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April 30, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-29 春採湖畔

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 アズマイチゲでも鑑賞しようと春採湖畔へ。風は少し強かったが、気持ちのよい天気であった。

 以下簡単にご報告まで。

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 いつの間にかフキノトウがこんなに伸びていた。

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 キバナノアマナの黄色があちこちに散らばっていた。今日は掲載しないけれど、エゾエンゴサクも花盛り。

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 市立病院下あたりのアズマイチゲ。いまの時期はこの花がお姫様といった格だろう。

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 これもアズマイチゲだと思うのだが、がく片の数がべらぼうに多い。こういうのははじめて目にした。毎年新しい発見があるからおもしろい。

 すぐ上の写真とくらべれば、まるで別の種類の花のように見える。日当たりのよい北岸にまとまって咲いていた。

 明日からは五月。しばらくは花でもながめていようかと思っている。

(Nikon D80 + Tamron 172E)

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April 29, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-29 港町~入舟岸壁

 朝一番でスタッドレスから夏用のタイヤに交換。重いタイヤを抱えて裏の物置まで往復するのはちょっとしんどい。

 しかし金をかけてガソリンスタンドでタイヤ交換しても、結局この運搬作業は欠かせないから、あまりありがたみはない。自分で交換して節約すれば、ウィスキーを買えるしね。

 そのあと食料品の買い出しをして、午前中はあっという間に過ぎ去った。散歩に出る気力を失いかけたが、夕方になって港町から入舟岸壁のあたりを少し歩いてきた。

 このところおもしろくないニュースばかりつづいているから、たまには気分転換のつもりでノンキなことを書いてみたい。

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 このあたりは釧路が誇るワンダーランド……といっても、見る人が見ればだけれど。

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 これ、なんだい? といわれても、なんだかわからないところがワンダーランドたるゆえん。

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 だからなんだ? といわれても、ちょっと困る。

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 これはボートを吊り降ろしする装置。以前海洋少年団が使っているのを見たことがある。

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 画面右手の岸壁が入舟岸壁。海上保安部巡視船の本拠地である。あえて巡視船を撮らないところに(たぶん)味がある。

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 なんだかわけのわからない写真だが、なんとなくいい場所だとお思いになった方にはたいへん見込みがある。弊社無給通信員、または釧路歩行協会の入会お申し込みはメールにて。

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 いまは釧路海洋少年団の事務所として使われているこの建物は、かつて釧路水先人会の事務所兼会長さんのご自宅であった。そのことを知っている人は、もうたくさんはいないだろうと思う。いつの間にかぼくも土地の故老のひとりになってしまったようだ。

(Nikon D200 + Tamron A16)

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April 28, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-28 シラフでいられないわけ

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 雨のち霧、のち晴れ……というぐあいに原発事故の処理が進むことを祈っているけれど、スリーマイルの事故処理がすべて完了するまでに14年もかかった、ということを忘れてはいけないと思う。

 タイム誌の記事をいくつかピックアップして読んでみたが、気が滅入るだけ。特に残念なのは、早い時期にアメリカの専門家が「日本は避難区域の範囲をもっと拡大すべき」と忠告していたにもかかわらず、それを受け入れなかったこと。避難区域の設定もさることながら、避難勧告が遅れに遅れたために、周辺住民はかなりの被曝を受けたにちがいない。

 藤原新也さんの Shinya talk 4月16日の記事には、

ちなみに私が東京で計った放射線量は一般に発表されている0.08マイクロシーベルトではなく、ミニマムで0.12、マックスで0.5の値を差している。

そ れから一般に言われる屋内は屋外より安全という”神話”も覆され、屋内、屋外ともその空気中の線量はまったく同じ値を示したばかりではなく、屋内の空気が 長く溜まった場所ではかえって屋外より線量が高く、窓を開け空気を循環させると逆に0.1~2ほど線量が落ちるという不思議な結果が出ている。

