Daily Oregraph: 旧永住町へ
今日はマジメ元年の初日だから、さすがによく働いた。
まずは部屋の掃除。残念ながらあまりはかどらなかったのは、古いノートや印刷物などがみつかるたびに、つい読みふけってしまったからである(これでも昔はちょっぴり勉強したんだよ(笑))。
次はおつかい。まるでこどもだが、生きてゆくためにはやむをえない。サバイバルのためには、妙なプライドなどは捨てねばならないのである。写真はおつかいに行った先でみかけた、いつに変わらぬ歳末風景。
午後からは母が腰痛で入院中の病院へ行って、担当医師のお話をうかがい、新年早々に行われる手術の同意書に署名捺印した。これは愚かなる息子としての義務である。
かくもマジメな一日ではあったが、高校時代から学校をサボって、南大通の映画館へ通ったほどの男が道草を食わぬわけはない。おつかいのついでに、旧永住町のあたりを撮影し、本日のネタを確保したのであった。
石炭列車特集の第9回には臨鉄の永住町停留場(昭和28年設置)が登場し、
いま永住町という町名はないが、地図には春採7丁目に「永住住宅」が、武佐1丁目にはくしろバスの「永住」バス停留所が記載されている。
と書いた手前、せめて永住バス停の写真を撮りたいと思ったわけである。
まずは釧路コールマイン(旧太平洋炭礦)の選炭工場入口へ向かう。
選炭工場の向かいから釧路町方面へ通じる貝塚通り。写真の左手が春採7丁目、右が武佐1丁目。このあたりがかつての永住町だろう。
左に見えるアパート群が永住住宅である。この永住住宅がいかなるものかよく知らないけれど、ネット検索したところ、財務省所管施設一覧に掲載されていた。
道路標識のある交差点を右に折れると永住バス停があるはずだ。
少し歩くと右手にふしぎな一角が現れたのでビックリした。へえ、こんなところに炉ばたやスナックの並ぶ小路があるのか。永住住宅の住民のみなさんが通うのだろうか。
やはり歩けば発見があるものだ。貝塚通りはしばしば車で通っているのに、この小路には気づかなかったのである。
写真なんぞ撮っていると、怪しまれてイヌに吠えられやしないかと心配したが、さすがは客商売、おとなしいものであった。
交差点を右折すると、パチンコ店の脇にバス停が見えてきた。
万歳! 永住バス停である。これでめでたく目的を達成したわけだが、いささか虚しさを感じないでもない。いかに記録のためとはいえ、年の瀬にわざわざこんな写真を撮りに来るとは。
最後の気力をふりしぼって、財務省所管の永住住宅をもう一枚。おもしろいだのつまらないだのとえり好みしてはいけない。記録する精神には、芸術家に劣らぬきびしさが必要なのである。
なお地理不案内の読者のために、地図を用意したのでご参照いただきたい。
The comments to this entry are closed.
Comments