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November 20, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (2)

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   2005年11月23日撮影 春採駅に停車中の石炭列車

 石炭列車の全体を撮影するのは案外むずかしい。この写真はパノラマ合成したものである。春採駅は画面右端あたり。

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 こちらは亡父が1979年5月18日に撮影したもの。当時の機関車編成が現在と同じかどうかは不明。どうもちがうような気もするのだが。

 なお写真では貨車が画面右側で切れて見えるけれど、ポジフィルムをスライドにマウントした状態で、実際には貨車の右側にはちゃんと余裕がある。余談になるけれど、フィルムのスキャニングはたいへんむずかしいものだ。ひどく時間もかかるし、いくらフィルムがすぐれているとはいえ、とてもやっていられないというのが本音である。

 閑話休題。

 すでに述べたように、臨港鉄道はかつて旅客輸送をした時期もあるし、石炭以外の一般貨物も扱っていた。しかしそもそも春採炭礦の石炭輸送のために設立され、現在では石炭のみ輸送する鉄道であるからには、ざっと炭礦の歴史をおさらいしておく必要がある。


初期の春採炭礦


 春採炭山は明治20年に安田善治郎が開発に着手し、明治23年沼尻~米町~港頭貯炭場まで2kmの馬車軌道を敷設して石炭の運搬を開始した。これは安田の馬鉄と呼ばれ、一頭につき0.5トン台車を5~10台牽いていたという。

 ここで昭和7年当時の釧路市街図をもとに当社の作成した地図を見ておこう。もとの市街図は平成4年に釧路市が発行した「目で見る釧路の歴史」から拝借したものであることをお断りしておく。

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 ごらんのとおり、春採から沼尻まではやや距離があり、安田の馬鉄当時はまだ軌道がなかった。そのため山元から沼尻までの間は、川船を使用して春採湖を渡り、石炭を輸送したのである。冬期間は湖面が凍結するから、馬そりが使われた。

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   2008年2月17日撮影 結氷した春採湖

 もう昔話になるけれど、ぼくが高校生のころ、体育のスケートの授業を春採湖上で行ったことがある。当時でも氷の厚さは30センチ以上あったから、より寒さの厳しかった明治時代には、馬そりが悠々と湖上を往来したにちがいない。

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   2005年3月19日撮影 氷の緩みはじめた湖岸を走る列車

 問題は春先の氷が緩みはじめた時期で、船も馬そりも使えないから、石炭輸送は休業状態だったはずである。

 時は移って大正6年、経営不振により休山中であった安田炭礦は、木村久太郎が経営を引き継ぎ、木村組釧路炭礦となった。木村は春採湖南岸に馬車軌道を敷設し、これにより山元から港頭まで軌道による輸送が可能となったのである。

 大正7年、馬車軌道は全線が複線化された。さらに大正9年、知人貯炭場まで複線が敷設され、今日の釧路臨港鉄道春採~知人間路線の原形が完成した。

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   2003年10月5日撮影 知人駅と貯炭場

 この写真が現在の終点、知人駅である。画面右上に南埠頭の倉庫が見える。

(つづく)

 ※今回にかぎらず、次回からも「臨鉄60年の軌跡」からの引用部分についてはいちいち明記しない。ほとんど丸写しの部分も少なからず、明記しないのは礼儀に反するけれど、あらかじめお詫び申し上げるとともに、どうかあしからずご了承いただきたいと思う。

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