Daily Oregraph: 東京 鴎稲荷・白魚稲荷編
前回に引きつづき、2011年9月15日。穴守稲荷をあとにして、あらかじめ印刷しておいた道路地図をポケットから取り出すと、汗に濡れて折り目の端がちぎれかかっていた。
このあたりは路地が複雑に入り組んでおり、地図はあまり頼りにならなかった。そこで大体の見当をつけ、あっちへ曲がりこっちに折れながらテクテク歩いていると、コンパクトな神社がひょっこり姿を現した。鴎稲荷神社である。
ちょうどゴミの日だったらしく、鳥居のとなりにゴミ袋が山と積まれていたのは気の毒である。
この道路は羽田道というらしく、案内板が設置されていた。
鴎という名前の示すとおり、もともと漁業集落であったようだが、いまも近くの川沿いに小さな漁船や釣り船をたくさんみかける。
散歩の間中、肝腎のカモメには一羽もお目にかかれなかったけれど、さほど残念には思わなかった。カモメなら釧路でさんざん見飽きているからである。
白魚稲荷もそうだが、狐以外の生物の名を稲荷に冠しているのはおもしろい。鳥にせよ魚にせよ、狐に食われてしまうせいだろうか、どちらの神社にも(祠の中までは確認しなかったけれど)狐らしきものは見あたらなかった。
鴎稲荷神社の成立は弘化2年 (1845) とされており、穴守稲荷神社よりやや新しい。
白魚稲荷神社。やや広いバス通りに面しているが、これまたこじんまりした神社である。
鴎稲荷、白魚稲荷はどちらも羽田神社の兼務社である。祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)。
この神社の成立年代は不明だが、17世紀中期から後期ではないかと推定されているらしいから、穴守稲荷よりも歴史のある古社である。
羽田七福稲荷というのがあって、両神社とも穴守稲荷とともに名を連ねている。残念ながらこのたびは時間が足りず、三福のみに終わってしまったけれど、
七福に四福足りぬ三福に不服はいはずこれで満腹 薄氷堂
というわけで、朝っぱらから暑さをものともせずに散歩した成果は十分あったというべきだろう。いや、実際これ以上歩きつづけていたら、熱中症でバッタリ倒れていた可能性大である。
これはおまけ。弁天橋から見た羽田の大鳥居である。
敗戦後移転を強制された穴守稲荷だが、なぜか鳥居には米軍も手をつけず、そのまま残されたという。ただしもともと鳥居はここにはなく、その後の空港拡張の障害となったため、平成11年に現在地に移転された。神風を吹かせて戦局を打開することこそできなかったけれど、神様も意地を見せて鳥居を守ったわけである。
次回はこのたびの稲荷めぐりで歩いた路地をご紹介したい。
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