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November 30, 2011

Daily Oregraph: 神様お神酒に酔う

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 2011年11月29日。

 ひさしぶりに幣舞橋を渡り、この日はいつもとは逆方向にレンズを向けた。いよいよ冬だから、「冬」の像を入れてみたのである。

 なにも方向を変える必要はないじゃないか、とおっしゃるかもしれないけれど、この像はこちらから見るのがぼくの好みなのだ。

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 ふつうに撮ればこんなぐあいだろうか。しかし問題は像の高さである。もう少し低く置かれていたらいいと思うのだが、これじゃちょっと高すぎるよ。おねえさんの鼻の穴をのぞいてどうしようというのだ。

 この種の像はどうしてたいてい仰ぎ見るように設置されるのだろうか? 芸術はできるだけ目の高さに近く見たいのである。しつこいようだが(笑)、何度でも繰り返していいたい。

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 物好きにも通らなくたっていい路地をわざわざ通って、

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ハタハタの塩焼を食べて来ましたとさ。このハタハタ、立派である。並みのサイズではない。

 当然のごとく、芋焼酎数杯(数えていなかった(笑))。ついでにお神酒も一合ね。この夜の仕上げは、別のお店でバーボン。いつの間にか日付が変わっていた。

 一文無大神がそんなゼイタクをしていいのか? いいんだよ。信仰の篤い氏子が気前よく勘定を済ませてくれたのだから。

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November 28, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (6)

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   2007年5月24日撮影 知人の浜手前にて

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   2005年9月19日 知人駅手前にて

 臨港鉄道の線路沿いはぼくのもっとも気に入っている散歩コースである。何度歩いたか数えたこともないが、カメラを手にしてからは歩くたびに必ずシャッターを切っている。たまに列車に出くわすとうれしくなることはいうまでもない。

 さて今回は昭和10年から太平洋戦争開戦までの時期を扱うことにしよう。

太平洋戦争開戦まで

 昭和10年3月5日、沼尻~知人間6.136kmより分岐する中村水産工場専用側線(延長60m)敷設、水産物加工品等の国鉄線連絡輸送を開始。

 これを読んだだけでは、素人には中村水産工場の位置はわかりにくい。そこで『臨鉄60年の軌跡』所収の昭和17年5月改正ダイヤを見ると、起点(東釧路駅)からの累計粁程(粁=キロメートル)は、春採3.3、観月園4.6、沼尻5.6、米町6.7、知人7.4となっている。

 もし起点から 6.135km地点だとすれば、沼尻駅と米町駅との間にあたる(すでに掲載した昭和7年当時の地図ご参照)。当時の米町駅の位置は大体推測できるので、最近の地図上でそこから約0.5km沼尻方向にコンパスを当てると、

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   2011年9月4日撮影 中村水産跡の地点

これまで当ブログで何度かご紹介した、中村水産の産業遺跡の位置にピタリ符合する。写真下に見える「3.0」の数字が、現在の春採駅を起点とするものだとすれば、3.3+3.0=6.3だから、当時の側線はこのほんの少し手前にあったと見ていいのではないだろうか。

 なんだか胸がワクワクするけれど(笑)、もしこの推測に誤りがあればご指摘いただきたいと思う。

 昭和10年9月、客車にガソリン動車1両(日本車輌製。キハ1 定員30名 出力26.8kw)。

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   城山駅とガソリンカー(昭和12年)
   『臨鉄60年の軌跡』 p. 55 より

 牽引されるのではなく単独で走る、たいへんコンパクトな車両である。やはり写真がなくては想像困難なので、勝手ながら写真を転載させていただいた。

 この客車がいま走っていたら大人気だと思う。もちろん生活路線としての再生は望めないから、採算は取れないだろうが。

 昭和11年10月、南埠頭5号上屋(463m2)が、同年11月には6号上屋(496m2)を新築。これにより上屋合計6棟(5,521m2)となる。

 まだ石炭ローダーは完成していないが、これで岸壁上の施設はほぼ完成に近づいたといえるだろう。

 昭和12年1月10日、昭和10年に着手し、昭和11年12月12日に開通した東釧路~城山間の運輸営業を開始。

 昭和12年7月、日華事変(日中戦争)勃発。石炭の需要急増により、8月に同形式蒸気機関車(6号)1両を新造・導入。


 いわゆる盧溝橋事件である。これ以後次第に戦時色を帯びた記載が増えてくる。

 昭和13年12月、春採駅構内拡張工事に着手。

 昭和14年7月知人貯炭場1号高架桟橋(コンクリート製 延長159m)完成。太平洋炭礦石炭積込ローダー完成、7月26日初の積込作業開始。

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   2002年1月12日撮影 積荷中の石炭ローダー

 いまの石炭ローダーが何代目なのかはわからないが、ぼくが入社当時南埠頭の石炭船に通っていたころのローダーは先代。ローダー2基で、5,500トンの石炭をたしか3時間10分~15分ほどで積み終わるという優秀な機械であった。

 昭和15年8月23日、臨港~入舟町間(0.816km)が開通し、翌日より営業開始。これにより、城山~東釧路~春採~知人~臨港~入舟町の釧路臨港鉄道線(11.440km)が全通した。

 これで釧路臨港鉄道は一応の完成を見たわけだが、現在残っているのはわずか春採~知人間のみだから、時代の流れとはいえさびしいものがある。せめて現在の路線は長くつづいてほしいものだと願わずにはいられない。

 昭和15年9月20日、臨港駅構内に陸軍専用の側線(延長354m)敷設。

 昭和15年10月24日、9,268kmの地点に入舟町駅開設営業開始。

 昭和15年11月25日、春採駅構内拡張工事完了。選炭場専用側線延長、車両留置線新設、機関庫移転新築、春採駅本屋改築。

 昭和15年、太平洋炭礦の年間出炭量100万トンを突破。

 昭和16年8月、蒸気機関車(7号)1両を新造・導入、9月20日より使用開始。

 昭和16年12月、海軍の要求により臨港駅構外側線(臨港~入舟町間延長300m)敷設。

 昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発。


 昭和15年度には出炭量100万トンを突破し、
昭和16年度の貨物総輸送量は開業以来最高の1,289,000トンに達したというのは、一種の戦争景気なのだろう。

 昭和16年の港湾運送事業統制令にもとづき、(昭和18年には)雑貨荷役のために釧路港運株式会社が、石炭荷役のために釧路石炭港運株式会社が設立される。

 いわゆる戦時統制によって港湾事業者は一港一社に統一されたのだが、釧路港の場合は石炭の扱い量が多かったため、室蘭・小樽同様「石炭雑貨の二本建」として、雑貨部門では釧路港運が、石炭部門では釧路石炭港運が設立されたのである(釧路新聞社刊 『釧路港開港百年誌』による)。

 なお太平洋戦争開戦により、港湾工事どころではなくなったため、


 昭和13年、北埠頭築設工事着手されるも戦争のため中止となる
(供用開始は昭和24年3月14日)。

という事実も記憶にとどめておきたい。

 戦時下の釧路港湾業界といい、北埠頭の歴史といい、たいへん興味深いテーマなのだが、その方面にまで手を出すと収拾がつかなくなってしまう。たぶんそれぞれ本が一冊ずつできあがるのではないだろうか。酔っ払いは分をわきまえて(笑)、あとは大学の先生にお任せしたい。

(つづく)

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November 27, 2011

Daily Oregraph: お神酒の誘惑

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 これだけは昨日の写真。

 もう店頭にお神酒の並ぶ時期となった。ぼくは日ごろ蒸留酒を愛好しているけれど、やはりお神酒は清酒にかぎると思う。

 冬は熱燗もうまいし、そろそろ自分用にお神酒を買おうかな。ぼくは一文無大神の生まれ変わりだから、資格は十分。もちろん一合じゃ足りないけどね(笑)。

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 これはヤナギガレイ。干したのを焼いて食うと、淡泊でなかなかうまいのである。

 炉ばたに行ってカレイを頼むと、ヤナギにしますか、ソウハチにしますか、と聞かれることがあるけれど、ぼくにはちがいがよくわからない。しかしたいていヤナギを注文するのである。名前に惹かれるせいだろうな。

 ご飯のおかずにするのも悪くないが、やはり炭火で焼いてもらったのを、熱燗をやりながら食べるほうがうまい。

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 こちらはシマソイ。まだ食べたことはない。煮つけにでもするのだろうか。刺身も悪くないかもしれない。

 おもしろい顔をしているのでパチリ。

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 そういえば裏庭のナナカマドの実はどうなっただろうと気になり、確かめてみたら木はもう丸裸。実はすべて落下して、ほとんどドライフルーツと化していた。

 ナナカマドの実は無毒だが、とても食えやしない。こどもの頃かじってみたら、ひどく苦かった覚えがある。果実酒にするという話を聞くが、色はともかく味はどんなものだろう。少なくともお神酒には向いていないと思う。

