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July 25, 2008

高橋物川先生特別寄稿 「伊勢再訪」

 京都山科の住人にして、当社名誉農林水産通信員でもある国学者高橋物川先生が老骨に鞭打ってお伊勢参りをされ、(別に依頼したわけではないのだが)写真を添えて一文をお寄せくださった。

 えっ、あのご老人、まだ生きていたの? などと失礼なことをいってはいけない。火に会って焼けず、水に入って溺れず、金槌を一発お見舞いしたってビクともせず、いわば人間界のぬらりひょん、もはや先生は常人の域を越えていらっしゃるのだ。

 せっかくだから今回はほぼ原文のままご紹介することにした。どうか先生の澄み切ったご心境(?)を味わっていただきたい。

 なお「伊勢再訪」とは、ぼくが勝手につけたタイトルであることをお断りしておく。
 

            伊勢再訪    高橋物川

0807ise_2
 およそ十年ぶりで伊勢神宮にお参りをいたしました。写真は内宮へと続く白砂参道です。

 
  なにごとのおはしますかは知らねども
  かたじけなさに涙こぼるる        
西行

 新古今集に最多の九十四首を数える漂白の歌人西行が、伊勢内宮を参拝したときに詠んだこの歌は真情平明、余人なにごとか加えあるいは説くべきことあらんや。

 西行が出家したのは、藤原璋子(フジワラショウシまたはタマコ)のちの待賢門院(タイケンモンイン)への恋の妄執を断つためといわれるが、もちろんそれは仮説であり、ことは陰秘ゆえ確たる証拠はどこにもない。

 待賢門院璋子は後宮に咲く花、蠱惑的で美貌の貴女人であったでしょうな。 なにせ治天の君白河法皇の愛人にして鳥羽院の中宮やからね。

 璋子は鳥羽院との間に二人の天皇を生む、のちの崇徳天皇と後白河天皇ですな。 後白河の皇女が式子内親王やから、式子からみれば璋子は祖母と云うことになるね。ただし璋子初産の皇子崇徳天皇は白河法皇の皇胤であろう。

 鳥羽院の北面武士(左兵衛尉)にすぎなかった西行にとっては、璋子はやはり高嶺の花であったでしょうな。

   あはれとて人の心のなさけあれな
   数ならぬには依らぬなげきを
   西行

 二十三歳で出家した西行早期のこの歌は、卑賤の出自の己を「数ならぬ (身)」となげき、片恋慕の想いを切々と詠っているな。 こののち西行は、生涯をかけてさすらうこととなる。西行ほどの才能を捉えて離さないとは、魔性の佳人はげに恐ろしいですなあ。

 待賢門院璋子に魅せられるオトコは後世にも多い。 たとえば『待賢門院璋子の生涯』を著した角田文衛などもそのたぐいであろう。 なにせこのオッチャンは、待賢門院についての執拗な文献考証を行ない、ついには璋子の生理日の特定まで為したまことに天晴れな御仁であります。

0807ama 二枚目の写真は参拝後にミキモト真珠島に遊び、海女の素潜りの実演を撮ったものです。

 このときは、気象庁が近畿東海に梅雨明け宣言をした翌日で暑かったですな。

 待賢門院とは異なるが、健康的な三十路女の足の裏をご覧ください。 水虫には罹患してないようやな。
 

 先生、どうもありがとうございます。二枚目のお写真などは、先生の才能の片鱗をうかがわせるに足る一枚と、小生おおいに感じ入った次第でございます。

  涙までこぼれはせぬがなんとなく
  かたじけなさに重ねる焼酎
    薄氷堂

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