福島の友人が密閉した車の中の線量が異常に高い数値を示したということとも符号する。


とあり、家の中に籠もっていたからといって必ずしも安心できないことも気にかかる。

 4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知した。

というニュースにも仰天した。とても正気の沙汰とは思われない。

 影響が現れるのは何年も先の話だし、同じ放射線量を浴びても全員がガンを発病するわけではない。閾値があるという学者もいれば、とんでもない、微量でも危ないのだという学者もいる。

 しかし津波とちがって被害がすぐ目には見えないからといって、まさか人体実験をして結果を待つわけにはいかないのだから、安全第一の策を取るのはあたりまえではないか。将来被害者が続出したって、お役人には責任の取りようもないし、取るつもりもないだろうに。これまた人災というしかない。

 人命をとことん軽視しつつ、自粛はやめてパッと金を使えといいながら、政府はどさくさに紛れて増税を画策しているのだから笑わせる。それでは財布のひもがゆるむわけはなく、不況はますます深刻化するに決まっている。逆に一定期間消費税を凍結すべきじゃないか、とぼくは考えている。

 金ならたっぷりあるじゃないか、なぜ米国債を売っ払わないのだ、というのは素人考えかと思ったら、専門家の中にもそう発言している方がいらっしゃるので安心した。非常の時には非常の手段を取るしかないと思うのだが。

 もはやこんな政府ならないほうがマシじゃないか、といいたくなるほどだ。とてもシラフじゃいられない。

(Canon IXY 30S)

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April 22, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-22 港にて

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 暗いニュースばかりでは気が滅入るから、明るい写真を……といっても、ごく日常の景色にすぎないけれど、いまはその日常というやつがなかなか貴重なのである。

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 海水比重を測定中のスコップさん。東北の被災地回りのお仕事から戻られたばかり。無精ヒゲのお顔を写すのは遠慮しておいた。

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 今日の船上セキュリティ・チェックポイント。

 だめだ。まだ本調子ではない。ウィスキーに手が出そうになっている。

(RICOH CX2)

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April 20, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-20 スリーマイルは14年

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 4月19日付けニューヨーク・タイムズの記事に、スリーマイル島原発事故の処理にたずさわった技術者のことばが紹介されている。

  it was a walk in the park compared to what they've got

 現在行われている福島原発事故の処理にくらべれば、スリーマイルのそれは a walk in the park だった、というのである。不勉強で知らなかったのだが、 a walk in the park というのは、OED によれば、

 colloq. (orig. U.S.). a walk in the park: (the type of) something easy, effortless, or pleasant.

という意味だから、「楽勝だった」ぐらいのところだろうか。

 で、そのスリーマイル原発事故の処理には14年を要したのである。これだけでも今回の事故の重大さがわかろうというものだ。詳しくは(もし元気があれば)原文を参照していただきたい。

 もうひとつご紹介したいのは、毎日jp の巨大地震の衝撃・日本よ! 哲学者・梅原猛さんという記事。梅原さんは左翼じゃないのにと珍しがられても、一貫して原発には反対の立場を取ってこられたのだが、

 でも、原発反対は、もうひとつ強く叫べなかったんですよ。私が初代所長を務めた国際日本文化研究センターに関連する財団が設立されたとき、当時の関電社長に理事長になっていただいたり、東電の社長とも親しかったのでね。多少、遠慮したんです。それを後悔してるんです。

と語る。さすが哲学者である。黙っていたっていいものを、なんと正直なお方だろうか、とぼくはかえって感心した。もちろん日本だけの話ではないだろうが、大人のつきあいネットワークの恐ろしさがよくわかる。人が世の中を渡っていくということは、ほんとうにむずかしいものだ。

 一方ではさんざんウソを撒き散らした挙句これほどの事故を起こしたというのに、まったく責任を認めず、後悔していない連中がいるというのは驚きである。

(2005年3月6日撮影。Nikon D70 + Tamron A09)

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April 17, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-17 化け物屋敷

