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November 25, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (5)

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   2007年10月27日撮影 春採駅近くの選炭工場

 今回はいったん明治の昔に戻り、石炭の春採湖上輸送について、少し詳しく見ることにしよう。資料として用いたのは『釧路叢書 第一五巻 春採湖』(昭和49年 釧路市発行)である。

石炭の湖上輸送

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   『釧路叢書 春採湖』より

 春採(春鳥)炭山の開発は、もともと標茶の硫黄精錬工場および硫黄輸送に用いられた蒸気機関車の燃料需要にかかわるものであった。

 春採炭山は当初露頭炭層から採炭されていたが、明治20年代以降昭和20年代まで11の炭鉱が開坑された。

 そのうち春採湖岸に坑口があったのは、上図に見える安田炭砿(明治20年~大正6年)の大安坑(明治21年~42年)と大成坑(明治22年~大正1年)の2坑、そして木村組釧路
炭砿(大正6~9年)時代に採炭が進められた小成(明治42年~大正9年)、新盛(大正6~9年)の2坑であった。

 大正7年には木村組が第一斜坑を開いて地下深部からの採炭となり、戦後はいわゆる海底炭へと変化していったわけである。しかしその間選炭工場はいつも湖の近くにあった。

 さて石炭の輸送上障害となったのが春採湖の存在である。当初はカマスに詰めた石炭をモシリヤ(現在の城山)まで陸上駄馬輸送していたというから、恐ろしく非能率な話である。

 すでに触れた川船による沼尻までの湖上輸送がはじまったのは明治23年である。湖岸にあった選炭場で取り除かれた粗悪炭や粉炭などは、そのままドンドン沼地へ捨てたわけで、現在からすればひどく乱暴な話だが、時代背景を考えればしかたのないところだろう。

 今回の記事のソースである『釧路叢書 春採湖』によれば、冬期間はカマスに詰めた石炭を馬そりで運んだとあるが、船にはどのような荷姿で積まれたのかは書かれていない。しかしたぶんバラ荷ではなく馬そり同様カマス詰めだったのだろう。

 「炭舟」には帆があり、風のないときは櫓を漕いだという。真冬の馬そり輸送は困難をきわめたらしい。雪が積もれば吹きだまりができるからである。

 また下の第2図には春採湖南岸の丘の上に安田堅坑(明治38年~44年)が見えるけれど、ここからはトロッコで沼尻まで運んで馬鉄に接続した(※注1)。

 初冬と春先は湖上輸送ができないから春採からの出炭ができず、いたずらに貯炭量が増えるばかりであった。これは当然経営不安定をもたらすから、安田が大正3年に閉山を決意するに至った大きな理由であったにちがいない。

馬車軌道全通

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   『釧路叢書 春採湖』より

 事業を引き継いだ木村は、出炭不可能な期間を解消すべく、沼尻まで馬車軌道を敷設したわけである。すでに述べたとおり、大正7年には馬車軌道が全線複線化されたのだが、これにより月間6,000トンの輸送が可能になったという。

 春採から運ばれた石炭が千代ノ浦で中継ぎされて港頭の貯炭場に到着するまでの所要時間は約2時間、輸送は昼夜兼行で行われた。人馬一体となっての重労働には想像を絶するものがあったにちがいない。

 その後大正14年2月に春採~知人間の釧路臨港鉄道が開通したことはすでに述べた。この間の年間出炭量を見ると、木村組時代の大正7年には24,644トン、太平洋
炭砿創立の大正9年には93,930トン、大正14年には137,149トンと増加している(※注2)。

(※1) 上図では安田堅坑から沼尻までのトロ線を大正7年以降のものとしているが、同坑の採炭期間(明治38~44年)と矛盾する。誤記ではないだろうか。またこの堅坑から出炭された石炭の選炭がどこで行われたのかは、『釧路叢書 春採湖』には記載されていない。

(※2) 本記事はすべて『釧路叢書 春採湖』によるが、同書によれば、昭和15年の出炭量は633,622トン。しかし『臨鉄60年の軌跡』の年表では昭和15年には「太平洋炭礦の年間出炭量が100万トンを突破」と記載されている。出炭量の基準がちがうのだろうか? 第一次資料にあたる必要があるかもしれない。

【追記】

 気楽にはじめたつもりが、だんだんとんでもないことになってきた。だいたいマジメに歴史に取り組もうとすれば、資料が山のように必要である。酔っ払いにはちと荷が重すぎるようだ。

 また石炭と港とのかかわりについて考えれば、港湾事業者や港湾工事などの歴史も無視できないし、南埠頭について触れる以上、雄別の石炭を積み出した北埠頭はどうなんだという話にもなりかねない。

 扱う範囲は芋ヅル式にどんどん広がって、はては中国・満州、真珠湾(笑)。だからほどほどのところで手を打つ必要があると思う。そこで当面は太平洋の石炭と臨港鉄道周辺にかぎって話を進めることにしたい。

 本日のおまけは、『釧路叢書30 釧路港』(布施 正著 平成6年 釧路市発行)から転載する苧足糸(おだいと)の地図である。

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 なお「たんこう」は炭坑、炭鉱、炭礦
、炭砿とさまざまに表記されるが、基本的には参考とした文献の表記に従ったことをお断りしておきたい。しかし今回掲載した写真を見ればわかるように、正式には太平洋「炭礦」である。

(つづく)

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Comments

追記にもあるように、こういう内容って手を出だすときは気楽なつもりでもだんだんとそうじゃあなくなってしまいますよね。
せっかく始めたんだから、最後までやり遂げたいし、あんまりいい加減なものにもしたくはない。「扱う範囲は芋ヅル式にどんどん広がって」・・・どこかでツルを切らなきゃならないんだけど・・・どこで切ったらいいのかわからなくなっちゃって・・・だんだんとしんどくなってくる。

でも、そんなご苦労の上のここ数回の連載記事、ご苦労に比例した興味深さがあり、楽しく読ませていただいています。

Posted by: 三友亭主人 | November 26, 2011 at 11:04

>三友亭さん

 ありがとうございます。ほんと、疲れますね。

 ぼくは史学科じゃないので、さっぱり要領がわからず、無手勝流で記事を書いています。そうはいっても、デタラメを書くわけにもいきませんから、これでも少しは気をつかってはいるつもりなんです。

 まあブログで格調高い論文なんぞを読まされたってご迷惑でしょうから……笑ってゆるして(笑)。

Posted by: 薄氷堂 | November 26, 2011 at 21:52

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