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November 26, 2011

Daily Oregraph: 宿酔絵日記 11/22~11/26

11月22日(火)

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 21日に引きつづき、強い西風が吹き荒れる。夕方には多少おさまったけれど、沖に船体の一部が見える貨物船は結局接岸を見合わせたらしい。

11月23日(水 勤労感謝の日)

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 観月園跡を歩いた帰り道の一枚。このあたりは古くから開けた土地だけに、こういう廃屋が散見される。

11月24日(木)

 写真なし。だからなにをしたのかも忘れてしまった(笑)。ぼくにとっては写真は正気を保つ手段でもあるのだ。

 最近ますます固有名詞を思い出すのもつらくなったし、棺桶に足を一本半突っこんだような気分である。先日も幸田露伴の名前がなかなか出てこなかった。「露」の一字しか浮かんでこないのである。まずい。非常にまずい。

11月25日(金)

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 図書館へ行ったら休館。

 やむなく用事もないのに生涯学習センターへ入ったら、船越保武さんの女性像が目を惹いた。これは幣舞橋上の「春」の像と同じものではないだろうか。

 この距離、この角度から見るのははじめてだが、おお、すばらしいじゃないか。いつもいうように、やはりこういう像は高い場所に置いてはいけないと思う。テキトーにシャッターを切ったわりには、いい表情が撮れたと思う。

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 ついでだから、最上階の展望台へ上ってみた。目的は先日訪れた根室本線鉄橋付近の撮影である。標準ズームだから、問題の部分をトリミングしてみよう。

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 鉄橋の上を普通列車が通過している。こうして見ると、鉄橋の向こうは再開発をまぬがれ、昔のままのようだ。そのうち取材したいと思う。

11月26日(土)

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 紫雲台へ行ったついでに、興津のズリ山全景を撮影。11月5日にご紹介した昆布干場の端から撮ったものである。

 人工のズリ山も歳月の経過とともに風景に溶けこみ、だんだん自然の丘のように見えてきたようだ。

 なお11月5日の記事でご紹介したトンネルの口のようなものは、先日スコップさんにお聞きしたところ、かつて採炭された太平洋炭礦興津坑に関係するのかもしれない。通気に使われたものかもしれないというのである。

 ご参考までに別ショットを掲載しておこう。

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   2011年11月3日撮影

 なるほど大きいダクトのようにも見える。右下の開口部もそうなのだろうか。いや、ひょっとしたら邪馬台国の遺跡かもしれないね(笑)。

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 先日強風が吹き荒れたので、念のため裏庭へ行ってみると、板塀の板が一箇所外れていた。応急処置としてありあわせの板で固定しておいたが、来年はちゃんと手を入れなくてはいけない。まいったなあ。

 それよりも気になったのが、塀から顔を出している赤い実。バラの実である。確認してみると、去年あれだけバッサリ剪り払ったのに、枝が一本伸びに伸びていたので絶句。

 来年は仕事がどっさり待ちかまえているようだ。まいったなあ(笑)。

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 バラの実を観察した。タネは全部で5個だったが、1個どこかへ転がってしまった。

 こいつは白バラなのだが、生命力きわめて旺盛なところをみると、野バラ系なのかな。

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November 25, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (5)

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   2007年10月27日撮影 春採駅近くの選炭工場

 今回はいったん明治の昔に戻り、石炭の春採湖上輸送について、少し詳しく見ることにしよう。資料として用いたのは『釧路叢書 第一五巻 春採湖』(昭和49年 釧路市発行)である。

石炭の湖上輸送

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   『釧路叢書 春採湖』より

 春採(春鳥)炭山の開発は、もともと標茶の硫黄精錬工場および硫黄輸送に用いられた蒸気機関車の燃料需要にかかわるものであった。

 春採炭山は当初露頭炭層から採炭されていたが、明治20年代以降昭和20年代まで11の炭鉱が開坑された。

 そのうち春採湖岸に坑口があったのは、上図に見える安田炭砿(明治20年~大正6年)の大安坑(明治21年~42年)と大成坑(明治22年~大正1年)の2坑、そして木村組釧路
炭砿(大正6~9年)時代に採炭が進められた小成(明治42年~大正9年)、新盛(大正6~9年)の2坑であった。

 大正7年には木村組が第一斜坑を開いて地下深部からの採炭となり、戦後はいわゆる海底炭へと変化していったわけである。しかしその間選炭工場はいつも湖の近くにあった。

 さて石炭の輸送上障害となったのが春採湖の存在である。当初はカマスに詰めた石炭をモシリヤ(現在の城山)まで陸上駄馬輸送していたというから、恐ろしく非能率な話である。

 すでに触れた川船による沼尻までの湖上輸送がはじまったのは明治23年である。湖岸にあった選炭場で取り除かれた粗悪炭や粉炭などは、そのままドンドン沼地へ捨てたわけで、現在からすればひどく乱暴な話だが、時代背景を考えればしかたのないところだろう。

 今回の記事のソースである『釧路叢書 春採湖』によれば、冬期間はカマスに詰めた石炭を馬そりで運んだとあるが、船にはどのような荷姿で積まれたのかは書かれていない。しかしたぶんバラ荷ではなく馬そり同様カマス詰めだったのだろう。

 「炭舟」には帆があり、風のないときは櫓を漕いだという。真冬の馬そり輸送は困難をきわめたらしい。雪が積もれば吹きだまりができるからである。

 また下の第2図には春採湖南岸の丘の上に安田堅坑(明治38年~44年)が見えるけれど、ここからはトロッコで沼尻まで運んで馬鉄に接続した(※注1)。

 初冬と春先は湖上輸送ができないから春採からの出炭ができず、いたずらに貯炭量が増えるばかりであった。これは当然経営不安定をもたらすから、安田が大正3年に閉山を決意するに至った大きな理由であったにちがいない。

馬車軌道全通

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   『釧路叢書 春採湖』より

 事業を引き継いだ木村は、出炭不可能な期間を解消すべく、沼尻まで馬車軌道を敷設したわけである。すでに述べたとおり、大正7年には馬車軌道が全線複線化されたのだが、これにより月間6,000トンの輸送が可能になったという。

 春採から運ばれた石炭が千代ノ浦で中継ぎされて港頭の貯炭場に到着するまでの所要時間は約2時間、輸送は昼夜兼行で行われた。人馬一体となっての重労働には想像を絶するものがあったにちがいない。

 その後大正14年2月に春採~知人間の釧路臨港鉄道が開通したことはすでに述べた。この間の年間出炭量を見ると、木村組時代の大正7年には24,644トン、太平洋
炭砿創立の大正9年には93,930トン、大正14年には137,149トンと増加している(※注2)。

(※1) 上図では安田堅坑から沼尻までのトロ線を大正7年以降のものとしているが、同坑の採炭期間(明治38~44年)と矛盾する。誤記ではないだろうか。またこの堅坑から出炭された石炭の選炭がどこで行われたのかは、『釧路叢書 春採湖』には記載されていない。

(※2) 本記事はすべて『釧路叢書 春採湖』によるが、同書によれば、昭和15年の出炭量は633,622トン。しかし『臨鉄60年の軌跡』の年表では昭和15年には「太平洋炭礦の年間出炭量が100万トンを突破」と記載されている。出炭量の基準がちがうのだろうか? 第一次資料にあたる必要があるかもしれない。

【追記】

 気楽にはじめたつもりが、だんだんとんでもないことになってきた。だいたいマジメに歴史に取り組もうとすれば、資料が山のように必要である。酔っ払いにはちと荷が重すぎるようだ。

 また石炭と港とのかかわりについて考えれば、港湾事業者や港湾工事などの歴史も無視できないし、南埠頭について触れる以上、雄別の石炭を積み出した北埠頭はどうなんだという話にもなりかねない。

 扱う範囲は芋ヅル式にどんどん広がって、はては中国・満州、真珠湾(笑)。だからほどほどのところで手を打つ必要があると思う。そこで当面は太平洋の石炭と臨港鉄道周辺にかぎって話を進めることにしたい。

 本日のおまけは、『釧路叢書30 釧路港』(布施 正著 平成6年 釧路市発行)から転載する苧足糸(おだいと)の地図である。

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 なお「たんこう」は炭坑、炭鉱、炭礦
、炭砿とさまざまに表記されるが、基本的には参考とした文献の表記に従ったことをお断りしておきたい。しかし今回掲載した写真を見ればわかるように、正式には太平洋「炭礦」である。

(つづく)

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November 23, 2011

Daily Oregraph: 沼尻から観月園へ

 いつものように旧柏木小学校裏に車を停め、今の季節ならふつうは湖畔を一周するのだが、臨港鉄道に敬意を表して(?)、まずは沼尻の鉄橋へ、それから観月園跡をめざすことにした。