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 今日たまたまTVを見ていたら、放射線医療の専門家という先生が、微量の放射線など怖くない、むしろ健康にいいのだという説を唱えていたのでビックリした。ホウレンソウでもなんでもモリモリ食べて問題なし、なんなら自分が事故現場へ行ってもいいという勢いである。

 もちろんどなたがどんな意見を発表しようと自由だけれど、問題なのは番組をこの先生の独演会にしてしまったこと。公共の電波で流した影響は計り知れないから、不見識きわまりない話である。

 もうひとつはネットで見た、藤田祐幸氏の講演「福島原発は今? どう向き合う核汚染!」(4月6日 京都)。この方は筋金入りの反原発活動家だから、当然推進派からの風当たりは強く、ネットにはとんでもないやつだという書き込みもある。しかし藤田さんのお話はぼくには素直に納得できる内容だった。

 小出さんにしても藤田さんにしても、おまえはどうして信用するのだという疑問をお持ちになる方もおいでかと思う。その理由はハッキリしている。いま起こっている事態が、まさに彼らが従来から主張している事故のシナリオどおりに進行しているからである。

 小出さんの講演録(2008年)に説明されている、柏崎原発の事故の流れは、今回の福島原発の事故のそれと恐ろしいまでに符合している。いちいち納得できるから、信頼度抜群なのである。

 さらに原発は絶対安全だとして建設を進めてきた「原発推進派学者の重鎮たちが原発の「安全神話」崩壊に懺悔を繰り返している」というニュースでも明らかなように、事ここに至っては彼らでさえ過ちを認めざるをえなくなったという事実を考え合わせると、どちらを信用すべきかはおのずと明らかだろう。

 藤田さんの講演はなにぶんにも1時間45分を越す長時間だから、ここでは上映されたスライドをいくつか掲載するにとどめたい。興味をお持ちの方は、お時間があればぜひご覧いただきたいと思う。どう評価するかは、もちろんご自由である。

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 左はいわゆる生体濃縮を説明した図。右は年齢と被曝の影響との関係を示したもの。

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 政府は原発事故現場で苦闘している作業員の年間被曝量を、特例とはいえ、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにまで引き上げた(アメリカでは50ミリシーベルト)。これはほとんど死ねといっているにも等しい。

 右のグラフは浜岡原発で働いていた青年の被曝量を示す。彼は18歳から原発のセンサー交換などの業務にあたり、毎年約5ミリシーベルトほど被曝していたが、累積被曝線量が50ミリシーベルトを越した年に白血病を発病し、一年間の闘病後死亡した。

 ところが今日TVで独演会をしていた先生によると、微量の被曝を繰り返しているうちに抵抗力がつき、逆に人間はガンになりにくくなるそうである。どうしてそんなことが平気でいえるかというと、被曝とガンや白血病との因果関係を証明するのは簡単ではないからである。

 政府が原発住民の避難を遅らせて平気な顔をしているのは、因果関係立証の困難さを勘定に入れ、裁判になっても逃げ切れるか、少なくとも長丁場に持ち込めるという読みがあるからだとぼくは思う。

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 小出さんの講演録には、

 国や電力会社は事故を過小評価し、できればなかったことにしようとします。一刻を争うような事態になっても、おそらくは情報がでてこないでしょう。

とある。これは福島原発事故以前の発言だが、詳しいデータがなかなか発表されず、放射性物質の拡散予測も最近まで諸外国のデータに頼らざるをえなかったことを思い出せば、まさに図星である。

 現在流されているこの程度の汚染なら野菜も魚もだいじょうぶという大宣伝は、「経済性のためには、少々の安全は犠牲にされる」という予言に符合する。被害者である農民や漁民への補償金をケチるつもりなのだろう。次に起こることは被害者の切り捨てにちがいない。

 さて今日スーパーに行ったとき、週刊誌をいくつかめくってみたら、事態を深刻だと煽り立てるのはとんでもない、いまの放射線量などたいしたことはないという特集が目についた。毒(金)が回ったにちがいない。

