Daily Oregraph: 【特集】変わりゆく港 北埠頭編
昔を思えばウソのようにさびれた東港だが、少しずつ変化の波は押し寄せている。
当紙としては、このへんで特集を組み、北埠頭と中央埠頭の変わりようを記録しておきたいと思う。
本日は北埠頭編。「保存版」と称してもおかしくない内容にすべく、景色の変化を対照できるように工夫をこらしたつもりである。
変貌する北埠頭
北埠頭東側岸壁。ここは上の写真でもわかるとおり、内航タンカー荷役に使用されていた。木材船の水面落とし荷役が行われたこともある。
少し近寄ってみよう。お気づきだろうか、手前の倉庫の向こうにあった倉庫の屋根が消えている。
同じく東側岸壁を基部より見る。
さてこの写真は1955年4月14日に亡父が撮影したものである。場所は記録されていないのだが、ぼくには北埠頭東側岸壁のように見えるので、ご参考までに掲載しておきたい。
同じく東側岸壁。このアングルだと新旧のちがいはよくわからないかもしれない。
ひとつ上の写真に見える倉庫の裏手から突端部(南側)を見る。左手の倉庫のうちひとつが姿を消している。
そのまま前進して一枚。左手の倉庫は日通倉庫である。
日通倉庫前から北側を見る。
突端部、つまり南側岸壁を西から東へ向かって見たところ。いつだったか、この古い埠頭に東水の冷凍倉庫ができたときは驚いたものである。
ひとつ上の写真にある北菱産業埠頭(旧釧路埠頭)倉庫跡から北側を見る。
ひとつ上の写真の正面に見える古い倉庫の裏手から西を見る。相棒を失った右の倉庫が悄然として立っている。
北埠頭のいま
西側岸壁に接岸中の海上保安部「そうや」。かつてここで巻取紙の積荷作業が行われたとは、とても信じられない思いである。
以前とあまり変わらぬ景色を探してみた。西側岸壁から東側を見る。
西側岸壁に残る倉庫前から基部を見る。これも昔どおりのながめである。
副港側から見た北埠頭西側岸壁。左手に見えるセメント船が荷役中の岸壁の名称は北埠頭直線部。
直線部岸壁にはかつて近海郵船のフェリー・ターミナルがあったことをご記憶の市民もおいでかと思う。こうしたこともときどきだれかが書かないと、いずれ忘れ去られてしまうにちがいない。
明日は中央埠頭編を掲載する予定。
なお本日と明日は休暇をいただいている。サボって撮影したと思われては心外だから(笑)、念のためお断りしておこう。
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