March 07, 2021

Daily Oregraph: 体に毒捕物帖

210305_01
 本日の最高気温はマイナス0.6度。まずまずの暖かさだが、上の写真を撮った一昨日はプラスの5.7度とポカポカ陽気であった。

 「え~、一杯のお運びで厚く御礼申し上げます。

 「本日のお題は『悪魔の足(The Devil's Foot)事件』でございますが、下手人捜しはそうむずかしくない。なにしろ登場人物がごく少ないのですから、消去法で指を折っていけば、犯人はたちまちわかりますな。

 「ですから、興味は犯行の手口にあるといってもよろしかろうと思います。まず第一の事件では被害者は三人。うち一人は死亡に至りましたが、残る二人は発狂してしまい、いずれも顔が恐怖でひきつっていた……と、いかにも舞台であるコーンウォルの荒涼たる風景にふさわしい事件でございます。

 「あたくしは行ったことがないからよくは存じませぬが、いったいコーンウォルというのはなにか奇怪なことが起こってもおかしくない、ぞっとするような土地であると、ある作家が書いておりまするから、たぶん「悪魔」を持ち出すにふさわしい場所なのでありましょう。

 「で、時は明治三十年春、長年の過労がたたって医師に勧められ、転地療養のためコーンウォルは岬の果てにある小さな家で過ごしていたホームズ探偵が、休養どころか結局事件に巻きこまれるというわけです。

 「さて被害者には外傷がなかったといいますから、症状から判断して、素人目にもなにかの中毒であろうとは見当がつきます。三人そろって中毒したとすれば、まず疑われるのは食中毒ですが、もう一人夕食を共にした人物は無事でしたから、そうではなさそうです。とすれば、毒は呼吸器から体内に入ったと考えれば納得できます。しかしお医者様にも見当がつかぬ症状を呈する毒とはなにか、というのが興味の中心になりましょう。

 「四人が夕食を共にして一人だけ無事、しかも事件の起こった邸内にはほかに実直なコック兼家政婦さんが一人いるだけとなれば、その夜は途中で帰って無事生き残った一人が怪しく、しかも彼には動機らしきものがありそうだとなれば、推理を働かせるまでもなく、犯人は明らかですな。

 「ところが数日後その容疑者本人がやはり恐怖に顔を引きつらせて死亡してしまったからさあ大変。二つの事件に共通する下手人は別にいるのだろうか? と思わせるところがドイルさんの工夫です。

 「実は第一の事件を知って急ぎコーンウォルに駆けつけたもう一人の人物がおりまして、長年この地とアフリカを行ったり来たりしているという、怪しさ満点の風変りな男であります。この人物は第一の殺人当時はアフリカに出発しようとコーンウォルを離れていたのが、途中で舞い戻ってきたわけですから、もちろん第一の殺人とは無関係であります。

 「しかし、ほかに怪しい登場人物がいない以上、消去法を用いるまでもなく、第一の殺人の容疑者(=犯人)が死亡した第二の事件の犯人はこの人物だということになりましょう。「アフリカ」と聞いてピンときた方もおいででしょうが、「悪魔の足」というのは欧州では知られていない、西アフリカ特産の有毒植物であるという設定になっております。

 「ボーッと読んでいてはわかりませんが、こうして整理してみると犯人はすぐにわかります。この作品は話が複雑ではないだけに、探偵小説を書くヒントになると思いますな。あとはもっともらしい動機をこしらえれば、「なんとかサスペンス劇場」程度のお話なら、案外簡単に書けるかも知れませんよ。最後は風吹きすさぶコーンウォルの岬に一同そろったところで種明かしをすればいいんです。

 「猛毒をどのように用いたのか、下手人二人はいかなる関係にあったのか、動機はなにか……もう十分ネタばれしたかと存じますので、そのあたりを詳しく申し上げるのは控えておきましょう。

 「いやどうもご退屈さまでした。どうかお足元にお気をつけて」

 話を終えた薄氷堂が座布団から立ち上がろうとしますと、親分が手で制しまして、

 -おっと、この前の事件に比べればずいぶん簡単な話のようだね。

 -ええ、この話は駄作とまではいえませんが、筋立ても単純だし、凡作にちがいありません。過労がたたっていたのは、ホームズ探偵じゃなくて、実はドイルさんだったというのが、あたくしのカンです。

 -というと?