 原発推進派の学者たちがかろうじて良心の存在を示したにもかかわらず、与謝野馨は「原発を推進してきたことは決して間違いではない」と言い放った。これがまともな人間のいうことだろうか。化け物屋敷のぬらりひょんである。そして化け物の仲間はほかにもたくさんいるらしい。

(2004年8月7日撮影。Nikon D70 + Ai 50mm F1.2S)

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April 15, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-15 原発理解のための必読文献

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 14日付けワシントン・ポスト紙の記事では、神戸の地震学者石橋克彦氏が「日本のみならず世界でもっとも危険な原発」という、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)を取り上げている。

 立地が最悪であるため、100年から150年おきに発生する大地震(いわゆる東海地震)による事故の懸念があること。原発関連の補助金が御前崎市の年間予算の42パーセントを占めること。原発の安全を信じてきた市長も、このたびの福島原発事故によって動揺しはじめていること。市民グループが多年に渡って反原発運動を展開していること……

 アメリカの新聞に詳しく報じられたということは、万一事故が発生すれば、もう想定外などといったゴマカシはきかず、すでに大きくゆらいでいる日本の信用が完全に失墜することを意味する。いや、信用まるつぶれだけですめばよいが、経済を立て直すのがむずかしいほどのダメージを受けるだろう。

 その浜岡原発に関連して、巨大地震が原発を襲うとき -廃絶すべき浜岡原発-と題する京大原子炉実験所小出裕章氏の(たぶん)講演録(PDF ファイル)をリンクしておいた。

 これは一般市民にとって必読文献だと思う。とにかくわかりやすい。まだざっと目を通しただけなので、もう一度精読するつもりである。まずは基礎的な知識を身につけて、TVで口から出任せを並べる連中のウソ八百を見抜くためにも、ぜひお読みいただきたいと思う。ACのアホなCMに対抗し、どんどんリンクを張って広めるべきではないだろうか。

(2002年3月21日撮影。Nikon New FM2 + Ai Micro 55mm F2.8S)

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April 14, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-14 レベルの低い話

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 12日付けのワシントンポスト紙の記事は「私の見るところでは、政府はレベル7に達することを、たぶん3月16日か17日、または18日には知っていただろう。どうしてレベルを7に上げるのにそんなに時間がかかったのかまったく理解できない」という京大 Unesaki(?)教授の見解を紹介している。

 そのレベル7だが、実際はそんなに高いはずはないという説もあれば、スケールの上端が7だから7にしただけで、ほんとうはもっと高いんじゃないかという説もあり、ぼくみたいな素人にはよくわからない。しかしどちらが正しいにせよ、問題の本質は、レベル7に達するということを最初の段階で認識していたにもかかわらず、原発周辺の住民を速やかに避難させず、長期間に渡って放置してきたという点にあると思う。

 レベル7というのは「広範囲に渡る健康や環境への影響を伴う、放射性物質の大量の放出」を指す(同記事より)。とすれば、事故の翌日にレベル4、一週間後にレベル5と発表したことは、もはや犯罪行為だといっても過言ではないだろう。

 いきなりレベル7と発表すればパニックが起こることを予想した政治的判断という見方もできるけれど、そのために原発周辺住民の健康を犠牲にすることが赦されるのだろうか。放射能が目に見えないのをいいことに、事故が早期に沈静化すればごまかし切れるという読みがあったのではないかと疑われてもしかたがないと思う。

 同じく12日付のニューヨーク・タイムズの記事には、保安院の発表した例の「チェルノブイリの10分の1だからたいしたことはない」という何京ベクレルという数字に関連して、こんな痛烈な一文が……

 Mr. Nishiyama's agency is part of the Ministry of Economy, Trade and Industry, which promotes the use of nuclear power.

