January 17, 2019

Daily Oregraph: すゐとんの話 (2)

190117_01

 日本海側は荒れ模様だというのに、釧路はごらんのとおりほとんど雪がない。ありがたいことである。

 さて前回は田山花袋の「すゐとん」を取り上げたが、「すゐとん、すゐとん……」とつぶやいているうちに思い出したのが、宮澤賢治の「停留所にてスヰトンを喫す」である(本来全文を掲載すべきであるが、長くなるので青空文庫などをご参照いただきたい)。

   わざわざここまで追ひかけて
   せっかく君がもって来てくれた
   帆立貝入りのスヰトンではあるが

というすゐとんは、 

   この田所の人たちが、
   苗代の前や田植の後や
   からだをいためる仕事のときに
   薬にたべる種類のもの

というから、たとえ帆立貝が入ってなくても、このへんの農家の人々にとっては、すゐとんは体が温まるから、まずは中等以上の部類に属する食べ物だったのだろう。

 しかしあいにく熱のある賢治は食欲がなく、

   ああ友だちよ、
   空の雲がたべきれないやうに
   きみの好意もたべきれない
 

せっかくの心づくしのすゐとんを食べ残してしまうという、万感の思いがこもった詩である。

 腹ぺこの本屋の小僧には「非常に旨さうに思はれ」、賢治の友人がわざわざ停留所までもって来てくれたというすゐとんは、昼飯に二万円の天麩羅を食って得意顔をしている連中には無縁のごちそうである。もちろんB級グルメなどとはいいたくない。

 丁度すゐとんのうまい季節である。ひさしぶりに熱いのをフウフウいいながら食ってみたくなった。あなたもぜひ……

| | Comments (2)

January 13, 2019

Daily Oregraph: すゐとんの話

190113_01

   そろそろ生存証明写真を載せなくてはいけないころである。

 どうしたわけか、読書は比較的順調にはかどっている。要するにインターネットなどに割く時間を減らせばわけはない。スマホ中毒のみなさまも、たまには正気に返ってみてはいかがであろうか。

 ぼくはアカウントを持っていないから、人様のツイッターをのぞいて見るだけなのだが、あちこちで政治向きの記事を拝見すると、某首相や官房長官の写真が多いのには閉口する。飯がまずくなるから(笑)、あんなつまらぬ写真はできるだけ減らしたほうがよかろうと思うのである。

 さて悪相を見て減退した食欲を回復するには、うまそうな食べ物の話題が有効だし、もりもり食べて元気になれば、次の選挙にはぜひ投票しようという意欲もおのずと湧くにちがいない。

 そこで今日は「すいとん」を取り上げてみた。

 夜は通りに種々な食物の露店が出た。鮨屋、しる粉屋、おでん燗酒、そば切りの屋台、大福餅、さういふものが小さい私の飢(うゑ)をそそつた。中で、今は殆どその面影をも見せないもので、非常に旨さうに思はれたものがあつた。冬の寒い夜などは殊にさう思はれた。それはすゐとんといふもので、蕎麦粉かうどん粉をかいたものだが、其の前には、人が大勢立つて食つた。大きな丼、そこに入れられたすゐとんからは、暖かさうに、旨さうに湯気が立つた。そこにゐる中小僧(ちゆうこぞう)が丼を洗ふ間がない位にそのすゐとんは売れた。-田山花袋『東京の三十年』より

 はっきり年代は書いていないけれど、たぶん明治14~15年ころの話だろうと思う。当時花袋は東京に出てある本屋の小僧として働き、腹を空かせながら、重い本を背負って町々を歩き回っていたのである。

 
ずいぶん昔からある食べ物なのに、「すゐとんといふもの」というからには、田山少年はそれまですいとんを知らなかったらしく、そこがぼくの興味を引いた。

 「今は殆どその面影をも見せない」とあるが、すいとんそのものは庶民に食べられつづけていたわけだから、すいとんの屋台が町から姿を消したというのだろう。

 けっしてぜいたくな食べ物ではないし、天下の美味とまではいえないけれど、腹を空かして金のない小僧にとっては、初めて目にした「すゐとんといふもの」がいかにもうまそうに見えたらしい。ちょっとホロリとさせられるところである。