 -その証拠があります。最初に牧師さんから事件の説明を受けたホームズ探偵は、第一の事件の容疑者が事件の翌朝早く現場に行ったわけを聞いていたにもかかわらず、そのすぐあとで容疑者本人に向かって「どうしてあなたが今朝そんなに早く事件をお知りになったのかがハッキリしませんね」てなことをいっております。おかしいじゃありませんか。

 -ふむ、そりゃあ妙だね。ホームズ探偵にしては注意力散漫、うかつすぎる。

 -あたくしの考えでは、ドイルさんはこの作品の最初の部分を一気に書いてはいない。牧師さんの説明と容疑者本人の話との間、少なくとも数日は原稿に手をつけちゃいますまい。

 すると二人の話を黙って聞いていた手習いのお師匠さん、火鉢を煙管でトンと叩いて、

 -そうだとしても、ふつう読み返せばすぐに気がつきそうなものですがね。

 -そこなんですがね、ドイルさんはよほど疲れていたのか、ほかのことに気を取られて半分上の空だったにちがいありません。なにがあったのかは存じませんが、どうも身が入っていない。暇人の研究家が調べればそのわけがわかるかも知れませんよ。どうです先生、ひとつお調べになってみては?

 -いや、ご免こうむりましょう。そんなことをしたって、一文にもなりませんしな。

 -ハハハ、まあそう腐らないでください。悪魔の足てえのはありませんが、スルメの足ならまだ残っていますから……

 ここで親分、心得たりと灘の生一本を取り出しました。酒は体に毒といえぬこともありませんが、まさかこの三人が毒に当たって倒れることはありますまい。

| | Comments (0)

March 03, 2021

Daily Oregraph: めでたい捕物帖

 一昨日から今朝にかけて二度雪が降ったけれど、合わせて10センチ程度の積雪ですから、雪かきは楽なものでした。予報では50センチでしたので、外れて大助かりです。

210303_01
 さて本日の最高気温はマイナス3.2度。低いじゃないかとお思いかも知れませぬが、太陽のおかげで見る見るうちに雪は融け、ツララからはひっきりなしに水滴がポタポタと落ちていたのでございます。

 -親分、なんだかんだいっても弥生のお天道様には勢いがありますね。

 そういわれた親分は、読本(よみほん)の最後の頁を丁度読み終わるところでしたが、

 -うむ、いつの間にか三月だなあ。早いもんだぜ、まったく。

 -疫病が長引くせいか、このところこそ泥も減ったようで……

 -まあ、事件がねえのはなによりだ。ところで泥棒といえば、潜水艦の設計図を盗んだ不届き者がいる。そいつが役人だから、国家機密を売り飛ばそうとは、とんでもねえ話だぜ。

 -え、潜水艦? なあんだ、そいつは『ブルース・パーティントン設計図(The Bruce-Partington Plans)事件』の話じゃありませんか。

 -うむ。なかなかおもしれえから、狂言にして中村座で上演したら大受けまちがいなしだろうぜ。

 -でもね親分、道具方が大変ですぜ。地下鉄の駅だの車両なんぞをこしらえなくちゃならねえんですから。

 -そうか。舞台が無理なら活動写真だな。

 そこへフラリと現われたのが、長屋の究極の暇人である手習いのお師匠さんです。

 -やあ、おそろいですな。ところで親分、ホームズ探偵の兄上の年収をご存じかな?

 -ハハハ、こいつは藪から棒ですね。たしか450ポンドじゃありませんか?

 -おや、どうして知っていなさる?