 原発を推進する経産省の一機関である原子力保安院の(西山氏の)いうことはどうも信用ならないという含みがある。そうは書いていないけれどそう読ませるのだから、たいへんな切れ味である。

 ただしネットのあちこちに見られる、西山氏がカツラを使用していることを揶揄する書き込みには感心しない。いくら気にいらないにしても、それをいっちゃ自分の値打を下げると思うのだが……

(2001年10月15日撮影。Nikon New FM2 + Tamron 172E)

【2011年4月17日追記】

 ニューヨーク市立大学シティカレッジ物理学部の加來道雄教授談。

 この事故がどんなレベルであるかを決定づける公式、数式があります。 この事故は、すでに5京ベクレルの放射能を放出しました。計算してみて下さい。原子事故評価のレベル7に当たります。

ということだから、レベル7はまちがいない。ソースはこちら

 もう埋もれてしまってみつからないのだが、レベル7などと発表すれば日本の輸出に打撃を与えるのだから政府はけしからんという記事(たしか産経系のサイトだったような)を読んだ。しかしこのレベルは政治的判断で決定すべきものではない。こういう人を惑わすような記事を流すとはどういう神経なのだろうか。

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April 13, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-13 橋を渡って

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 18時16分。気温+3度。幣舞橋を歩いて渡るのはひさしぶりである。

 会社のえらいさん、先輩、同僚と酒を酌みかわすのも何ヶ月ぶりのことだろうか。ところが杯を重ねていくらバカ話をしようとしても、結局話題は大震災と原発事故へ向いてしまうのであった。

 原発に対する評価はもちろんそれぞれ異なるけれど、それはしかたがない。しかしこのたびの災害を重く受けとめているという一点では共通していた。ぼくはバカだけれど、みんなマジメないい人たちなのだ。こういう酒の飲み方もあるのだということをはじめて知ったのは貴重な経験である。

 レベル7であることを3月中旬には知っていたはずの日本政府に対していいたいことは山ほどあるけれど、酔った勢いで書きたくはないから今夜はやめておこう。  いや、こんな気の重い話題は柄じゃないし、ほんとうは明日以降もやめにしたいのである。

(RICOH CX2)

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April 12, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-12 歩かずに走れ

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 ウェブ版ニューヨーク・タイムズ3月11日付けの記事(Japan Urges More People Around Nuclear Plant to Evacuate )を例によってザッと読んでみた。横文字なんぞ頭が痛くなるから読みたくもないのだが、記事のレベルが高く、なにがいいたいのかよくわかるから、大本営発表垂れ流しとはひと味もふた味もちがうのである。

 ポイントとなるのは次の部分だろう。例によって乱暴な要約だが……

 ・IAEA (国際原子力機関)が避難区域を拡大するよう勧告しているにもかかわらず、これまでのところ日本政府はそれを拒否してきた。

 これはあとで(裁判の場で?)大問題になると思う。「あとで」というのは、健康被害が明らかになるのはずっと先の話だからである。

 ・IAEA の測定では9日の放射線量は原発から20~40マイルの地点(避難区域の範囲外)で1時間あたり0.4~3.7マイクロシーベルト。この割合で蓄積すると、225日から5.7年で、日本政府の避難基準値である年間蓄積量20ミリシーベルトに達するだろう。

 ノンビリ構えていては危ない。だからIAEAは避難区域を拡大せよと促しているわけだ。

 ・1986年に旧ソ連がチェルノブイリ原発付近の住民移住に際して用いた基準値は、それより低い年間5ミリシーベルトであった。

 政府は当然チェルノブイリの基準値を承知の上で20ミリシーベルトという基準値を設定したのだろうから、これもあとで問題になるにちがいない。いったい人体実験でもするつもりなのだろうか。

 
・アメリカの原子力事故対応の専門家によれば、住民や非緊急車両が汚染地域と比較的安全な地域との間を往来しつづけると、放射線で汚染された粒子を撒き散らし、汚染地域を拡大する恐れがある。

 事態はここまで来ているのかと思うとゾッとする。ぐずぐずしている間に汚染も被曝も確実に進行していたにちがいない。この記事には余計なことは一切書いていないけれど、あんたたちなにノンキなことをしているの、といっているのである。バカにされているといってもいい。

