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December 17, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (10)

 この連載も回を重ねて第10回となった。ぼくの個人的メモを兼ねているため、かなり細かい出来事まで記載している。しかし臨鉄オタクを養成するつもりはないので、興味のない部分は読み飛ばしていただければと思う。

 今回は昭和30年代全体を扱ったため、思わぬ長編になってしまった。写真だけでもごらんいただければ幸いである。

 戦後の復興も一段落して、運送の主力が蒸気機関車から次第にディーゼル機関車へと交替し、充実期に入ったことがわかる。昭和38年に旅客輸送が廃止されたことも時代の流れを感じさせる。

ディーゼル機関車時代へ

 昭和30年11月20日、埠頭岐線より分岐するスタンダード石油専用側線新設。

 昭和30年11月20日、札幌陸運局長に(客車・貨車の同時編成による)混合列車廃止認可を申請、11月30日に認可され、12月1日に廃止を実施した。

 昭和30年11月29日、本社附属倉庫を解体移築した埠頭6号上屋(463平米)が完成。

 昭和31年8月22日、臨港駅本屋の新築工事竣工。

 昭和31年10月30日、定時株主総会にて、沼尻~知人間護岸改良工事、埠頭構内舗装、排水溝新設、本社社屋・社宅改築等の資金に充当するため増資を議決、資本金8,000万円(総株数160万株)となった。

 昭和31年11月10日、春採~沼尻間線路一部変更工事竣工、同区間が123m短縮された。

 昭和32年10月知人町に初のコンクリートブロック2階建社宅1棟5戸が完成。


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   2008年3月29日撮影 補修工事中の南埠頭日通倉庫

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   2011年11月13日撮影 現在の日通倉庫

 昭和33年6月10日、老朽化のため埠頭1号上屋解体。解体上屋跡敷地は日本通運に貸付、同社倉庫を建設。

 ごらんのとおり、相当古い倉庫なので、いつごろできたのだろうと疑問に思っていた。もし昭和33年ころ建設したものだとすれば半世紀以上経過していることになるが、この外観からしてその可能性大である。

 昭和33年6月、皇太子殿下が釧路市に行啓。

 東栄小学校前の道路沿いに生徒が並び、車列を歓迎したような記憶があるのは、たぶんこのときのことだろう。思えばぼくも日通倉庫なみに年を取ったものである。

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   2005年1月14日撮影 春採駅構内のD101

 昭和33年11月、新造ディーゼル機関車1両(D101 日本車輌製。重量54トン、定格出力400馬力×2)を導入、12月1日より使用開始。これにより蒸気機関車にくらべ、経費は半減し、輸送力は倍増した。

 2005年1月に許可をいただいて撮影した写真の出番がやってきた。現在は使われていないようだが、この栄光の第一号ディーゼル機関車は、いまも春採駅構内で見ることができる。

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   2005年1月14日撮影 連接石炭車セキ

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   同上 密着式自動連接器

 昭和33年11月、国鉄払い下げの石炭車セキ10両を使用開始、以後セキ号車が増備されていった。

 このときは連接部の特徴など知らなかったけれど、貨車を撮るようになれば鉄ちゃん見習いの資格はいただけるだろうか。

 なおこの年7月中央埠頭建設工事がはじまった。同埠頭の完成は昭和43年だが、昭和36年には西側の1号バースが供用開始された。

 昭和34年9月30日、臨港駅構内釧路石炭販売会社貯炭場用側線(延長115m売炭線)新設工事竣工(これは後年廃止・撤去された)

 昭和34年10月、太平洋炭礦第5本坑道春採~興津貫通。

 昭和35年1月10日、東釧路~春採間2.854km選炭場踏切道第2種踏切改良工事竣工(踏切警手配置)

 昭和35年1月25日、取扱貨物増加にともない、入換作業時間の短縮をはかるため、春採駅西部構内に入換線(延長122m)を新設。

 昭和35年4月1日、沼尻駅側線を貨物取扱皆無のため撤去し、停留場に変更認可を申請、5月4日に認可され、6月1日実施。

 昭和35年5月、チリ地震津波により道東地方は大被害を受ける。

 昭和35年6月、南新埠頭の埋立工事が開始される。

 昭和35年12月、国鉄より石炭車セキ11両払い下げ。

 昭和36年5月24日、東釧路~春採間1.273kmに、緑ヶ岡停留場を、東釧路~城山間0.890kmに材木町停留場を開設し、旅客取扱いを開始した。

 昭和36年7月30日、埠頭3号上屋を移築し、入舟町1号上屋とした。上屋跡地は小野田セメントサイロ敷地とした。

 昭和36年11月、釧路空港開港。

 昭和36年12月、国鉄釧路駅の新駅舎が完成。 


 現釧路駅。いわゆる民衆駅である。

 昭和36年8月10日、東釧路~臨港間にタブレット閉塞器を設置し、票券閉塞式からタブレット閉塞式に変更実施した。

 閉塞とは衝突防止のため、ひとつの閉塞区間に同時にふたつ以上の列車を入れぬように安全を確保するシステムのこと。詳細については「閉塞」を参照のこと。

 昭和37年8月、太平洋炭礦春採・興津両坑統合なる。

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 昭和37年9月、新造ディーゼル機関車1両(D201 日本車輌製。重量50トン、定格出力300馬力×2)を導入、10月9日より使用開始。

 残念ながらD201の写真は撮れなかったので、『臨鉄60年の軌跡』から拝借した。同書の年表(昭和58年まで記載)には廃車したという記事はみあたらないが、昭和41年11月に導入したD501は昭和54年2月に廃車されたと記録されているので、時期は不明だがD201も廃車になったのかもしれない。機会があったら確認したい。