 親分が読み終えたばかりの読本を差し出しますと、

 -なあんだ親分、お読みになったのですか。せっかく新知識をご披露しようと思ったのに、お人が悪い。

 -このブログの読者ならとっくにおわかりのように、当時年450ポンドといえば楽に暮らせるだけの金額ですが、国家中枢の重要人物の俸給にしちゃあいかにも少ない。弟同様、欲のない変わり者のようですね。

 -その変人兄弟の活躍によって難事件が解決するわけですが、それによって国家の危機が救われるというところは『第二の血痕』に似ておりますな。

 -はじめ犯人と目された青年の死体がなぜ線路脇にあったか、という謎の推理は筋道が通って見事なものです。最後には青年の疑いが晴らされ、悪人どもが捕縛されるという勧善懲悪の筋立ても後味がいい。

 -ホームズ探偵の手柄へのほうびとして、女王陛下と思われるお方が、現金ではなくエメラルドのタイピンをくださったというのも上品でよろしいですな。

 -でもね先生、あっしなら金子のほうがありがてえ。飾り物なら質に入れる手間がかかりますからね。

 -馬鹿野郎、なんの手柄も立てねえボンクラに、どなたがほうびをくださるというのだ。

 -ハハハ、親分、まあそうお叱りなさるな。八五郎さん、拙者にはタイピンはとても上げられませぬが……

 といってお師匠さんが懐から取り出した包みを八公が開けてみますと、

 -や、鯛焼きじゃありませんか。こいつはとんだおやじギャグだ。

 -先生がお土産をくださるとは、また雪が降るかもしれませんな。

 三人が笑い合っている間にこっそり検索してみましたが、この時代に鯛焼きが存在したかどうかはとうとう確認できませんでした。このシリーズは時代考証がデタラメでありますから、どうか笑っておゆるしくださいませ。

| | Comments (2)

February 28, 2021

Daily Oregraph: うっかり捕物帖

210228_01
 本日の最高気温はプラス1.9度。朝はまだ寒く、裏庭の雪もそっくり残っておりますが、日中はポカポカしてまいりました。二月も今日はつごもりでございます。

 -薄氷堂さん、道路の雪もだいぶ融けましたな。

 -やあ先生、いらっしゃい。まあどうぞどうぞ。

 -ではご免。ところで昨日はお留守でしたな。

 -いえね、米櫃が空なもんですから、ダメもとで神社の境内に出かけたら、思いのほか商売になったのです。試験の出来を占ってくれという若い者が多くてね、学問を志す者が占いなんぞに頼っちゃいかんだろうと思うんですけど、稼ぎにはなるからありがたい。ヘヘ、まあごらんなさい。

 ああ、薄氷堂の狭い台所に一升徳利が置かれているのは何日ぶりのことでしょうか。おまけに立派なスルメも一束並んでいるのだから豪勢です。

 -しかし薄氷堂さん、占いが外れたらどうなさる? 受験生に恨まれますまいか。

 -なあに、当たるも八卦当たらぬも八卦、苦情は天に持ちこんでもらいますよ。それよりも、さっそくスルメをあぶって一杯やりませんか。

 -相変らず懐には冬の風ゆえ手ぶらで申し訳ないが、先日拝借した『ウィスタリア荘(Wistaria Lodge)事件』をお返し申します。

 アチチと顔をしかめながら、丸く反ったスルメをひっくり返した手で受取った草紙を、薄氷堂はパラパラとめくってみるのでした。

 -先生、このお話はどうでした?

 -うむ、なかなかの力作でござった。はじめは単に奇妙不可思議なる殺人事件であったにすぎないが、調べを進めていくうちに、だんだん過去の複雑な事情が明らかになってくるという……ちょっと入り組んだ筋立てですから、二部構成になっているんですな。なかなか読ませる作品ですよ。

 -こいつはドイルさんにとっても自信作だったんですね。ご本人がちゃっかり自慢しているんだからまちがいありません。

 -はてな、自慢しているところなどありましたかな?