 ぼくはすいとんによだれを垂らしはしないが、おでん燗酒の屋台にはふらふらと引き寄せられそうな気がする。そこへすいとんの湯気が流れてくる。汁粉の甘い匂いも漂ってくる。あとで子どもの土産にと、大福の屋台をちらっと横目に見て免罪符を買ったような気分になる。

 ぞろぞろ歩く人々の靴音や下駄の音にまじって人力車が通る。馬車が走る。さっきの小僧さんは、なけなしの小銭を握りしめて散々迷った末に、すいとんを求める人の列に加わったようだ。

| | Comments (2)

January 07, 2019

Daily Oregraph: 刃なしの梨

190107_01

 あいかわらず好天がつづいているけれど、日陰の通りはごらんのとおり。

 さて正月早々意外の出来事があったため、ちょっと生活のリズムが狂い、ブログをさぼっていたら、案の定、あいつ倒れたんじゃないかと心配して、メールをくださった方がいる。そこでしょうもない生存証明写真を載せた次第である。

 読書はつづけているのだが、案外こういうときは頭が受動態(?)になっているものだし、そうでなくとも本によってはネタにしにくいものもある。

 しかしなにも書かないのは無愛想だから、ジョイスの小説からほんの一節を取り上げてみよう。英単語をふたつ、確実に覚えられるので、受験シーズンにはぴったりかもしれない。

 ブラインドの端と窓枠との隙間から、青白い光がひとすじ洋梨(pear)のように射し込んだ。-『若き日の芸術家の肖像』(第3章)より

 はて、「洋梨のように」とは奇っ怪な。いくらえらい小説家だって、そんなへんてこな比喩を用いるものだろうか?

 察しのいいお方ならすぐにわかるように(高校一年生ならほめてあげます)、もちろんこれは誤植である。この場合、pear は洋梨というより「刃なし」だから(笑)「刃」をつけて spear(槍)にしてやれば、一条の光が鋭く射し込んだという、うまい形容になる。

 とにかく誤植には腹が立つものだ。ヘンだなあとは思いながらも、意味がすぐに取れぬ場合、まずは自分の頭を疑わざるをえないからである。ちゃんと活字を組んでくれよな。

| | Comments (0)

January 01, 2019

Daily Oregraph: 新年のご挨拶

190101_01

 晴天の下雌阿寒の山並みを望みつつ新年のご挨拶を申し上げます。本年もマイナーな当ブログをどうかよろしくお願いいたします。

190101_02
 今年こそ悪徳政治家どもに神罰の下らんことを祈願しようと思ったのですが、なにしろ根っからの行列ぎらいときていますから(笑)、いずれあらためて出直すことにいたしました。

190101_03

 おねえちゃんのおみくじ吉凶いずれかは存じませぬが、世の中良いことはそうないけれど、悪いことばかりでないことも確かです。いやなことの多い時代ですが、どうかめげずくじけず生き抜いてください。

 あ、おねえちゃんばかりではありません。もう将来のないあなただって、けっして希望を捨ててはいけません。今日は元日です。世界平和と消費税廃止の実現を祈って、昼間から一杯やろうではありませんか。

| | Comments (6)

December 30, 2018

Daily Oregraph: 一粒の砂

181230_01_2
  風が恐ろしく冷たい。それだけにきっぱりと清潔な感じはするのだが、心濁った身には無数の針で刺されたような心地がする。今年もあと一日となったから、汝この一年を反省せよという天からのメッセージであろうか。

