくは本船にも関わったから、まさに西港時代の開幕に立ち会うことができたわけである。

 昭和49年12月20日、物品販売業臨鉄ストア廃業。

 昭和50年7月20日、春採駅本屋改築工事竣工。

 昭和50年11月1日、南埠頭岸壁全面改修工事竣工。

 昭和51年2月、太平洋炭礦出炭量日産12,830トン(23日)、月産269,000トン。ともに創業以来の最高記録樹立。

 当時の石炭移出量は正確に覚えていないが、たしか年間200万トン以上だったはずである。

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   南埠頭付近(「釧路港要覧 2009/2010」 より)

 昭和51年6月8日、南埠頭に全農石油基地建設開始。

 ご参考までに全農石油基地を赤い線で囲っておいた。

 昭和51年11月6日、貨物運賃を改正実施(58%アップ)。

 昭和51年11月、無蓋貨車トラ7両廃車。

 昭和51年12月1日、春採駅保号室改造工事竣工。

 昭和51年12月17日、城山駅本屋新築工事竣工。

 昭和51年12月27日、埠頭事務所新築工事竣工。

 昭和51年12月31日、臨鉄東釧路駅本屋移設改築工事竣工。

 昭和52年3月30日、知人貯炭場桟橋専用線ならびに春採駅構内選炭場2番線重軌条更換工事竣工(30kg→40kg)。

 昭和52年4月30日、埠頭岐線より分岐する全農専用側線(3線総延長747m)を新設。

 昭和52年5月31日、東釧路駅構内改良により側線2線を増設し、6月1日より全農石油輸送を開始。

 昭和52年7月、領海12海里法、200海里漁業水域法施行。


 大型船減船など、200海里規制が釧路の漁業に与えた影響は大きかった。しかし昭和54年からは空前のイワシブームに支えられ、13年間連続して水揚量全国一を記録したことはすでに述べたとおりである。

 昭和52年9月30日、春採・知人保線班各詰所増築工事竣工。

 昭和52年12月30日、春採駅継電連動装置を一部改良し、選炭場専用側線に入換標識を新設。


 次回はいよいよこの連載の最終回である。

(つづく)

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Comments

今年も宜しくお願いします。

臨港鉄道と石炭列車の連載が次回で終わるのは寂しいですね。
春採駅から東釧路へ向かう線路はまさに12月29日の記事中の写真2~5の位置にありました。
写真2には踏切があったのを覚えています。
ちなみに写真5の西側の丘の上が我が家です。

懐かしく拝見させていただいています。
次連載が楽しみです。(笑)

Posted by: スコップ | January 04, 2012 at 20:36

>スコップさん

 こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。なにしろスコップさんは太平洋炭礦の生き字引ですから、頼りにしています。

 臨鉄の社史でひとつ残念なのは、当時の路線図が掲載されていないことです。もしあれば、停留所跡めぐりができるんですけどねえ。

 社史の年表は昭和58年までですから、その先は別に資料をみつけなければなりませんが……昭和58年(1983年)から現在までというと29年! 気が遠くなりそうです(笑)。

Posted by: 薄氷堂 | January 04, 2012 at 22:27

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