 TVではさかんにただちに危険はない、落ち着いて行動せよと楽観論を垂れ流し、野菜も魚もだいじょうぶ、風評被害にまどわされるなという。

 しかし迅速に行動すべきときにおっとり構えていては、あとでいくら後悔しても取り返しがつかないことになる。野菜や魚にしても実際に汚染されているわけだから、風評被害というのは的はずれだ。事故の犠牲者たる農民や漁民はまったくお気の毒である。だが気の毒だからといって、マスコミのプロパガンダを鵜呑みにして野菜や魚を口にしていいという話にはならない。

 問題は政府の設定した安全基準値を信用するかしないかだが、保安院がレベル7をしぶしぶ認めた今もなお、健康被害の心配はないという官房長官を見ていると、ぼくにはまったく信用できない。もちろん信用するのは自由だが……

 ぼくみたいなジジイはもうどうでもいいけれど、こどもたちや妊婦はいくら用心しても用心のしすぎということはない。過剰反応などとはとんでもない話である。十年先に後悔しても間に合わないのだから。

(2005年6月15日撮影。Nikon D70 + Tamron A09)

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April 10, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-10 ペコペコ

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 重い腰を上げて近くの投票所へ出向き、しぶしぶ候補者名を記入してきた。

 それにしてもああペコペコ頭を下げてまでしてなりたがるからには、議員というのはよほど魅力のある職業らしい。おもしろそうだから、あたいもやってみようかしら、という人が続々と現れてもよさそうなものだけど……先立つものがなあ。

 さて白い布の下に透けて見える「4月24日」という文字は、釧路市議会議員選挙の日取りである。こういう使い回しは経済的でけっこうだが、経済的ついでに市町村会議員などは住民から抽選で選んでもいいんじゃないかと思う。

 交通費などは実費のみ支給、議会に出席したときだけ日当支給、まあお弁当くらいなら出してもいいよね。ほとんどボランティアなんだから、選ばれるにあたって頭を下げる必要もないし。

 え、それじゃなり手がないって? でも裁判員制度だってあるんだし、できないこともなさそうな気がするんだけどなあ。

 -薄氷堂さん、おめでとう! 当選ですよ。

 -えっ、このおれが市会議員ですって? 滅相もない、お断りします。

 -ダメです。相当の理由がないかぎり、辞退すると処罰されます。昔からお上に逆らうとひどい目に会いますよ。

 -そこをなんとか。お願いですから。このとおりです。

 ああ、やっぱり頭をペコペコ下げるハメになるのか!

(Canon IXY 30S)

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April 09, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-09 大人のつきあい

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 「こどもたちの未来を……」という声とともに選挙カーが家の前を過ぎていった。はてなと思ったら、明日は道知事・道議会議員選挙なのであった。正直いって、ほとんど忘れかけていた。

 こどもたちの未来ってね、あんた、原発擁護派にそんなことをいう資格なんてないよ、だれが投票するものかと思ったまではいいけれど、さてだれに一票を投じようか? 一人もいないのである、応援したい候補者が。

 いわゆる大人のつきあいというやつで、ぼくはこれまであちこちの後援会入会申込書にホイホイと名前を書いてきた。そもそも申込書を配って歩く人たち自身、必ずしもその候補者を支持しているとはかぎらない、とぼくは考えている。本音をいっては生きていけないサラリーマンとは、まことに悲しい存在だからである。

 独立して商売する才覚もなければ、気の毒な同業者を前にしてきっぱり断る度胸もなく、何十年もの間ニッコリ笑って申込書にサインしつづけてきた、無節操な自分ももとより情けない。とてもえらそうなことをいう資格などないのである。