 -ええと、最後のほうに……ああ、ここ、ここ。ホームズ探偵がワトソン先生にこういってます。「こみ入った事件だからね、ワトソン君、君好みのコンパクトなかたちに話をまとめるのは無理だろうな」とね。

 -ああ、そこですか。実際に書いたのはワトソン先生じゃなくてドイルさんだから、これこのとおり、混沌を整理してコンパクトな小説にまとめ上げたおれの手際はどんなものだ、というわけですな。なるほど自慢になりましょうね。

 -鼻高々というところでしょう。さて、スルメも焼けたし、燗のほどもよし。さあ先生、まず一杯どうぞ。

 みなさんとっくにご存じのとおり、燗酒から立ちのぼる湯気のツンとした刺激に混じったスルメの匂いというのは、実にこたえられないものであります。ウソだとお思いならやってごらんなさい。もっともエゲレス人なら鼻をつまむかも知れませぬが……

 -ところで薄氷堂さん、この短編には筋立てのほかにも異色なところがあります。お気づきになりましたかな?

 -もちろんですとも。ベインズ警部の登場でしょう。田舎でくすぶっている、一見冴えない無骨者なんですが、意外や意外、ホームズ探偵も感心するほどの切れ者であったという設定になっています。しかも話の途中までは、スコットランドヤードの警部連同様の凡庸な人物であると思わせるところは、ドイルさんも芸が細かい。

 -ベインズ警部を主人公にしたら、松本清張風の小説が出来上がるかも知れませんな。

 -おっと、先生、松本清張は時代がずっとあとですよ。それでなくてもこのブログの時代設定はいい加減なんですから(笑)、うっかりしたことはおっしゃらないほうがいい。

 -いやどうも、これは大失敗。

 -失敗といえばね、この事件が起こったのは「1892年3月末頃」と明記されているんですが、ホームズ探偵は「1891年5月4日」にライヘンバッハの滝壺に転落したことになっています。死んだはずの探偵が『空家事件』で再びロンドンに姿を現わしたのは「1894年の春」ですからね、どうも勘定が合いません。

 -やや、ほんとうですな。それは気づきませんでした。しかし普通の読者はそんなことは気にせんと思いますぞ。

 -世の中にはホームズもの専門の暇人がいましてね、合わぬつじつまをむりやり合わせようと苦心しているらしいけれど、ワトソン先生の奥さんだって忽然と姿を消しているのに一切説明はないし、ドイルさんは案外無頓着な人なんですよ。

 -ハッハッハ、とうとうドイル先生ご自身が酒の肴になってしまいましたな。

| | Comments (2)

February 27, 2021

Daily Oregraph: 転落注意

 本日の最高気温はマイナス1.1度だが体感上はプラス。穏やかな一日だった。

 さて船は鉄のかたまりだから、ぶつかると痛い。床の出っぱりに向こうずねをぶつけようものなら、思わず涙がぽろりと出るだろう。まして頭を打っては一命にかかわるので、ヘルメットは必須である。命が惜しければ必ず着用するものだ。それがいやだというなら荷役作業中の船に乗ってはいけない。

210227_01
 デッキのあちこちにはさまざまな注意書きが張ってある。もちろん保護帽着用というのもあるけれど、一番ストレートでわかりやすいのがこれ。一見して意味がわかるので、グッドデザイン賞ものだと思う。ホールド内に転落したらまず一巻の終りだから、ぼくたちは用心の上に用心を重ねている。

 いくら気をつけていても事故は起こるものだ。世の中に万全ということはありえないのだが、それだけにせめて用心を徹底するのが常識というものだろう。

 おつむがよろしくないから質問に答えられず、人の意見には耳を貸さず、虚勢を張っていばりくさる人物を首相に選ぶのは、用心の足りないうっかり者を乗船させるようなものだ。船内、いや国内の規律が乱れすぎているせいだろう。

 危ないよ、落ちるぞ。ほら! だから、いわんこっちゃない。

| | Comments (0)

February 24, 2021

Daily Oregraph: コロナ対策オンデッキ

 本日の最高気温はマイナス1.7度。しかし日中は割と暖かく、道路に残る雪も融けていたが、早朝はツルツルで運転が怖かった。

210224_01
 本日の船上セキュリティ・チェックポイント……といっても、本船はデッキの通路が狭いからデスクはない。担当者が着ているのはコロナ対策の防護服(?)だろうと思う。

 さすがに乗組員は全員マスクを着用していた。船によって異なるようだが、本船は外部の人間を居住区の中には入れてくれず、出入口付近にセットした自作テーブルで対応していた。船内でクラスターが発生すると一大事なのでやむをえないけれど、正直いって仕事はやりにくい。幸い風がなかったからよかったものの、天候が悪いときはどうするのだろうか?