 昭和37年11月、倉庫業許可を申請する。

 昭和38年4月1日、希望退職募集。応募者数19名。


 詳細は記録されていないが、この年10月に旅客取扱いを廃止したことと関係があるのではないか(もし見当ちがいならお詫びしたい)。


 昭和38年4月、石炭車セキ2両国鉄より払い下げ。

 昭和38年7月1日、(国鉄とは別に臨港鉄道の)東釧路駅開設、釧路臨港鉄道所属線における列車運転取扱業務を開始。

 昭和38年10月31日、旅客・手荷物・小荷物の運輸営業を廃止。これにより大正15年2月から37年に渡って運行された旅客列車が姿を消した。


 これも詳細は説明されていないが、背景にはもちろん旅客の減少があったにちがいない。これまた宿題にしておこう。

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   千代田汽船「雄鵬丸」
   『船体写真集』(昭和42年 日本郵船株式会社)より

 昭和38年、釧路南埠頭に初めて石炭専用船が接岸。

 船名やトン数が記載されていないのではっきりしたことはいえないけれど、たぶん写真のようにデリックなどの荷役装置を持たない専用船であろう。

 上の写真の雄鵬丸と同型(3,300~3,500総トン)と思われる千代田内航汽船運航の菱陽丸(昭和40年竣工)と八千代丸(昭和39年竣工)は昭和50年代釧路にたびたび入港して石炭を積んでいた。

 ぼくが南埠頭の石炭ローダー事務所におじゃましたのはそのころである。当時事務所では一年中ルンペンストーブが焚かれていたことを思い出す。本船では手仕舞のときに酒がふるまわれたこともなつかしい思い出である。いまよりも万事につけて余裕のある時代であった。

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   2011年12月12日撮影 現在の臨鉄倉庫群(入舟岸壁)

 昭和39年2月5日、倉庫業認可、入舟町1号上屋を営業倉庫に改装し、3月5日開業。

 未確認だが、写真の倉庫には港町倉庫が含まれているのかもしれない。

 昭和39年2月、蒸気機関車3両(7号、10号、11号)廃車。石炭車セラ9両および客車2両廃車。


 蒸気機関車は翌昭和40年にも3両廃車となっている。

 昭和39年6月、石炭車セキ2両を国鉄より払い下げ。

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   2011年8月29日撮影 南新埠頭

 昭和39年6月、南新埠頭埋立岸壁工事竣工(56,200平米。太平洋興発所有)

 南新埠頭を撮ろうなどというのはよほどの変わり者にちがいなく、ぼくもめったにレンズを向けたことがない。適当な写真がなかったので、すでに当ブログに掲載ずみのものを再利用した。

 なお写真に見える川洋丸はときどき南埠頭で石炭を積んでいる。上のほうで触れた石炭専用船と同型。


 昭和39年7月、ディーゼルカー(キハ1001号)を南部鉄道へ譲渡。

 昭和39年8月10日、釧路臨港埠頭運輸株式会社設立(資本金500万円。全額臨鉄出資)。

 昭和39年8月31日、機関庫改築工事竣工。


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   2005年1月14日撮影 春採駅構内の軌道モーターカー

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   2000年7月23日撮影  保線作業(米町付近)

 昭和39年9月、保線用モーターカー導入。

 当時のモーターカーがどんなものかはわからないけれど、春採駅構内でみかけた軌道モーターカーと、実際の保線作業に使われていた車両の写真を掲載しておく。

 せっかく春採駅で写真を撮らせていただいたのに、当時は予備知識がゼロだったから、いろいろお聞きすることができなかった。準備なしに現場に行ってもまともな取材はできないということである。

 昭和39年10月10日、東京オリンピック開会式。

 昭和39年10月18日、知人駅信号保安装置を第1種電気継電連動装置に変更する工事が竣工、10月19日使用開始。

 昭和39年11月20日、埠頭岐線より分岐する北日本木材市場専用側線新設工事竣工(総延長535m)。

 昭和39年11月31日、春採駅第1種電気継電連動装置新設工事竣工、12月1日使用開始。


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   2005年1月14日撮影 春採駅構内のD401

 昭和39年12月4日、11月に導入した新造ディーゼル機関車2両(日本車輌製 D301およびD401)を使用開始。

 D301は写真を撮れなかったので(たぶん廃車?)、D201同様『臨鉄60年の軌跡』から写真を転載させていただいた。

 こうして蒸気機関車は昭和30年代に主役をしりぞき、ディーゼル機関車の時代が到来したのである。

(つづく)

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Comments

こんばんは。
一枚目の「いなり小路」の写真に惹かれます。
その後、だんだん店が、小路自体がなくなっていく姿は、
なんだか信じられない気持ちです。
ですが、このようなことは、身近に起こっているんですよね。
何よりも、記録し続けた薄氷堂さんの「眼」に感服しております。

Posted by: 只野乙山 | December 21, 2011 at 00:30

>只野乙山さん

 どうもありがとうございます。

 いなり小路の古い写真は、まだ写真にほとんど興味のなかった頃に、何気なく撮ったものです。

 この手の写真は、撮影直後に見てもつまらなく、無価値に思えるのですが、何十年もあとになって机の隅からみつかると、俄然光彩を放っています。ウィスキーを樽に寝かせるようなものでしょうか(笑)。

 ぼくがマチをうろつき回って写真を撮るようになったのは、この写真がひとつのきっかけかもしれません。

Posted by: 薄氷堂 | December 21, 2011 at 09:44

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