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 いつに変わらぬ景色だが、この鉄橋が昭和9年に完成(正確には木造からの改築工事)したという新知識を得たあとでは、やはり見る目がちがってくる。ちょっとした文化財のように思えるのである。

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 上図は昭和49年に釧路市が発行した『釧路叢書 第十五巻 春採湖』より転載したものである。これによると、沼尻駅は鉄橋の少し手前(つまり西寄り)にあったらしい。

 このあたりは埋立されたらしいが、すでに明治期から昭和20年代まで、炭礦の発展とともにズリ(ボタ)の投入によって湖の南岸は埋め立てが進んでいたという。もちろん現在湖の水質は大幅に改善されているので念のため。

 なお『春採湖』には初期の石炭湖上輸送のありさまが詳述されているので、いずれ特集記事に補足としてご紹介したい。

 おっと、今日は散歩だからお勉強はここまでにしよう。

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 鉄橋を過ぎて少し東へ進むと、まもなく右手に丘への上り坂があらわれる。ひとつ上の写真では手前の丘へ至る道である。観月園はもうひとつ先の丘にあたる。

 以前この丘から湖畔へ下ったときの写真を掲載したことがあるけれど、下ると上るではおおちがいだ。けっして急な坂ではないが、このところ体重オーバー気味だから、正直いってちょいとつらかった。体重プラス老化だな(笑)。

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 丘のてっぺんに着いて間もなく、釧路市鳩ケ丘会館という建物が見えてくる。すぐ近くに小鳩町内会の案内板が立っていた。

 このあたりは春採一丁目のはずだから、なぜ鳩が登場するのかはよくわからない。鳩ケ丘という地名は定着しているのだろうか。

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 もう11時に近いというのに、水たまりはまだ半分凍ったままだった。冬の到来を実感する。

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 草むらや小さな畑の間を縫うようにつづく踏分道を歩いて観月園跡に到着。かつては一種の自然公園のような場所だっただけに、いつ来てもこの変わりようには目を疑うしかない。

 通りに面してパチンコ店、回転寿司、コンビニが建ち並んでいる。たしかバッティングセンターがあったと記憶しているけれど見あたらない。この場所は案外店舗の入れ替わりが激しいから、もう閉鎖したのだろうか。

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 表通りに出る。写真は西を見たところだが、この通りは道道釧路環状線(113号線)。東へ走ると道道根室浜中釧路線(142号線)、つまり北太平洋シーサイドラインへ接続する。

 本日の散歩はここまで。113号線を写真の方向に歩いて車に戻ることとした。

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 まもなく沼尻橋である。

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 沼尻橋上から沼尻川鉄橋を見る。この小さな水路は地図には春採川とあるが、沼尻川と呼ばれることもあるようだ。

 さて明日からはまたにわか勉強である(笑)。

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November 22, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (4)

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   知人駅構内と南埠頭全景(昭和12年)
   『臨鉄60年の軌跡』 p.58 より

 前回知人貯炭場の木製桟橋について触れたが、『臨鉄60年の軌跡』に写真が掲載されていたのでここに転載させていただく。この写真は『釧路港開港百年記念誌』(2000年 釧路新聞社刊)にも掲載されている。

 結局木製桟橋は現在あるコンクリート製のものと基本的に同じ構造のようである。さすがに写真の転載は気がひけたけれど、こればかりは写真がないと想像しにくいので、どうかご容赦いただきたいと思う。

 さていよいよ昭和期に入り、今回は昭和9年までの出来事を扱うこととする。

南埠頭の完成


 昭和2年2月20日、8,710km の地点に仮設入舟町停車場を開設して旅客取扱いを開始。この仮設停車場は、昭和15年10月24日9,268kmの地点に入舟町駅開設営業開始まで営業。

 第2回に掲載した昭和7年の地図にこの停車場が見あたらないのは、当時はまだ仮設だったからではないだろうか。

 昭和3年11月11日、別保信号所が東釧路駅と改名され、一般貨物取扱駅に昇格。


 このように着々と路線が整備される一方、南防波堤の完成(大正12年)に引きつづき、大正15年に着手された岸壁工事も進んでいた。

 昭和4年3月、市営の釧路港船舶給水岸壁竣工。

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 2006年11月26日撮影 南埠頭(石炭ローダーでは積荷中)

 これが釧路港最初の商船岸壁、南埠頭(延長約310m)である。石炭ローダー部(施設延長217m)には5,000載貨重量トン級1隻が接岸できる(「釧路港要覧」による)。

 地味な場所だから観光コースには組みこまれていないようだが、釧路港でもっとも古い南埠頭は一見の価値があると思う。

 さて財政の逼迫していた釧路市は、岸壁を含む市営埋立地を釧路臨港埠頭に貸付けることとなったが、

 契約の要点は、市有埋立地(34,639平米)を釧路臨港鉄道に年額29,610円で賃貸し、その条件として同社が釧路市に47万円を貸付け、その利息は土地賃料と同額とし、期間は満20年とするもの

で、期間満了後釧路市は同社の岸壁上施設を買収する権利を保有するというものであった。

 一方、釧路市が借入金額を償還できない場合は市有埋立地の所有権は同社に移転し、また市有埋立地を将来処分する場合は、同社は優先して譲受けの資格を有す

ものとされていた。

 昭和5年、釧路臨港鉄道株式会社によって8,048kmより分岐する岸壁側線(総延長1,426km)敷設、1号上屋(1,653平米)の新築工事が行われ、12月24日竣工。

接岸荷役の開始


 昭和6年3月12日、釧路港市営岸壁(現在の南埠頭)にて第一船である栗林商船神瑞丸(4,675トン)が、釧路港における初めての本格的接岸荷役を開始、最初の揚荷貨車積み輸送が行われた。

 揚荷過燐酸肥料1,711トン、積荷は富士製紙の巻取紙・角判紙104トン。それまでの艀荷役よりも荷役賃が低減、荷役能率も向上した。


 これは釧路港の歴史上特筆すべき出来事といってよいだろう。艀荷役と接岸荷役では、能率が段ちがいだからだ。なお富士製紙はのちの十條製紙、現在の日本製紙である。

 石炭の荷役については、昭和14年に石炭ローダーが完成するまでは、トロッコとコンベアを用いて直接本船に積み込む方式を取っていたという(『釧路港開港百年記念誌』による)。

 昭和7年6月7日、2号上屋(661平米)増築。

 昭和8年2月20日、3号上屋(1,653平米)新築。これにより貨物総収容量7,000トンに達する。

 昭和9年2月、釧路臨港鉄道株式会社は市有埋立地(地積34,579平米)を釧路市より72万円で買収、南埠頭は同社の所有するところとなった。


 結局市の財政事情はひどく苦しかったらしい。恥ずかしながら、ぼくはこの事実を知らなかった。郷土史もたまには勉強してみるものである。

 昭和9年7月31日、臨時株主総会にて増資を議決。資本金250万円・総株数5万株となる。

 昭和9年11月25日、南埠頭に4号上屋(595平米)新築。


 ついでにこの間の鉄道路線の整備状況について見ておこう。

 昭和4年12月17日、東釧路~春採間の線路勾配改良工事竣工。これにより翌日より同区間の旅客運輸を開始。

 昭和8年11月14日、東釧路駅構内臨鉄社線より分岐する新田練乳・ベニア工場専用側線(延長260m)新設により、根室線・釧網線と連絡する原乳・ベニヤ製品等の輸送を開始。

 昭和9年11月25日、沼尻川鉄橋完成。

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   2005年11月19日撮影 沼尻川鉄橋

 『臨鉄60年の軌跡』に掲載されている写真を見ると、当時の沼尻川鉄橋は現在とほとんど変わらない。

(つづく)

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November 21, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (3)

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  2005年11月20日撮影 春採湖南岸より春採駅方面を望む

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   2005年11月19日撮影 沼尻・千代ノ浦方面を望む

 今回の記事は「臨鉄60年の軌跡」の原文そのままではないにしても、ほとんどそっくり引き写したメモになる。そこにぼくの文章が混じるとさすがにまぎらわしいので、同書による部分を茶色で示すことにした。

太平洋炭礦と釧路臨港鉄道

 大正9年4月22日、木村組釧路炭礦と三井鉱山釧路炭礦が合併し、太平洋炭礦株式会社創立。

 大正12年1月15日、太平洋炭礦と釧路臨港鉄道創立委員(7名)との間で地方鉄道敷設に関する契約書が取り交わされた(主な内容は、鉄道の敷設に要する太平洋炭礦所有地を創立委員に売渡すこと、太平洋炭礦の石炭運送に対し優先権を与えることなど)。

 大正12年1月20日、釧路臨港鉄道創立委員は鉄道大臣に地方鉄道敷設免許を出願。同年6月18日免許状が下付された。


 石炭の輸送が最優先であることは当然としても、大正12年6月24日に開催された緊急市会において、太平洋炭礦の専用鉄道ではなく便益は一般に開放される、と発起人が表明したことは記憶にとどめておいてよいと思う。