  罪を悔い改めない者には、地獄で永遠の責苦を受けるという恐ろしい運命が待っている……というのは、信仰をお持ちの方なら先刻ご承知のとおりである。で、その「永遠」というのがどんなものか、(不信心者でまことに申し訳ないけれど)ぼくが天に代ってお教えしよう。

  ここに高さも幅も厚みも100万マイル(約161万キロ)という砂山がある。この山には一体いく粒の砂があるだろうか。さてこの山に百万年に一度一羽の小鳥がやって来て、砂を一粒だけくわえていく。そうして想像もつかぬ時が過ぎ、その山がすっかりなくなったら、また新たに山がひとつできる。夜空の星の数だけ繰り返して山が消えてはできても、なお永遠のうちのほんの一瞬たりとも過ぎ去ったとはいえない。

  以上はジェイムズ・ジョイスの小説から、カトリックのお坊さんの説教の一部をごくごくおおざっぱにまとめたものだが(原文は実に迫力のある名文である)、まことにうまい比喩だと感心した。仏教の経典にも似たような話がありそうな気もするけれど、頭がクラクラするほど途方もない想像力には、信仰の有無にかかわらず、素直に感服すべきだと思う。

  永遠がそういうものだと知れば、軽々しく「永遠の愛」だの「永遠の誓い」などと口にはできないだろう。なにしろ百万年かかって砂がたった一粒しか減らないのだから。さすれば「永遠の責苦」の恐ろしさが、想像力の足りないどこぞの罪深い政治家諸公やネトウヨの諸君にもひしひしと伝わってくるはずだ(と期待したい)。

 たまにはそんなことを考えてみた。年の瀬に縁起でもないから(笑)、これまた希有の名文で綴られた地獄の責苦の詳細については割愛しておこう。

 みなさまも永遠に思いをめぐらせて、どうかよいお年をお迎えください。

| | Comments (0)

December 28, 2018

Daily Oregraph: 歳末散歩

181228_01

 本日の南大通。

 日本海側とちがって、しばらく雪が降っていないから、ずいぶん歩きやすくなった。好天がつづいているのにまだ少し雪が残っているのは、日中の気温が低いせいだ。日陰では道路が凍ったままである。

 だから風はひどく冷たい。外に出たくはないけれど、運動不足解消のためには致し方ない。それに親分を自称している手前、鼻水を垂らしながら町の見回りをしなくてはいけないのである。

 予報によれば、明日から一週間はまずまずの天気らしい。雪かきをせずに年末年始を迎えられるのはなによりもうれしいことだ。雪にお悩みの日本海側のみなさま、楽をしているわれわれをどうかお赦しください。

| | Comments (2)

December 24, 2018

Daily Oregraph: ひと切れの Stollen

181224_01

 不信心者にも平等に盆、クリスマス、年の暮れはやって来る。

 クリスマスだからシュトーレンを食べるのではなく、麦穂亭が送ってくれたシュトーレンを食べるからクリスマス。

 このお菓子は雪に見立てた粉砂糖をたっぷりまぶしてあるので、雪かきをしてから食べなくてはいけない。最近運動不足ゆえ、たくさんはいただかない。たったひと切れである。

 ずいぶん以前のことだが、イギリス人にクリスマスのケーキをごちそうになったことがある。ちょっと固めで、みかけはドイツのシュトーレンそっくり(あるいは親戚なのかもしれない)。

 ところが一口ほおばったとたんに頭がキーンとするくらい甘いのには閉口した。砂糖をさらに濃縮しているんじゃないかと思ったほどで、涙をこらえて完食したのである。それ以来、申し訳ないけれど、イギリス人の味覚にはいささか不信を抱いている。

 麦穂亭謹製のシュトーレンはほどよく上品な甘さである。シュトーレン一般がそうなのか、日本人向けに甘さを調節しているのかはわからないが、たいへん結構なお味であった。

 というわけで人並みにクリスマスを迎え、めでたし、めでたし。

| | Comments (2)

«Daily Oregraph: 裏庭画報 枯草無念流