 そのイヤでたまらぬ大人のつきあいも、人に嫌われようがなんだろうが、今年かぎりでキッパリやめにするつもりだけれど……

 それにしてもどうしたものか困った。もちろん投票所には意地でも出かけるのだが、いっそ白票堂とでも改名しようかなあ。

(2002年1月25日新釧路川にて。Nikon New FM2 + Ai 35mm F2S)

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April 08, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-08 手に負えぬもの

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 何気なく詩集をパラリと開いたら、D.H. ロレンス (D. H. Lawrence) の Storm in the Black Forest という詩にぶつかった。ぼくは散文的な男だからよくわからないけれど、どうも雷についての詩のようだ。

 一番最後の部分にはドキリとした。わざわざヘタな日本語にして台なしにする必要もないし、そうむずかしい部分ではないから、そのままね。

   
This is the electricity that man is supposed to have
         mastered
   chained, subjugated to his use!
   supposed to!


 Electricity を原発と読み替えてごらんなさい。恐ろしいまでに事故の本質に迫っていると思う。

(2008年2月17日撮影 Nikon D200 + Ai 35mm F2S)

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April 05, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-05 凌げ斜里岳 (4月3日)

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 時刻は05時44分。純然たる物好きである。外へ出たとたん猛烈な風に吹かれ、よほど散歩をとりやめようかと思ったが、せっかくのチャンスを逃す手はないから、前進。 

 それにしてもJR知床斜里駅のデザインには驚いた。これまで見たことのないタイプである。たしかにしゃれているし、とても地方駅とは思われぬほど立派な建物ではあるのだが、ちょっと横に長すぎて、縦横のバランスに問題があるのは惜しまれる。いつもなら中へ入ってみるのだが、なぜかその気にはなれなかった。

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 プラットホームは堂々たるものである。駅としての格はかなり高そうだ。

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 これまた特大の歩道橋上から一枚。なかなかいい感じの眺めである。

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 強風を突いて住宅街の中をテクテク歩く。どこまでもつづくこぎれいな住宅群はいかにも快適そうであったが、おもしろみには欠けるので、写真は一枚も撮らなかった。古い木造家屋のほうに惹かれるというのは、ジジイになった証拠かもしれない。

 やがて住宅街の尽きるところまで歩くと、斜里岳の偉容がぐっと迫ってくる。いい山だなあ。この町の人々はきっと斜里岳に特別の思いを寄せているにちがいないと思った。

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 ホテルへ戻る途中みかけた斜里高校(これまた立派な建物!)の校訓が、ぼくの印象の正しさを裏づけている。「凌げ斜里岳」か……混迷を深めつつある今の日本にぴったりのすばらしい校訓ではないか。創立70周年おめでとう。

 富士山ではウソくさい。比叡山や愛宕山では物足りない。広々とした平野の向こうに、ゆったりと、しかもどっしりとそびえる斜里岳なればこそ、なるほどと納得できる校訓である。

 早朝一時間の散歩の成果は、凌げ斜里岳。人間年を取ると気が短くもなるけれど、その分だけ素直にもなるものだ。ぼくはなんとなく元気づけられたような気分になったのである。

(Nikon D200 + Tamron A16)

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April 04, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-04 斜里町を歩く(4月2日)

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 清里町から見た斜里岳(1547m)。あいにくの天気だったけれど、堂々たる風格が伝わってくる。圧倒的な存在感である。

 斜里町は25年前に車で通りかかって以来で、町を歩くのははじめて。オホーツクの田舎町などとあなどって、つげ義春描くところの寒村風景を想像してはいけない。人口約一万三千人の立派な町なのである。

 翌朝駅の南側に展開する住宅街を歩いて実感したのだが、たいへん豊かな町でもある。しゃれた住宅がずらりと建ち並び、くたびれた家屋というものがほとんど見あたらないのであった。

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 この日はJR知床斜里駅前を起点に、ほんの三十分ほど散歩してみた。疲れていなければもう少し歩いたのだが……