 大正12年12月12日、釧路臨港鉄道株式会社創立。資本金50万円、総株主数7名。

 大正13年12月、知人貯炭場に木造石炭桟橋(延長96m)竣工。


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   2007年8月3日撮影 知人駅構内

 木造の石炭桟橋がどんなものか、正直いって想像もつかない。写真に見えるコンクリート製の構造物に似たものなのだろうか。機会があればご専門の方におうかがいしたい。

 大正14年2月7日、春採~知人間(延長4.425km)開通、2月12日米国製蒸気機関車により営業開始。

 あとでふれるように、ディーゼル機関車が導入されたのは昭和33年である。

 大正14年3月14日別保~春採間(延長3.219km)開通、3月16日貨物連帯運輸営業開始。

旅客輸送の開始

 大正14年12月7日、知人~苧足糸(同年11月17日に臨港と改名)間(延長1.318km)開通と同時に、春採~臨港間旅客運輸営業の認可を申請し、沼尻、米町、真砂町にも停留場を設置。

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   2011年11月6日撮影 入舟の臨港鉄道線路跡

 苧足糸(おだいと)とは聞きなれぬ地名である。現在では知る人も少ないけれど、かつて港町から大町にかけての一帯を指してそう呼んでいたという。

 上の写真はつい先日掲載したものと同じだが、臨港鉄道の線路跡が残っており、ちょうど港町(右手)や大町(正面)との境目付近にあたる。前回掲載した昭和7年当時の地図では線路の途切れたあたり。

 大正15年2月1日より旅客・貨物の運輸営業を開始。客車は国鉄払い下げの車両一両(定員57名)を使用し、貨車・緩急車とともに混合列車として、一日3往復を運行。旅客は大人10銭・小児5銭の均一運賃。

 つまり鉄道の便益を一般に開放したわけである。臨港鉄道の客車には、ぼくもこどもの頃母といっしょに乗ったことがある。たぶん米町駅から春採駅までの区間ではなかったかと思う。運賃はたしかこども5円。いまとなっては夢のような話である。

 当時春採には太平洋炭礦の購買部があったのである。いまのスーパーマーケットの前身みたいなものだろうか、一通りの商品が並んでいたと思う。

 大正15年5月、住民の請願により、春採~沼尻間に観月園停留場(冬期は乗降客皆無のため休止)を設置。

 観月園はいまも名前だけは残っているけれど、すでに昔の面影はない。小学校のころ遠足に行った記憶がある。一番上の写真を撮影した場所が観月園付近である。

(つづく)

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November 20, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (2)

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   2005年11月23日撮影 春採駅に停車中の石炭列車

 石炭列車の全体を撮影するのは案外むずかしい。この写真はパノラマ合成したものである。春採駅は画面右端あたり。

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 こちらは亡父が1979年5月18日に撮影したもの。当時の機関車編成が現在と同じかどうかは不明。どうもちがうような気もするのだが。

 なお写真では貨車が画面右側で切れて見えるけれど、ポジフィルムをスライドにマウントした状態で、実際には貨車の右側にはちゃんと余裕がある。余談になるけれど、フィルムのスキャニングはたいへんむずかしいものだ。ひどく時間もかかるし、いくらフィルムがすぐれているとはいえ、とてもやっていられないというのが本音である。

 閑話休題。

 すでに述べたように、臨港鉄道はかつて旅客輸送をした時期もあるし、石炭以外の一般貨物も扱っていた。しかしそもそも春採炭礦の石炭輸送のために設立され、現在では石炭のみ輸送する鉄道であるからには、ざっと炭礦の歴史をおさらいしておく必要がある。


初期の春採炭礦


 春採炭山は明治20年に安田善治郎が開発に着手し、明治23年沼尻~米町~港頭貯炭場まで2kmの馬車軌道を敷設して石炭の運搬を開始した。これは安田の馬鉄と呼ばれ、一頭につき0.5トン台車を5~10台牽いていたという。

 ここで昭和7年当時の釧路市街図をもとに当社の作成した地図を見ておこう。もとの市街図は平成4年に釧路市が発行した「目で見る釧路の歴史」から拝借したものであることをお断りしておく。

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 ごらんのとおり、春採から沼尻まではやや距離があり、安田の馬鉄当時はまだ軌道がなかった。そのため山元から沼尻までの間は、川船を使用して春採湖を渡り、石炭を輸送したのである。冬期間は湖面が凍結するから、馬そりが使われた。

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   2008年2月17日撮影 結氷した春採湖

 もう昔話になるけれど、ぼくが高校生のころ、体育のスケートの授業を春採湖上で行ったことがある。当時でも氷の厚さは30センチ以上あったから、より寒さの厳しかった明治時代には、馬そりが悠々と湖上を往来したにちがいない。

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   2005年3月19日撮影 氷の緩みはじめた湖岸を走る列車

 問題は春先の氷が緩みはじめた時期で、船も馬そりも使えないから、石炭輸送は休業状態だったはずである。

 時は移って大正6年、経営不振により休山中であった安田炭礦は、木村久太郎が経営を引き継ぎ、木村組釧路炭礦となった。木村は春採湖南岸に馬車軌道を敷設し、これにより山元から港頭まで軌道による輸送が可能となったのである。

 大正7年、馬車軌道は全線が複線化された。さらに大正9年、知人貯炭場まで複線が敷設され、今日の釧路臨港鉄道春採~知人間路線の原形が完成した。

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   2003年10月5日撮影 知人駅と貯炭場

 この写真が現在の終点、知人駅である。画面右上に南埠頭の倉庫が見える。

(つづく)

 ※今回にかぎらず、次回からも「臨鉄60年の軌跡」からの引用部分についてはいちいち明記しない。ほとんど丸写しの部分も少なからず、明記しないのは礼儀に反するけれど、あらかじめお詫び申し上げるとともに、どうかあしからずご了承いただきたいと思う。

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November 19, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (1)

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 釧路臨港鉄道春採駅の全景である。今日はあいにくの天気だったが、わざわざ撮影したのは、これまで石炭列車にばかり気を取られて、駅舎をまともに撮ったことがなかったからである。

 長い歴史を誇るこの鉄道は、現在釧路コールマイン株式会社の採炭した石炭を春採から知人の貯炭場まで貨車輸送している。

 かつては旅客輸送をしていた時期もあって、釧路市民には大変なじみの深い鉄道である。また石炭の黄金時代が過去の話となった今日、石炭を貨車輸送する国内唯一の路線として全国の鉄道ファンにも知られている。

 ぼくがこの春採駅を訪れて機関車を撮影したのは2005年1月14日のこと。太平洋炭礦 OB であるスコップさんにお口添えいただき、構内に立ち入って運転席の内部まで撮影し、そのあと釧路コールマインの構内を見学するという貴重な体験をすることができたのである。

 そのとき撮影した写真のほんの一部はすでに掲載ずみであるが、臨港鉄道(略称臨鉄)訪問記としてまとめるのをサボっているうちに、すでに6年以上の歳月が経過してしまった。

 そこでスコップさんのご厚意に報いるためにも、何回かに分けて特集記事を掲載する予定だが、せっかくだから郷土史の勉強も兼ねて、わが釧路の誇る臨港鉄道の歩みについても簡単に触れたいと思う。幸いなことに、これ以上は望めないという最高の参考書がぼくの手元にある。

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 もちろん本書の内容のすべてをご紹介するわけにはいかないけれど、臨鉄の歴史をざっと把握できる程度にはまとめてみたいと思っている。

 乞うご期待。

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November 18, 2011

Daily Oregraph: ネコヨラズ

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 タイトルどおり、ネコ寄らず。港町岸壁の黒猫はたいていなじみなのだが、こいつは内気で人見知りするらしく、ぼくが近づいていったらすばやく逃げてしまった。

 男泣く泣く詠める、

 猫寄らず女も寄らぬしよぼくれた男にも寄る年波の暮れ

 悲しいねえ、ほんと。

 さてバカなことを書いている場合じゃない。2005年1月の臨港鉄道訪問記だが、やはり HTML ファイルを作成するのは面倒くさいから(笑)、何回かに分けてこのブログに掲載しようと思う。近日公開。

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November 16, 2011

Daily Oregraph: 冬が来たぞ

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 午前中は青空に鯨が泳いでいた。

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 しかし15時を過ぎると、空は不穏な雲に覆われ、こいつは降るなと思っていたら、

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やはり雪が降り出した。

 すぐに降りやんだので積もりはしなかったけれど、雪は雪である。

 -冬が来たぞと海鳥啼けば~

 -なんです、いきなり。それ、歌ですか?

 -歌ですかとは失敬な。君は名曲喜びも悲しみも幾年月を知らんのか?