 コロナによって景色が一変したのは陸上だけではないということだな。

| | Comments (0)

February 20, 2021

Daily Oregraph: 油断大敵捕物帖

 本日の最高気温はプラス4.1度。毎日コツコツと崩している雪の壁も残りの長さ4メートル弱となり、今日もスコップをふるって作業したのだが……

210220_01
 -おや、薄氷堂さん、そいつはなんですな?

 -ハハハ、掘り出し物ですよ。雪の中から出てきた氷の板です。

 -へえ、そんなものが自然にできるとは不思議ですな。

 ここで説明を加えておきますと、この板氷は最大の長さ43センチ、幅30センチ、厚さ7センチほどもございました。

 -まともにはスコップの刃が立ちませんから、回りを掘り崩して取り出すしかないんですよ。おっと、もう昼じゃありませんか。どうです先生、餅でも焼いて食いませんか?

 -おお、それはありがたい。

 二人が安倍川を食べたのか納豆餅にしたのかは、あいにく記録に残っておりませんが、とにかく簡単な昼飯をすませまして、出がらしの番茶を啜りながら、例によって呑気な捕物話をはじめたのでございます。

 -いやどうもご馳走に相成りました。さて『第二の血痕(The Second Stain)』事件は、大事件も大事件、公になれば大戦争がはじまろうという機密文書が紛失したという話ですな。

 -依頼者が首相と欧州担当大臣というんだからすごい。たまにこういう依頼もあるから、貧乏人から頼まれた仕事を引き受ける余裕があるんでしょうな。

 -話としてはなかなか面白く出来ておりますな。円満に事件を解決したホームズ探偵の手腕もみごとです。もっとも偶然都合よく殺人事件が起こらなければ、解決の糸口を見つけるのは難しかったはずですがね。

 -警官が規則を破って、無関係と思われる婦人を殺人現場に通したというのも、ちょっとありそうにないような気がします。しかしまあ、そこは話を進めるために仕方がなかったのでしょう。ただねえ、捕物以前の問題として、問題の文書の扱いが、てんでなっていませんな。

 -さよう。役所の金庫の中では心配だから、欧州大臣はそいつを自宅へ持って帰り、寝室に置いてある文書箱の中にしまいこむ。そこまではいいとしても、その箱を金庫に入れずに置きっぱなしというんですからな。挿絵をごらんなさい。

Dispatch_box
 いくら箱に鍵をかけていたって、こんなちっぽけな箱じゃあ、そのまま誰かに持ち去られても不思議ではない。そのために戦争でもおっぱじまれば、切腹したって申し訳が立ちますまい。

 -それもそうですが、そもそも文書を懐に入れて持ち帰るというのが危険千万ではありませんか。

 -文書の存在を知る者は当然ごく限られていたとはいえ、それを嗅ぎつけたスパイがいたという設定になっていますからね。この種の文書を安全に保管する場所を確保していなかったというのは、まことにお粗末というしかありませんな。

 -でもね先生、権謀術数渦巻く欧州で鍛えに鍛えられた英国にしてこんな小説が書かれるとしたら、日本国はどうなのか、心配になりますね。

 -なあに、世界に冠たるわが国は官僚がきわめて優秀だし、政治家も信頼できますから、そんな心配はご無用。それでも不安なら、月間Hanada だの月間WiLL だのをお読みになればよろしい。おつむは多少おかしくなるかも知れんが、根拠なき安心は得られましょうからな。