 再開発の効果だろうか、町並みは全体に美しく、古くから開けたこの一帯がかろうじて昔の面影をとどめているのではないかと思った。

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 この町にかぎらず、いまや木造家屋は絶滅寸前の貴重品だから、見つけ次第シャッターを切らねばならない。おおげさにいえば、時間との戦いである。

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 25年前だったらまだ数多くの木造家屋が残っていたにちがいないけれど、この日の成果はわずかに2軒のみ。ああ、めざめるのが遅かった。

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 神社マニアとしては、斜里神社を見逃すわけにはいかない。寛政八年(1796年)創建というこの神社は 7,610平米の敷地を誇り、環境緑地保護地区にも指定されている。夏にでも再訪する価値は十分あると思う。なお額には「平成七年創祀二百年」の文字が見える。

 明日はひさびさの駅シリーズ、知床斜里駅である。

(Nikon D200 + Tamron A16)

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April 03, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-03 峠越え

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 根北峠にさしかかったあたりから、雪がちらほらと舞いはじめた。路面に積雪こそなかったけれど、強風にあおられた雪が飛ぶさまはいささか恐怖を覚えるほどであった。真冬には通りたくない場所である。

 峠から標津市街までの道路は黒々と濡れていた。夜間早朝は凍結しているにちがいない。もうしばらく運転には気をつける必要がありそうだ。

 こんな天気ではあちこち立ち寄って見物する気も失せ、標津からまっすぐ中標津へ向かったら、だんだん天気が回復してきた。それまではほとんど対向車を見かけなかったのだが、中標津に入ったとたん、大型のショッピングセンターに吸いこまれる車の数の多さには驚いた。

 この景気のよさそうな町を少し見物しようかとも思ったけれど、ちょっと疲れていたのでパス。数年前までは一日に何百キロ運転しても平気だったのに、いつの間にかふんばりが利かなくなってしまったらしい。

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 これは昨日撮ったもの。たしか小清水町あたりだったと記憶している。土と雪とちょっぴりの緑。

 明日からは斜里町で撮った写真をご紹介したいと思う。

(Nikon D200 + Tamron A16)

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April 02, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-02 斜里にて

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 なぜか斜里町にいる。一応仕事ではあるが、こどもの使いのごときものを無事果して、ホテルの天然温泉につかり、一人酒盛。原発事故が遠い世界のことのように思われる。ブレぼけ写真、申し訳なし。

 あいにく日が射したりかげったりだったし、一面の枯野は興味乏しく、写真はほとんど撮らずにひたすら運転。野上峠に雪がなかったのは幸い、確実に季節は変わりつつある。

 天気予報を検討した結果、明日は標津経由でゆっくり帰ることにした。

(RICOH CX2)

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April 01, 2011

Daily Oregraph: 2011-04-01 TVを消して花見にいこう

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 2011年の4月は会社から支給された弁当ではじまった……というか、正直いって、ほかに撮るべきものがなかったのである。

 どこぞのバカ殿知事は、えらそうに花見を自粛せよといったらしい。余計なお世話である。こういうときだから、たぶん花見気分にはなれない人が多いだろうとは思う。しかし弁当を持って、あるいは一瓢(一票じゃないぞ)を携えて花見をしようとしまいと人それぞれ、いい気になって指図するとはいったい何様のつもりなのか。江戸っ子がこんな男に投票するとは思いたくないものだ。

 日本人の連帯感は美しい、とはいいもいったり。あんたはいったいだれと連帯しているというのか? せめて文学者を名乗ることだけはやめてほしいものだ。

 ぼくは春採湖畔でアズマイチゲが咲いたと聞けばやっぱり見にいきたくなる。5月中旬にサクラが咲いたら、酒盛りこそしないけれど、もちろん見物に出かけるだろう。

 原発がなければ経済が立たぬどころか、原発のせいで日本経済がめちゃくちゃになりつつあるいまもなお、まるで反省の色を見せぬ連中がTVでいい加減なことを並べる姿を見るくらいなら、野に咲く花を鑑賞したほうがよほどマシじゃないかと思う。

(RICOH CX2)

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