 -知りませんよ、そんな歌。

 -ばかもの! ふだん英語まじりの植民地ソングばかり聴いているから、日本人としての教養が身につかんのだ。

 というわけで、釧路市民諸君、冬が来たぞ。

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November 15, 2011

Daily Oregraph: 【特集】釧路川左岸文明開化

 釧路の地理に不案内な読者のために簡単にご説明しておくと、釧路川にかかる橋は、下流側から幣舞橋(ぬさまいばし)、久寿里橋(くすりばし)、そして旭橋、さらにその上流側には根室本線(花咲線)の鉄橋がある(それよりも上流については省略する)。

 幣舞橋から根室本線鉄橋までの間の釧路川左岸(南岸)は近年大々的に再開発され、もはや昔日の面影を完全に失ってしまった。想像もつかぬ巨費を投じて行われた工事は、景観にどのような変化をもたらしたのであろうか。

 今回の特集にあたって取材した範囲は、久寿里橋から根室本線鉄橋までの間である。掲載した写真は特に記載のないかぎり、2011年11月14日に撮影したものであることをお断りしておく。


久寿里橋から旭橋


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   (2006年3月12日撮影)

 あまりの変わりように、どこから手をつければよいのか迷ったけれど、まずは2006年に撮影した工事中の写真をごらんいただこう。久寿里橋上から旭橋方向を見たところである。

 これだけ見ると、あたりまえの工事写真のようだが……

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   (以上2000年5月6日撮影)

これら二枚の写真が一枚目の写真のカラー舗装された部分だと知ったら、女学生ならずとも、「え~、うそ~、マジで~」と驚くにちがいない。

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 これが二枚目の写真のあたりの現在の様子である。あまりの激変ぶりに、なかなかもとの場所の見当がつかず、微妙にくいちがっている。

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 一枚目の写真と同じく、久寿里橋から上流を見た現在の様子。

 次に方向を変えて、旭橋から下流側の久寿里橋を見た写真をくらべてみよう。まずは現在の様子から。

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 あたりまえの話だが、すぐ上の写真とぴったりマッチしている。だが、ほんの5年ほど前に撮影した写真とくらべてみれば……

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   (2006年2月26日撮影)

まるで戦前と戦後ぐらいの大変化が見られる。ムンムンする人の匂いが消え失せ、がらんとした無機質な空間だけが残ったような印象を受ける。

 注:このときはまだ工事区域はここまで及んでいなかったが、画面奥をよく見ると、少し下流側はすでに工事中であることがわかる。いわば風前のともしび。

旭橋から根室本線鉄橋

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 これらは旭橋から根室本線鉄橋を見た現在の写真である。まずはこの景色を記憶に焼きつけてから、次の写真をごらんいただきたい。


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   (以上2001年10月28日撮影)


 こうした風景は、まだ工事がここまで進んでいなかった2006年にも変わっておらず、散歩のたびに目を楽しませてくれた。

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   (2006年2月26日撮影)

 こういう混沌とした風景を愛するのは自分が変人のせいかもしれないけれど(笑)、世間は広いから案外愛好家がいそうな気もする。どこにでも見られるこぎれいな景色というのは、そのぶん無趣味でつまらないものだからだ。

 根室本線の風格ある鉄橋との調和という点からも、失われたものの大きさに失望を感じるのはぼくだけだろうか。もちろん遅かれ早かれ、こういう日が必ず来たであろうことは百も承知しているのだが。


根室本線鉄橋前

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 今回の取材は驚きの連続であったが、とりわけ目を疑ったのがここ、根室本線の鉄橋手前である。

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   (2000年8月13日撮影  ノロッコ号通過中)

 いったいなにがどうなったのかすぐには理解できなかったけれど、

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いつの間にかこんな施設ができていたのである。上から二番目の写真に写っているマリーナの建物がこちらに移設され、立派な船着き場が作られていた。玉下駄、駒下駄、日和下駄である。

 はい、では次の写真を出してくださいね。

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   (2000年6月11日撮影)

 いや、驚きましたね、ほんとにビックリですね。腰を抜かしちゃいけませんよ。これ、すぐ上の写真と同じ場所なんですが、信じられますか、あなた。変われば変わるものですね、文明開化ですね。

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 まさか年金を流用してはいまいが(笑)、多額の税金を投入してこれほど立派な施設を作った以上、ちゃんと活用してモトを取ってほしいものである。

 これほど金をかける必要があったのかと疑問に思うほど立派に河岸を整備したからには、多くの市民に散歩してもらわなくては、お天道様に申し訳が立たぬと思う。頼むよ、ほんとに。

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 最後に昔の面影をとどめる鉄橋手前の景色をパチリ。このときあいにく列車は通過しなかったが、ここは鉄ちゃんの有名撮影ポイントのひとつである。

 では、さらば。ぼくにとっては河岸の魅力はほとんど失われたも同然だけれど、これも時代の流れ、気を取りなおしていずれまた訪れることもあるだろう。

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November 14, 2011

Daily Oregraph: 宿酔絵日記 11/11~11/14

11月11日(金)

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 10日に引きつづき中央埠頭を取材。帰り道に市立図書館へ寄る。一年以上のごぶさたである。

 貸出しカウンターでシャレた栞をいただいた。私立大学図書館協会作成らしいが、裏面には高専図書館の案内が印刷されている。大楽毛までは遠いけれど、そのうち行ってみようと思う。

11月12日(土)

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 興津(おこつ)1丁目付近を歩いてみた。

 釧路コールマインの敷地内は、昭和の景色がそっくり残る別世界である。すばらしい文化財だと思う。残念ながら立入禁止なので、ぎりぎりの地点から写真を数枚撮る。

11月13日(日)

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 去年より一日早くスタッドレス・タイヤに交換する。釧路市内なら月末に交換しても十分間に合うのだが、面倒なことはさっさと片づけるにかぎる。

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 港町・入舟のあたりをぶらつき、南新埠頭に寄って対岸の北埠頭・中央埠頭を撮影。写真の岸壁は港町に属する。

11月14日(月)


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 風が強かった。あっという間もなく、愛用の乞食帽子が風に飛ばされて釧路川に落下。さらば。次はもちっとシャレた帽子にしよう(笑)。

 今日まで休暇なので、釧路川左岸(南岸)の上流を取材。このあたりも景色が一変したから、以前から訪れるつもりだったのである。レポートは近日中にまとめる予定。

 レポートといえば、2005年にスコップさんのご協力によって実現した臨港鉄道の取材を放りっぱなしにしたまま。そろそろまとめなくてはいけないが、こちらはブログには向かないので、ぼくのサイトに掲載する予定である。

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November 13, 2011

Daily Oregraph: 【特集】変わりゆく港 編集後記

 -超マイナーな特集記事、どうもお疲れさまでした。物好きな読者がいるといいですね(笑)。

 -ハハハ、いいんだよ。当紙は超ローカルな話題が売り物なんだからね。ところで北埠頭西側岸壁の写真がみつかったから載せておこうか。2001年9月30日に撮影したものだよ(逆光のため暗く写った倉庫のあたりを、かなり明るめに調整しておいた)。

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 -十年前の写真ですね。ここはずいぶん変わりました。

 -うん、これからもっと変わるんじゃないだろうか。まだ古い倉庫がいくつか残ってるしね。

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 -これは今朝南新埠頭から撮ったんだ。ちょっと霞んでいてわかりにくいけど。

 -左が北埠頭ですね。「そうや」が見えます。中央埠頭は4号まで確認できますね。

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 -中央6号と旅客船バースとの間のフェンスがこちらだ。昔はフェンスのすぐ東側(右手)に港湾事業所があった。

 -あちこちにできたフェンス、ほんとにじゃまですねえ。だいたいこんなフェンスがテロ対策の役に立つものでしょうか?