 -ハハハ、冗談がきついですよ、先生。お茶を吹き出しちまったじゃありませんか。

| | Comments (0)

February 16, 2021

Daily Oregraph: お目こぼし捕物帖

 本日の最高気温はプラス6.0度。昨日から今朝にかけては雨が降りつづき、道路の雪はかなり融けた。

210216_01
 しかし強風が吹き荒れ、ふだん穏やかな港町岸壁の水面にも波が立っていた。沖は大時化にちがいない。

 -雪にならなくて助かりましたな、親分。

 -おや先生、これはおめずらしい。ほんとに助かりましたが、日本海側はこれから明日にかけて猛吹雪だてえから気の毒です。まあお上がりください。

 -景気が悪いから米櫃は空、たとえ金があったところで遠出はできん、どうも気分が晴れませんので、今日はひさしぶりに親分と捕物の話でもと存じましてな。

 -ほんとに、こういうときこそお上が米倉を開けてお救い米を配ってくださるといいんですがねえ。で、今日の捕物帖は?

 -『アビー・グレインジ(The Abbey Grange)事件』はいかがでしょうな。

 -あっしにはその「グレインジ」てえのがよくわからなかったんですが。

 -田舎御殿とでもいいますか、ここでは貴族の立派なお屋敷なんですが、もともとは穀物の倉をグレインジといったらしいから、米倉と関係がないこともないのです。倉に縁があるくらいだから、もちろん貧乏人のすみかじゃありません。

 -なるほどアビー館(やかた)ですかね。この館で起こった殺しの謎を解くてえ話ですが、なかなかよく出来ている。ひとつひとつ証拠を丹念に調べて進めるホームズさんの推理にも無理がありませんね。

 -例によってスコットランド・ヤードの警部さんがちょっと単純すぎるところなぞは、親分としてはおもしろくないかも知れませんがね。

 -ハハハ、まあこれはお話ですからね、腹を立ててもしょうがねえ。それをいうなら、かわいそうなのはワトソン先生ですよ。下手人の目星をつけたホームズ探偵と一緒に廻船問屋に行くあたりで、先生にもなんとなく察しはつくはずなんだが、あれじゃまるで大人しく散歩に連いていく飼犬みてえじゃありませんか。あんなに頭が悪いはずはねえと思いますよ。

 -この話でだれもが引っかかるのは、ホームズ探偵が最後に下手人をお上に引き渡さず、同情して見逃してやるところでしょうな。親分としては一言おありかと思うが……

 -うむ、おっしゃるとおり、そこはむずかしいところです。しかし実をいうと、あっしも目こぼししたことがまったくないわけじゃねえんです。もちろんこちとらとしても腹をくくってしなくちゃならねえことですが、人情のしからしむるところですからな、場合によっちゃわからないでもありません。

 -ケチな盗みを働いた貧乏人が重い裁きを受けているかと思うと、悪事を働いた旗本のバカ息子が大手をふって通りを歩いていたり、賄賂を貯めこんだ不浄役人がのさばっていたりしますからなあ。上級国民が天下の法を曲げている。

 -ごもっとも。情けねえことにお上がだらしないから、怪傑黒頭巾だの桃太郎侍なんてのに人気が集まるんですよ。だけど、なんの権限もなしに人様の屋敷に侵入して、人をバッタバッタと斬り倒すんだから、いくら相手が悪人とはいえ、正義の味方というのはちと無理がある。ほんとは人殺しの無法者にちげえねえんですよ。

 -旗本退屈男さんなどは将軍家から殺しの免状を授かっているそうですがね(笑)。ところで、人殺しを請け負う仕掛人なんてのもいるらしいですぞ。

 -ははあ、先生、あなたも澄ました顔をしていなさるが、ひょっとしたら仕掛人の一味では?

 -ご冗談をおっしゃっては困ります。そんな稼ぎがあれば、明るいうちから一杯やっていますとも。

 -ハハハ、これは一本取られました。おい、八、聞いてのとおりだ。熱いところを一本持ってきな。

| | Comments (0)

«Daily Oregraph: 4分の3捕物帖