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November 21, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (3)

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  2005年11月20日撮影 春採湖南岸より春採駅方面を望む

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   2005年11月19日撮影 沼尻・千代ノ浦方面を望む

 今回の記事は「臨鉄60年の軌跡」の原文そのままではないにしても、ほとんどそっくり引き写したメモになる。そこにぼくの文章が混じるとさすがにまぎらわしいので、同書による部分を茶色で示すことにした。

太平洋炭礦と釧路臨港鉄道

 大正9年4月22日、木村組釧路炭礦と三井鉱山釧路炭礦が合併し、太平洋炭礦株式会社創立。

 大正12年1月15日、太平洋炭礦と釧路臨港鉄道創立委員(7名)との間で地方鉄道敷設に関する契約書が取り交わされた(主な内容は、鉄道の敷設に要する太平洋炭礦所有地を創立委員に売渡すこと、太平洋炭礦の石炭運送に対し優先権を与えることなど)。

 大正12年1月20日、釧路臨港鉄道創立委員は鉄道大臣に地方鉄道敷設免許を出願。同年6月18日免許状が下付された。


 石炭の輸送が最優先であることは当然としても、大正12年6月24日に開催された緊急市会において、太平洋炭礦の専用鉄道ではなく便益は一般に開放される、と発起人が表明したことは記憶にとどめておいてよいと思う。

 大正12年12月12日、釧路臨港鉄道株式会社創立。資本金50万円、総株主数7名。

 大正13年12月、知人貯炭場に木造石炭桟橋(延長96m)竣工。


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   2007年8月3日撮影 知人駅構内

 木造の石炭桟橋がどんなものか、正直いって想像もつかない。写真に見えるコンクリート製の構造物に似たものなのだろうか。機会があればご専門の方におうかがいしたい。

 大正14年2月7日、春採~知人間(延長4.425km)開通、2月12日米国製蒸気機関車により営業開始。

 あとでふれるように、ディーゼル機関車が導入されたのは昭和33年である。

 大正14年3月14日別保~春採間(延長3.219km)開通、3月16日貨物連帯運輸営業開始。

旅客輸送の開始

 大正14年12月7日、知人~苧足糸(同年11月17日に臨港と改名)間(延長1.318km)開通と同時に、春採~臨港間旅客運輸営業の認可を申請し、沼尻、米町、真砂町にも停留場を設置。

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   2011年11月6日撮影 入舟の臨港鉄道線路跡

 苧足糸(おだいと)とは聞きなれぬ地名である。現在では知る人も少ないけれど、かつて港町から大町にかけての一帯を指してそう呼んでいたという。

 上の写真はつい先日掲載したものと同じだが、臨港鉄道の線路跡が残っており、ちょうど港町(右手)や大町(正面)との境目付近にあたる。前回掲載した昭和7年当時の地図では線路の途切れたあたり。

 大正15年2月1日より旅客・貨物の運輸営業を開始。客車は国鉄払い下げの車両一両(定員57名)を使用し、貨車・緩急車とともに混合列車として、一日3往復を運行。旅客は大人10銭・小児5銭の均一運賃。

 つまり鉄道の便益を一般に開放したわけである。臨港鉄道の客車には、ぼくもこどもの頃母といっしょに乗ったことがある。たぶん米町駅から春採駅までの区間ではなかったかと思う。運賃はたしかこども5円。いまとなっては夢のような話である。

 当時春採には太平洋炭礦の購買部があったのである。いまのスーパーマーケットの前身みたいなものだろうか、一通りの商品が並んでいたと思う。

 大正15年5月、住民の請願により、春採~沼尻間に観月園停留場(冬期は乗降客皆無のため休止)を設置。

 観月園はいまも名前だけは残っているけれど、すでに昔の面影はない。小学校のころ遠足に行った記憶がある。一番上の写真を撮影した場所が観月園付近である。

(つづく)

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Comments

おはようございます。臨港鉄道の歴史や写真、大変興味深く拝見しています。何気なく見ていた風景ですが、このような背景や歴史があったのですね。
初めて釧路に引っ越した時に、石炭のずり山を見て釧路って石炭とれるんだ、と初めて知りました。石炭って言うとどうしても山深いところを想像してしまいますので。
上記記載の知人や千代の浦方面の写真もなつかしいです。

Posted by: 川中 | November 22, 2011 at 09:30

いつも拝見しております。
私の実家が太平洋商事(後の釧路市民生協)の前に住んでいたので、月に一度母に連れられて永住町~大町まで臨港鉄道に乗り山下書店まで行くのが楽しみでした!!
私も子供料金が5円だったのを覚えております。

Posted by: hanamaru | November 22, 2011 at 12:20

>川中さん

 つたない文章をお読みくださってありがとうございます。

 釧路炭田は国内有数の炭田のひとつとして、かつては教科書にも載っていたように記憶しております。

> 石炭って言うとどうしても山深いところを想像してしまいますので。

 釧路ではもうひとつの大規模な炭鉱である雄別炭礦がそうでしたね。太平洋炭礦(現在の釧路コールマイン)の石炭は、山どころか、海底炭だから驚きますね。

>hanamaruさん

 コメントありがとうございます。ひょっとしたら、CP/M研究会でご一緒した花丸さんでしょうか?

 小児料金、やはり5円でしたよね(お年がわかります(笑))。あの客車はほんとうになつかしい思い出です。

Posted by: 薄氷堂 | November 22, 2011 at 23:02

花丸です
大変ご無沙汰しております。
その節はディスプレイー頂き助かりました!!
ブラウン管の頃ですのでかなり前ですね...
春採駅の近くに住んでおりましたので、懐かしい話題で、思わず書込をしました。
今はインターネットで各自が調べれるように成ったせいもあり、昔のような集まりが無く残念ですね!!(大変貴重な時間でした)

Posted by: hanamaru | November 23, 2011 at 14:26

>hanamaruさん

 やはり花丸さんでしたか! お元気そうでなによりです。CP/Mなんて、もう知る人も少ないでしょうね(笑)。

 つい先日の夜、ほんとうに久しぶりに MATSU さんのお宅におうかがいしました。いかなるご心境の変化か、かつての釧路パソコン界の長老も、いまではパソコンを捨て(これにはビックリ)、パークゴルフのプロ(笑)に変身されていました。

 またお会いする機会もあると思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

Posted by: 薄氷堂 | November 23, 2011 at 21:15

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