 -そんなこと、大きな声でいわないほうがいいぜ。アメリカ様のご意向なんだからな(笑)。

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 -これも今日みつかった写真なんだが、中央埠頭の川筋の様子がよくわかる。2000年6月12日に KODAK の DC280 というコンパクトデジカメで撮ったものだから、解像度は低いけどね。

 -こうして昔の写真を見ると、ヘボなものでもそれなりに値打ちのあることがわかります。

 -ヘボは余計だけどね(笑)。実はもっと系統立てて撮っておけばよかったと反省しているんだよ。つまり定点撮影に適した場所をきちんと選んで、定期的にそこから写真を撮るわけだ。

 -なるほど。十年先を意識して、比較しやすい写真を撮影しておくということですね。たまたま古い写真があったからいいというワケではないと……

 -そうなんだ。いま手元に残っている写真といえば、なんの考えもなしに適当に撮ったものばかり。まったく修行が足りないよ。おれはもう先が短いから(笑)、若者に期待したいね。

【11月14日付記】

 工事中の旅客船バースが写っているので、2009年2月11日に生涯学習センターから撮影した写真を追加しておく。

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November 12, 2011

Daily Oregraph: 【特集】変わりゆく港 中央埠頭編

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 中央埠頭編完成を記念して(?)、写真番号を付した略図を作成したので、ご利用いただきたい。なお丸数字はバース番号を表すことを補足しておく。

 一文にもならぬのにここまで手間をかけるとは、われながらバカじゃないかと思う(笑)。

 実は客船バースの完成とともに6号上屋より東側の景色が一変した以外は、中央埠頭は全体としてそれほど変わっていない。したがって客船バース以外は、現状の記録ということになる。

中央埠頭 変わる景色と変わらぬ景色

 まずは新旧の写真をくらべてみよう。

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写真1:2006年12月10日撮影(上) 2011年11月11日撮影(下)

 中央埠頭は北埠頭ほどビジュアル的におもしろい場所ではないから、あまり写真を撮った記憶がない。しかしこの廃屋はひときわ異彩を放っているので、繰り返し撮影している。

 もと釧路埠頭の中央埠頭作業所らしいが、使われていた当時のことを覚えていないから、かなり古い建物だと思う。いまだにそっくり残っているのは驚きである。

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写真2:2001年11月4日撮影(上) 2011年11月10日撮影(下)

 中央埠頭で景色が激変したのはここ。三ツ輪運輸の倉庫群が姿を消して、今年旅客船バースが完成したのである。正面に見えるのは釧路全日空ホテル、左手の煉瓦造りの建物は道立釧路芸術館。

 写真上の左端に見える三ツ輪運輸の作業所は、外側の階段が左右対称というユニークな建築様式で、ぼくは気に入っていた。この日あるを予測して、わざわざ夜に写真を撮ったことがあるくらいである(笑)。味のある建物だったのに、惜しいことをした。

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写真3:2004年2月12日撮影(上) 2011年11月11日撮影(下)

 これら二枚の写真は厳密にいうと同じアングルではないが、それには理由がある。写真上の右手に見える小さな平屋の建物(釧路市港湾事業所跡)と上屋の間には現在フェンスが設けられているため、同じ場所からは写真が撮れないのである。

 港湾事業所ではかつて釧路市のタグボート事業が行われていたのだが、それを知る人もいまでは少なくなったにちがいない。タグボートは北光丸ともう一隻、なんといったっけ。まさに往時茫々である。

 なお写真上は、SOLAS条約によって、外航船バースにテロ対策のフェンスをめぐらす必要が生じたため、港湾関係者がフェンス設置予定の現場を視察しているところである。

中央埠頭のいま

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写真4:中央1号から西側岸壁を見る(2011年11月11日撮影)

 西港の整備とともに使用頻度が激減したけれど、昔はおおいににぎわった岸壁である。上屋は手前から1号、2号、3号で、それぞれバース番号と対応している。

 東港でもっとも水深の深いバースは中央3号だが、10mしかないから大型船は接岸できない。

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写真5:明糖倉庫前から南を見る(2011年11月11日撮影)

 写真4の裏手である。いわば中央埠頭のメイン・ストリート。いまはゴーストタウンのようになってしまったけれど、最盛期には多数のトラックやフォークリフトが行き交い、車を運転するのが恐ろしいほどであった。

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写真6:中央4号前から北を見る(2011年11月11日撮影)

 ちょうど写真5の先端部から逆方向を見たところ。

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写真7:中央4号から東を見る(2011年11月11日撮影)

 釧路川沿いのこの岸壁は通称「川筋」。遠くに幣舞橋が見える。

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写真8:5号上屋壁面の釧路市市章(2011年11月11日撮影)

 星に○は釧路市の市章である。市民ならだれでも知っているとは思うが……(?)

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写真9:フェンスの網目から見た客船バース(2011年11月11日撮影)

 巨費を投じて完成した耐震客船バース。モトが取れるのかどうか、おおいに疑問ではあるが、ここまでみごとに整備されたことは歓迎すべきなのだろう。裏通り派としてはいささか複雑な思いもないではないが……

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写真10:たぶん銀河系一清潔なトイレ(2011年11月10日撮影)

 なんの建物かと思ったら、トイレであった。初めて利用させてもらったのだが、世界に冠たる清潔トイレ国である日本の誇るゼイタクなトイレ。こんなに立派でいいのか、と驚くほどである。4月15日~11月30日の午前9時から午後9時まで利用できるから、あなたもぜひ(笑)。

 なお画面左端に見えるのは釧路プリンスホテル。

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写真11:トイレ前から西を見る(2011年11月10日撮影)

 眼前に展開するだだっ広い空間には心もことばも及ばず、ただただ驚くしかない。まさに黄金の国ジパングである。もはや北埠頭も中央埠頭もどこへやら、長びく不況をすっかり忘れるひとときであった。

 ああ、釧路市よ、汝はいずこへ行こうとしているのか?

 ここにおいて、ぼくの次の目標は定まった。こぎれいに整備された幣舞橋より上流の河岸である。

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November 11, 2011

Daily Oregraph: イエス・サー

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 なんとなく古い写真(2006年8月6日撮影)を再掲載したくなった。いや、特に意味はない。

 -TPP ってなんだかわからないけど、いよいよ植民地になるそうだから、英語でも勉強しといたほうがいいのかなあ? 小学校のガキでさえ英語を教わる世の中なんだし。

 -なあに、勉強なんてすることないさ。たったひとつだけ覚えれば間に合うよ。

 -へえ、そうかい。で、なにを覚えるんだい?

 -そりゃ、あんた、「イエス・サー」だよ。

 ほんとうに情けない世の中になったものだ。今日は中央埠頭の写真を掲載する元気も失せてしまった(笑)。

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November 10, 2011

Daily Oregraph: 【特集】変わりゆく港 北埠頭編

 昔を思えばウソのようにさびれた東港だが、少しずつ変化の波は押し寄せている。

 当紙としては、このへんで特集を組み、北埠頭と中央埠頭の変わりようを記録しておきたいと思う。

 本日は北埠頭編。「保存版」と称してもおかしくない内容にすべく、景色の変化を対照できるように工夫をこらしたつもりである。

変貌する北埠頭

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 北埠頭東側岸壁。ここは上の写真でもわかるとおり、内航タンカー荷役に使用されていた。木材船の水面落とし荷役が行われたこともある。

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 少し近寄ってみよう。お気づきだろうか、手前の倉庫の向こうにあった倉庫の屋根が消えている。

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 同じく東側岸壁を基部より見る。

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 さてこの写真は1955年4月14日に亡父が撮影したものである。場所は記録されていないのだが、ぼくには北埠頭東側岸壁のように見えるので、ご参考までに掲載しておきたい。

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 同じく東側岸壁。このアングルだと新旧のちがいはよくわからないかもしれない。

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 ひとつ上の写真に見える倉庫の裏手から突端部(南側)を見る。左手の倉庫のうちひとつが姿を消している。

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 そのまま前進して一枚。左手の倉庫は日通倉庫である。

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 日通倉庫前から北側を見る。

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 突端部、つまり南側岸壁を西から東へ向かって見たところ。いつだったか、この古い埠頭に東水の冷凍倉庫ができたときは驚いたものである。

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 ひとつ上の写真にある北菱産業埠頭(旧釧路埠頭)倉庫跡から北側を見る。

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 ひとつ上の写真の正面に見える古い倉庫の裏手から西を見る。相棒を失った右の倉庫が悄然として立っている。

北埠頭のいま

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 西側岸壁に接岸中の海上保安部「そうや」。かつてここで巻取紙の積荷作業が行われたとは、とても信じられない思いである。

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 以前とあまり変わらぬ景色を探してみた。西側岸壁から東側を見る。

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 西側岸壁に残る倉庫前から基部を見る。これも昔どおりのながめである。

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 副港側から見た北埠頭西側岸壁。左手に見えるセメント船が荷役中の岸壁の名称は北埠頭直線部。

 直線部岸壁にはかつて近海郵船のフェリー・ターミナルがあったことをご記憶の市民もおいでかと思う。こうしたこともときどきだれかが書かないと、いずれ忘れ去られてしまうにちがいない。

 明日は中央埠頭編を掲載する予定。

 なお本日と明日は休暇をいただいている。サボって撮影したと思われては心外だから(笑)、念のためお断りしておこう。

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November 09, 2011

Daily Oregraph: イヌホオズキ事件

 マイナーであることの恍惚と不安……いや取材費の欠乏と不安こそ当ブログの泣きどころなのであるが、

 -ばかやろう、金がなけりゃ歩くんだよ。どこぞのお坊ちゃまじゃあるまいし、記者は足で稼ぐものだ。

というのが鬼の編集長の口癖である。

 だから京都の紅葉を取材するなど夢のまた夢、ましてや戦場カメラマンになるために(笑)アフガンへ出向くなど、十万光年待っても実現しっこない。靴底をすり減らして近所をうろつき回るのが関の山なのである。

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 -編集長、スクープです!

