Daily Oregraph: 2011-05-03 帯広 日甜周辺 (2)
以前みつからなかったというのは、これである。目立たないものだから、なんだかわからないかもしれないが……
日甜神社跡
昭和10年~平成18年
いくら鳥居や祠を探してもみつからないはずであった。日甜神社は平成18年に姿を消していたのである。ぼくの持っている北海道道路地図には鳥居のマークが記載されているけれど、平成18年10月発行のものだからおそらく前年のデータを用いていたのだろう。
神社を取り壊すにあたって関係者の胸には複雑な思いが行き来したはずで、その思いがこの石碑を作らせたにちがいない。
緑地内を歩いているうちに、石碑がもうひとつあることに気づいた。
日甜1号宿舎跡。工場をはじめた頃の社員のみなさまの苦労が伝わってくるようだ。
こちらも平成18年に取り壊されたのか。どんなに風格ある建築物だったかと思うと、写真に収められなかったのが残念でならない。
日本甜菜製糖(株)の沿革によれば、帯広工場が完成したのは大正9年だが、昭和52年には帯広製糖所は廃止され、現在この地には総合研究所と配合飼料工場がある。
平成元年にはビート資料館が作られ、それはぼくも知っているのだが、残念ながら日曜祝日は閉館されているため、まだ入館の機会を得ていない。日甜ファンとしては、ぜひとも平日に訪れて見学したいと思っている。
美しく豊かな緑地を歩かせていただいたお礼と、勝手に構内を通行したお詫びをかねて、同社の砂糖をちょっぴり宣伝しておきたい。こんなマイナーなブログで宣伝してもほとんど効果がないのは悲しいけれど……
(Nikon D200 + Tamron A16 & Canon IXY 30S)
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Comments
おいしそうな砂糖ですね!
Posted by: テラゲン合格! | May 04, 2011 20:36
昭和10年創建という事で、一企業の中でお祀りした神社だという事ですから、商売繁盛の「稲荷神社」だったのでしょうね。
地域の郷社/村社ならば、どんな祭神でも「合祀(地域毎にお祀りしていた小さな神社を、その中心的地域の神社にまとめてお祀りする事)」する事がありえますが、稲荷社系は、勧請した神社に祭神をお返しするか、さもなくば同じ会社で祀ってある神社に合祀したという風に考えるのが妥当です。
稲荷神社は一度創建したら決して疎かにできず、霊験もあらたかな代りに粗末に扱うと、その怖さはもの凄いらしく、半端な覚悟で屋敷神として祀ると大変な事になります。
こんな事は当然知っていたでしょうから、本社(会社の事)の稲荷社に合祀したと考えた方が自然でしょう。
Posted by: アナログ熊さん | May 04, 2011 22:29
>テラゲン合格! さん
まちがいなく甘いですよ(笑)。
北海道産のビートから作られたスズラン印の砂糖をぜひ!
>アナログ熊さん
おお、さすがはご専門ですね。なるほど、お稲荷さんですか。粗末に扱うと逆にたたりがあるわけですね。
海運関係は金比羅さんです。会社の神棚の担当は(ほかにだれもいないので)ぼくなんですが、どうかたたらないでほしいものです。
Posted by: 薄氷堂 | May 05, 2011 12:14