 -ほんとかよ?

 -ごらんください。社の近くにあるイヌホオズキなんですけど……

 -おまえ、バカに磨きがかかってきたな。そんなマイナーな記事が受けるとでも思っているのか。まったく、イヌホオズキだと!?

 -まあ、そうおっしゃらず、写真をごらんなさい。どちらも同じ個体なんですけど、今日撮った写真を見ると、実がひとつ減って、そのタネらしきものが葉っぱの上に残っています。事件ですよ、これは。

 -おまえがもいだんじゃないのか?

 -ご冗談を! いいですか、話はここからおもしろくなるのです。

 なぜ実がひとつ失われたか、みなさまはどう推理されるだろうか。

 (1) 自然落下説……ノー。実は完熟していないし、かりに重力によって落下したとすれば、コロコロ転がって地面に到達したはずだから、タネだけ葉の上に残っているわけがない。

 (2) 動物によって食べられた説……ノー。犬も食わぬイヌホオズキを、たとえばカラスなどの鳥が食べるとは考えにくい。かりにそうだとしても、タネが3個だけ残るというのは不自然である。

 -ふん、おまえはどう考えるんだ?

 -これは人のしわざにちがいありません。実を一粒もいでつまんでみたら、ぐしゃりとつぶれた拍子にタネが三つ飛び出して葉の上に残ったのでしょう。彼あるいは彼女はしばらく観察したあとで、実をどこかに捨てたのだと思います。

 -で、犯人の目星は?

 -おやおや、犯人とはまたおおげさですね。まあ、実の扱い方から見て、たぶん博物学者ではないでしょう。大胆な推理を申し上げますと、薄氷堂ブログの読者でしょうね。西港にイヌホオズキがあると知って、犯行に及んだわけです。

 -まさか!

 いやいや、案外その可能性少なからず、心当たりがおありの方は正直に名乗り出ていただきたいと思う。ご一緒に観察しようではありませんか(笑)。

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 この分布図(注:釧路港要覧より作成)はきわめて不完全なものだ。調査が不徹底だからである。

 さてここ数日のうちに、さらに実がいくつかもがれるんじゃないかと期待したいところだけれど……そんな物好きが釧路市内にはたして何人いるものだろうか(笑)。

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November 08, 2011

Daily Oregraph: 宿酔絵日記 11/5~11/8

11月5日(土)

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 誘惑に負けてこんなものを注文してしまった。高カロリーがよくないのは知っているけど、ときどき無性に食べたくなるんだよなあ。

 天罰てきめん、この日から体重がぐんと増えて、一向に減る気配がない。多少歩いたぐらいでは、とても間に合わないのである。

 だからラーメンとTPPには用心しなければならない(笑)。TPP推進派の日経新聞などは、どこの国の御用新聞なのか、開国して屈辱的な不平等条約を受け入れよ、とさかんに宣伝しているけれど、ご冗談でしょう。アメリカが押しつけるものにろくなものなしというのは世界の常識である。

 いまに取り返しのつかないことになるぞ、とじっとわが腹を見る。


11月6日(日)

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 気象台の検潮所を見物に行ったことはすでに書いた。心に風の吹き抜けるような寒々とした日であった。


11月7日(月)

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 港湾部へ行く途中、カモメと目が合った。

 カモメは間抜けな鳥である。抜け目のないカラスには到底及ばない。その証拠に、ときどきエサを食べるのに夢中になって車に轢かれ、死骸をカラスにつつかれている。

 ぼくはカラスを見るとついアメリカを連想するけれど、日本がカモメだなんて、まさかね(笑)。
 
11月8日(火)

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 日曜荷役をしていた木材船の揚荷はまだ終わっていなかった。対岸の北埠頭からレンズを向けたが、あいにく光線のぐあいがよろしくなかった。

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 午後から出直すわけにもいかないので、次の機会を待つとしよう。

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 それにしても北埠頭の変わりようは驚くばかりである。古い倉庫群がどんどん姿を消している。

 超ローカルな話題は当社の得意とするところである。近日中にあらためて取材しようと決心した。

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November 06, 2011

Daily Oregraph: 検潮所へ

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 画面右に見える小さな建物をご存じの方は少ないだろうと思う。釧路地方気象台検潮所である。昨夜地図をながめていたら「検潮所」という文字に気づいたので、今日は散歩がてら確認に来たわけ。

 この建物なら何度も目にしているのに、プレートを読もうとしなかったから、これまで正体がわからなかったのだ。見れども見えずのいい例かもしれない。

 ぼくの地図によれば、この検潮所はちょうど知人(しりと)町と港町との境界上に位置し、手前が知人町、向こうが港町になる。

 せっかく来たのだから突きあたりを左に折れて、突堤の先端まで行ってみよう。

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 対岸の中央埠頭3号岸壁に木材船が見える。ぼくの視力でははっきり確認できなかったけれど、帰宅後等倍でチェックしてみたら、やはり日曜荷役中なのであった。

 いわゆる「水面落とし」という、丸太を水面に落として筏組みする伝統的な荷役をつづけているのは、現在北海道では釧路港の日本通運だけである。

 将来廃止になる可能性が少なくないから、荷役風景はたいへん貴重なもので、一種の文化財ともいえよう。写真ファンの方には、荷役風景や筏の曳航など、いまのうちに撮影しておくようおすすめしたい。

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 突堤ではサンマ漁船の漁師さんたちが整備作業中であった。

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 風がひどく冷たい。天気もよろしくない。本日見かけた唯一の明るい色彩は、石炭販売会社に隣接するヤード背後の黄葉だけであった。

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 気分が乗らぬまま一時間弱フラフラと歩いて、全部で二十数枚写真を撮ったが、どれも気のめいるようなものばかり。望遠レンズを用意していれば、木材荷役のもう少しマシな写真が撮れただろうに残念なことをした。

 風に吹かれているうちに鼻水が垂れてきたから、もはや潮時と車に戻って出発したところへ黒猫が現れたので、ウィンドウ越しにパチリ。黒猫が目の前を横切るのは、たぶんいいことの起こる前ぶれであろう(笑)。

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November 05, 2011

Daily Oregraph: 紫雲台付近を歩く (11/3)

 紫雲台には毎年墓参りに行っても、そこから先、つまり東側まで歩いたことのある方は案外少ないのではないだろうか。かく申すぼく自身、いくら検事さんに責められたって、行った記憶はございませんとお答えするしかない。

 しかしそれでは市民のはしくれとしていかにも情けないから、11月3日文化の日を期して、ついに取材を決行したのであった(おおげさな……(笑))。

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 例によって、物好きな読者諸君のために、当社測量部作成の略図を用意した。写真には番号を付したので、略図を参照しながらご覧いただければ幸いである。

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               写真(1)

 少しは運動するつもりで、車を管理事務所前の駐車場に停めたけれど、ご存じのとおり、墓地の東端(写真の右側)にも広い駐車場がある。

 では公営住宅の手前から右に曲がって海の方向へ向かおう。

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               写真(2)

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               写真(3)

 このあたりはちょっとした住宅地になっている。いまはモダンな住宅が建ち並んでいるけれど、30年ほど前はつげ義春好みの景色だったのではないだろうか。

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               写真(4)

 ほらね、ちょっといい感じ。写真右手には砂利を敷きつめた昆布干場がある。


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               写真(5)

 広い昆布干場におじゃまして、崖の先端まで行ってみよう。


 なお最近のデジカメの解像度の高さには恐るべきものがあり、こういう絵柄だとファイルサイズがとんでもなく大きくなる。これでもかなり圧縮してあるのだが、パソコンによってはファイルを開くのに多少時間がかかるかもしれない。あらかじめご了承いただきたいと思う。

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               写真(6)

 ここはちょっとした谷になっており、向こう側は紫雲台ではなく興津(おこつ)に区分される。もっと広い浜があれば、ここには小集落ができていたにちがいない。

 かなり急な斜面だが、途中まで細い道がついているし、無理をすれば海岸まで降りられないこともなさそうだ。しかし年を考えて(笑)、無茶はしないことにした。

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               写真(7)

 画面左手に四角いトンネルの口のようなものが見えるのはなんだろう? 防空壕を作るような場所でもなさそうだから、暗渠なのかもしれない。

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               写真(8)

 気になるから(笑)アップで一枚。ご存じの方がいらしたら、ぜひお教えいただきたいものである。


 それにしても、上の写真を見るかぎり、ここはとても釧路市内とは思われない。いや、とても21世紀の景色には見えないのではないだろうか。

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               写真(9)

 崖っぷちをあとにして住宅地をしばらく進み、振り返ってみる。放し飼いにしてある犬にキャンキャン吠えられた。人を見る目のない犬である。

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               写真(10)

 公営住宅の間にある坂道を下ってみた。ひょっとしたら海岸近くまで行けるかもしれないと期待したのだが、

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               写真(11)

そうは問屋が卸さず、道ここに尽きる。「売地」の看板をよく見ると、土地を管理しているのは釧路総合振興局の農業支援係となっている。ろくな作物もできそうにないが、ここは農地なのだろうか。

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               写真(12)

 看板の向こうから撮った景色がこちら。海岸まではまだかなり距離がある。残念ながらアクセスはたいへん困難のようだ。

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               写真(13)

 いま来た道を振り返って見ると、草むらの向こうはやっぱり21世紀。落差が激しい。

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               写真(14)

 取材を終えて墓地の管理事務所に戻る。駐車場にはぼくの車一台だけ。

 管理事務所は休憩所も兼ねており、初めて中へ入ってトイレをお借りしたのだが、管理人さんはとても親切な方だった。怪しい訪問者(笑)を暖かく迎えてくださったことに感謝したい。

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November 04, 2011

Daily Oregraph: 週間絵日記 10/31~11/4

10月31日(月)

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 市立病院にて半年に一度の眼科検査を受ける。幸い結果は良好で、変わったことがなければ、次は一年後にいらっしゃい、と無罪放免。

 院内にコーヒーショップが開店したという話は聞いていたけれど、実際に目にするとやはりビックリする。テナントを入れて収支改善をはかるつもりなのだろうか。

 なんにせよ、(土日も営業しているのかどうかは確認しなかったが)春採湖畔散歩のついでに利用できるのは便利だと思う。

 居酒屋も開業すれば申し分なし。


11月1日(火)

 一日一枚を実行できず。こういう日もあるのだ。


11月2日(水)


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 急に魚が釣れなくなったのだろう。釣り人の数が激減した。現金なものである。


11月3日() 文化の日

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 紫雲台0円の旅を敢行。明日にもレポートする予定である。

 知っているようで知らない場所はまだ残っている。目標は釧路市内完全制覇だな。


11月4日(金)

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 西港のイヌホオズキをチェックする。実はすべて黒く熟したかと思いきや、意外にも大半は青いままであった。朝晩気温が低くなってきたというのに、まだ花が咲いているのも驚きである。

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November 03, 2011

Daily Oregraph: 市内200円の旅 城山今昔

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 10月30日市内の旅は、いよいよ最終回である。

 日銀釧路支店の角を東に折れると大川町。このあたりは南に斜面が迫っているために新しい建物の建てようがなく、昔とほとんど変わっていない。

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 風はないし気温もほどよく、まさに散歩日和である。これが暑い盛りだったら、飲み物の自動販売機のお世話になっていたはずなので、とても取材費200円ではすまなかっただろう(笑)。

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 まもなく城山歓楽街。このお店も古くからある。

 今回は13年前に撮影した写真とくらべてみよう。使用したカメラは80万画素の EPSON CP-500 だから、画質はひどくお粗末だが、それも一興。

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 1998年8月29日撮影。ぼくは一度も入ったことがないけれど、なんとなく店内の様子が想像できそうな、見るからにクラシックな造りで、重要文化財の風格十分である。

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 城山歓楽街には路地がふたつあって、こちらは久寿里橋寄りである。

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 真っ赤な忘れ傘が印象的だった。

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 これら2枚は1998年9月6日撮影。路地の変化もさることながら、デジカメの画質の向上にはあらためて驚かざるをえない。

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 こちらがもう一本の路地。

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 これはやはり1998年9月6日撮影。いまではすっかり消えてしまった「城山歓楽街」という文字がかろうじて読み取れる。

 まさに十年一昔。城山歓楽街にかなりの変化があったように、ぼく自分の顔も変わった(劣化した?)はずだけれど、ろくに写真が残っていないのはどうしたことか。リアリストとしては反省しなければならない。どなたか腕のいい方に(笑)撮っていただきたいものである。

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 このあと朝日桜の建物が健在であることを確かめ、さらにフラフラ歩きつづけたのだが、市内200円の旅はここまでにしておこう。

 次回はちょっと豪勢に、市内千円の旅でも企画してみたい。なんとなく胸がワクワクするね。

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November 02, 2011

Daily Oregraph: 市内200円の旅 鉄北センター~北大通

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 ひきつづき10月30日。

 鉄北センターは昼間のほうが魅力的なのはなぜだろうか? 今日はその謎に迫ってみよう。

 -はい、人気のない路地というふしぎな空間をひとりで歩く魅力でしょう。

 -うむ、たしかにそれもあるが、美的見地からなにか意見はないかね?

 -え、美的見地ですか? 特別美しいとは思えませんけど。

 -光だよ、光。

 -あっ、なるほどアーケードのせいですね。

 -さよう。ちょっと煤けた半透明のアーケードによって濾過された光が、独特のトーンをもたらしているのだ。そうだなあ、ちょうどこの世と天国の中間のような感じがするね。

 -へえ、妙なことを考えますね。やっぱり普通じゃない(笑)。

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 外は天気がいいけれど、強烈な日光が一面に降り注ぐわけではない。光線のぐあいは全体にフラットなのだが、アーケードに破れ目でもあるのか、漏れた光がたまにこんなおもしろいイタズラをする。

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 洋上に漂う船を発見して乗船してみたら、テーブルの上に湯気を立てた飲み物があるのに、船内はまったく無人だった、という話を昔読んだ記憶があるけど、この場所などはまさにそんな感じだね。

 路地の間からこわいおじさんがぬっと現れて、こら、ここでなにをしとるか! と叱られそうな気がしないでもない。

 -ハハハ、こんな写真を撮っていちゃ、怪しまれてもしかたありませんよ。

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 しかしここには外側から見るよりもずっとやさしい雰囲気が漂っている。

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 -ほらね、南側の出入り口が開いてたからのぞいて見たら、ここはそれこそ鉄道線路のすぐ北側なんだけど、花壇があったり、(たぶん)シシャモを干していたり、どこかのお宅の庭先みたいな感じがするだろう。

 -へえ、ほんとに意外な景色ですね。

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 どうしてここにいるのかしらないけれど(笑)、ドラえもんが「また来てね」といって見送ってくれたので、再訪を約し、駅前に戻ることにしよう。

 なお馬蹄屋というお店の名は、釧路が有名な馬産地だったころの名残だろうと思う。大楽毛の馬市なんて若い諸君は知らないだろうけど、たしか昔は北大通に馬具店もあったんだよ。

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 ふたたび駅前にやってくると、まず目につくのがパチンコのアタリ会館である。ここも古くからあるなあ。ぼくはパチンコをやめて数十年にもなるけど、昔ここに入った記憶がある。

 大型化したパチンコ屋が町はずれに展開する今となっては、こういうクラシックなお店は貴重な存在である。釧路市内でもここ一軒ではないだろうか。記録にとどめておく価値は十分あると思う。

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 これは北大通に面したビルを裏手から撮ったもの。一種のリズムを感じさせるぼく好みのデザインである。

 ここは手前のビルが取り壊されて駐車場になったため、壁面がそっくり見えるのである。中心街衰退の象徴といえるかもしれない。

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 ぼくはこの「くるる」を初めて目にしたのだが、活気を失った北大通再生をめざして作られた施設だという。しかしそれを知ったのは、帰宅後ネット検索したからである。なんのお店だろう? と、このときは結局わからずじまいであった。

 釧路まちなかコンシェルジェ? コンシェルジェ(concierge)という単語にはぼんやり記憶があった。しかしあくまでもボンヤリとである(笑)。ぼくの単語帳から引用してみよう。

 【仏】門番,守衛;(ホテルの)接客係;アパートの管理人<(esp. in France) a door-keeper or porter of a block of flats etc.>

 ここでは案内係というほどの意味で使っているらしい。案内用の地図を無料配布したり、レンタサイクルを貸し出したり、なかなか立派な試みだと思う。

 しかし忌憚のないところを申し上げると、「くるる」はいいとしても、「コンシェルジェ」には感心できない。どうしてそんな熟してもいない横文字を使うのだろうか。老若男女だれにでも一目でわかる「釧路まちなか案内所」ではなぜいけないのか。

 事実ぼくはここがなんだかさっぱりわからず、首をかしげたまま素通りしてしまったのである。これではスタッフのみなさんのせっかくの努力も十分報われないのではないか、と心配になる。惜しいなあ、まったく。

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 そのあとは末広をひと回りしたが、ここはやはり夜の町だ。早朝もまあ悪くはないけれど、鉄北センターとちがって日中はあまりおもしろくない。

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 双眼鏡を手に防空演習でもしているのか、アフリカ探検隊の一員なのか、謎のお姉さんの像を鑑賞して、いよいよ幣舞橋を渡り、この日最後の目的地である城山歓楽街へと向う。

 最終回は明日にでも。

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